インドの巨人の星

巨人の星19巻を電子書籍で一気読みしました。連載当時もむさぼり読んでいましたが、45年たって、花形が子どものころエリザベス女王に会っていたことを知りました。

ところで、正月はインド・コルカタでした。宿のテレビをつけたら、「SURAJ」(スーラジ)が始まりました。インド版「巨人の星」。新しいクールジャパンのモデルです。アニメ「を」売る、から、アニメ「で」売る。スポンサーはスズキ、ANA、ダイキン、日清食品。クルマや旅行、クーラーやインスタント食品。昭和40年代にぼくらが憧れた暮らしを、アニメを通じてインドにも届けます。

SURAJは野球ではなく、クリケットの物語。重いコンダラも、オロナミンCのCMも出てきません。でも父親は食卓をひっくり返してくれるし、いきなり養成ギブスも出てくるし、長髪のライバルは高級車(スズキ)に乗ってるし、だとすればいずれ魔球も登場し、オーロラ三人娘も現れるかしら。

しかし、簡単ではありません。今週、SURAJを仕掛けた講談社の野間社長がぼくの授業にお越しになり、ローカライズの苦労を語ってくれました。食べ物を粗末にできないから、ひっくり返す食卓には水しかない。バネのギブスは児童虐待になるのでゴム製にした。高級車は自分で運転するのではなく運転手つきにした。てな具合。

45年の間に日本はアズナンバーワンに成長し、弾け、20年を失い、衰退と言われるまで浮き沈んでいます。インドはどうでしょう。バンガロールのITベンチャーのように、45年前の日本を凌ぐ世界最先端の輝きをもつ分野があります。2030年には12億人と世界一の人口をもち、国際社会への発言力が増すことも予測されています。

一方、この町では、今もすさまじい格差があります。終戦直後のヤミ市でもここまではと思わせる壮絶な雑踏。腕のない物乞いの老女。足を切り落としたと思われる物乞いの子ども。すわり小便をする男。うろつく犬、犬、犬。路上に生まれ、路上に暮らし、路上に死んでいく人が数百万人と言われるコルカタ。インドの中でも最も雑然としたエネルギーを発散しています。

公園では、おびただしい数の人たちがクリケットに興じています。大人に混じり、多くの少年たちが瞳を輝かせています。SURAJを見て、プロ選手を夢見て、魔球を編み出そうとする、45年前のぼくらのような連中。飛雄馬の長屋が現実だったぼくらのように、今を生きる連中。君たちは、開かれた高揚感を共有しているでしょうか。

しかし、TIMES of India紙の元日号では、一面で「21世紀生まれがティーンズ入りしてフェイスブックに参加、社会に軋轢が起きるだろう」と論じています。デジタルはここにも急速に浸透します。巨人の星が45年かかったのと対称的に、ITは瞬時にして、インドも日本も同時に若い世代を塗り込めます。

インドは巨人の星を消化し、成長を謳歌するでしょうか。デジタル化が近代化を促すでしょうか。あるいは、グローバル化や民主化の圧力が混乱と社会不安を増長するでしょうか。ぼくにはわかりません。ただ、45年後、インドの子どもたちにとって、日本がなおも星のように輝いていることを祈ります。