リアリズムの田中角栄

早野透著「田中角栄」を読んで、改めて田中政治って何だったのかなと考えています。

毀誉褒貶のチャンピオン。金権政治、官僚操縦、数々の議員立法を通した政策マン。評価はさまざまですが、一つの型というか、システムを作られました。

それは、イデオロギーよりもリアリズム、理念より実利を求める政治の型であり、その手段としての集金・分配と数のメカニズムであり、それを代表する「党人」という立場だった、と思います。

イデオロギーや理念先行型の政治は、官僚出身者に多かった。吉田(外務)、岸(農商務)、池田(大蔵)、佐藤(運輸)、福田(大蔵)、大平(大蔵)、中曽根(内務)、宮沢(大蔵)。官僚出身の総理は、やりたいことが先にぷんぷん漂っていました。

これに対し、田中は、日本列島改造論や日中国交正常化など、総理になるころに打ち出した政策は理念的に見えますが、基本は、ドブ板の選挙と集金・分配を通じて、地域が求めるものをゴリゴリと実行していった政治家だと思います。理念的にやりたいことよりも、民衆から求められることをやった。

議員立法を重ねたことから、理知的な法律家という評価もありますが、基本はその党人的な手腕と魅力で官僚システムをこき使い、民衆から求められる制度や予算をしつらえていったのが実態ではないかと見ます。

ぼくは、これが自民党政治の幹であり、迫力の源だったと思います。イデオロギーよりも民衆のリアリズムに立脚し、ひたすらそれを実現する。足腰と耳の政治です。

72年、田中は毛沢東国家主席、周恩来首相と談判し、日中国交正常化にこぎつけます。同年の沖縄返還に次いで、戦後処理を仕上げました。オイルショック後はエネルギー政策も転換しました。それがアメリカの不興を買い、後の失脚につながったとする説もあります。これらも確固とした理念というより、リアリズムに従った政治だったのだとぼくは思います。

その後、国運をかけた政治判断はありませんよね。湾岸にしろイラクにしろ、戦争参加の判断とはいえ、よそごとでしたし、バブル処理も国鉄電電郵政民営化も国運をかけたわけじゃありませんしね。TPPの判断に手間取ったのもしかたありませんわね。

ぼくが田中角栄を評価するのは、史上最大のコンテンツ政策を遂行したからです。テレビ局の一斉開設です。1957年。岸内閣で39歳で郵政大臣に就任した田中が民放34社に一斉免許を与えました。これがテレビ産業の拡大をもたらし、日本コンテンツの大本となる産業を成立させました。

腰を抜かすほどの電波開放。コンテンツ政策には長く関わっていますが、未だこれを超える政策はありません。89年、通信衛星を放送に使えるようにした制度改正、つまり多くのプロダクションが放送局になる道を開いた政策がこれに次ぐものですが、なんと言っても地上波開放のインパクトが大きかった。

現在のコンテンツ政策も、それくらいのダイナミックな政治力が求められています。ちかごろコンテンツ政策には政府も肩入れしていますが、粒が小さすぎる。こういうガツンとしたオヤジが欲しいと思います。ぼくは文化政策、通信放送政策、家電・ソフトウェア政策、IT・知財政策を合体した「文化省」を提案しているんですが、田中角栄文化大臣だったら何を企画してくれるだろうという空想に捕らわれます。