自動翻訳電話を立ち上げたおはなし

NTTドコモが英語・中国語・韓国語・ドイツ語・フランス語など10カ国語に対応した会話翻訳アプリを提供しはじめました。クラウドのサービス。対面や電話で利用することができるといいます。

日本語の認識精度が90%、英語が80%程度といいます。おそらくこれはビッグデータを使ったデータベースの増強により、急速に向上していくでしょう。ネット上ではエキサイト翻訳やグーグル翻訳が活躍してきましたけど、いよいよ会話の本格実用です。

感動しています。ぼくは世界で初めて、自動翻訳電話に関わったからです。たまにはちょっと自慢話をしてみます。

昭和60年、1985年、「自動翻訳電話システム開発マスタープラン」が政府・郵政省から発表されました。ぼくが取りまとめ役でした。社会人になって初めての仕事でした。

前年、役所に入ったぼくは、通信自由化、郵政・通産戦争、対米交渉の最前線、データ通信課に配属されました。電電公社民営化で入るNTT株2兆円のぶんどり合戦が政府部内で起きており、巨額の研究開発費を要するプロジェクトを用意しようとしたわけです。でも人手がなく、新人が担当になったわけ。

音声入力、機械翻訳、音声合成の三要素を組み合わせて一つのシステムを作る。巨大なデータベースの構築が必要になる。世界に例はない。学界や関係業界による大型プロジェクトを作るための研究会を設け、京都大学長尾先生に座長になってもらい、プランを作っていました。

それが政治抗争に発展し、推進体制を決める年末はすさまじい日々で、一週間で10時間しか眠りませんでした。でも人間、何とかなると知りました。社会人一年生でそれを経験させてもらったのが人生最大の収入です。ボスの課長は内海善雄さん、その後国連機関ITUの事務総長に上られました。当時42歳。若い。昔の役人は、若いころに仕事をしていたんですね。42歳と22歳の新人がやってたんですから。

結局、投融資機関として基盤技術研究促進センターが設立されて、そこから京阪奈学研都市にATR(国際電気通信基礎技術研究所)が設けられることになりました。ATRは世界的に著名なメディア研究機関に成長しました。ぼくは生みの親の一人です。そう主張する人はたくさんいるはずですが、ぼくも主張します。

あれから30年近く。自動翻訳電話が実現しました。もう一つ、感動的なことは、当時想像していた姿とは全く違っていたことです。ぼくらが思い描いていたのは、1)黒電話で話す中身が 2)回線交換を通じ海外の人に翻訳される姿。3)当時、日米の電話代は3分1530円でした。企業ユーザがどれくらい使うかね、というイメージ。だから、4)研究の中心は、国際通信を法的独占していたKDDの研究所でした。

ところが、実現してみたら、それは1)スマートフォンというモバイル端末を使って、2)インターネットという通信網で翻訳される。3)ほぼタダ。しかも、海外の人とつながるというより、目の前にいる対話相手に対し、ネット経由で通訳してもらうという使用法。それを開発したのがKDDじゃなくて4)電電公社の末裔。ぜんぜん違うわけです。自慢になりませんね。おもしろいです。メディアは。