梅棹忠夫さんの案内する京都

梅棹忠夫さん。京都・西陣生まれ。京大人文科学研究所教授、国立民族博物館初代館長。2010年没。その大先生が1951年から65年ごろの論稿をまとめた「京都案内」。市川崑の「鍵」や市川雷蔵の「炎上」や川島雄三の「雁の寺」あたりの京都のたたずまい、いうことでんな。

千年の首都でありながら、明治の革命とともに政治・経済力がそがれてもうて、没落する京都。故郷への愛情とシニカルな視線が交錯してるくせに、東京はじめ外部へは意図的に向ける上から目線が、微笑みを誘います。西陣という京のまん中で育った梅棹さん。ぼくも実家が西陣なんで、時代は違えど空気ははんなりわかります。

本願寺、御所、金閣寺、賀茂川、祇園。そないな観光名所の解説はよろし。それよりも、へえ、そやったんや、そやそや、と京都人にも思わせるお話が転がってます。

たとえば、"京都にはふしぎな店がある。清水の七味唐辛子、祇園のお香煎(シソの粉)屋など、いずれもそれだけしか売っていない。ひどく専門化したものである。"--そうどす。西陣の呉服屋で和服えらんだとき、ハカマ屋、帯屋、下駄屋、足袋屋、羽織のヒモ屋、関係ないのに和菓子屋もきて、一人の客=ぼくの相手をして、小あきないの専門店が「アテらみな400年続いてますねん」言うたはりました。はいからに言うたら、モジュール経営でんな。

芸妓・舞妓は京都のブルジョワが金に糸目をつけずに念入りに育て上げた、とあります。徳川時代、お金をもうけても、海外貿易は禁じられ、投資対象は多くなく、"けっきょく、みんな女に投資した"。--ええこっちゃがな。京都の姉妹都市ボストンに住んでたころ読んだ「Memories of a Geisha」いう本、旦那はん松下幸之助さんやいう噂でしたけど、そういうことでんな。現代、ブルジョワが少のなりました。ブルジョワはんらは、ビジネスに投資するばかりやのうて、文化に盛大お金使てください。

ベンチャー育成は文化政策や思いますねん。1億円のベンチャー100社つくるんやったら、任天堂はんや京セラはんみたいな大きい会社が100億円積んだらええことですわ。経済としては。それよりベンチャー増やそいうんは、もうけた独裁の創業者が芸事やら骨董やら女やらにお金まかはるいうことでしょ。文化ですねん。やってほしことは。

"市民はみんな比叡山にのぼったものだ。" 愛宕山は愛宕神社に、鞍馬山は鞍馬寺におまいりするためだが、比叡山は、"ただ、のぼるためにのぼった"。"修学院からまっすぐに急坂をのぼる、元気な子どもたちは、みんなこの道をあがったものだ。" 山のうえでは、"おばけ屋敷などという施設が、まいとしひらかれた。”

西陣から北白川に移り住まはった梅棹さん。ぼくは実家が西陣やけど、小学校は北白川のもっと北の修学院で、小学校の行事で毎年その修学院から坂のぼって比叡登山させられてました。その小学校の同級生、保育園経営日本一のJPホールディングス山口洋代表も元観光庁長官ヘンタイ溝端宏も、2コ下の前原誠司先生も、そうでした。うんと下のチュートリアルの2人もそうやったと思いますよ。

友だち同士でケーブルでヒエザン登って、おばけ屋敷行くんは楽しかった。ウラののれんくぐって入ったらタダでんねん。バット持って、出てくるおばけどついたったら、立命か産大のバイトの兄ちゃんのおばけが真顔で「どついたろか」いうて追いかけてくる、ほんま怖いおばけ屋敷やったんです。そんなガキどもばっかりでしたけど、もうつぶれましたかな、あそこ。

"東京、大阪では、「なんだ、学生か」とあしらわれても、京都へくれば依然として「学生はん」である。" 自由主義の温床。その思想は急進的であり、その行動は矯激である。そう書いたはります。60年安保前の文章ですもんね。でも、なんも変わってへんと思います。こないだ、ホンマ久しぶりに時計台のイベントに呼ばれて大学行ったら、総長の名前書いて、「○○打倒」いう看板が正門に立ってました。ぼくが学生の時は時計台に「竹本処分粉砕」て書いたあって、まだヘルメットとマスクがいたはりましたけど、今の時代でっせ、学長打倒いう看板を正門に置いたあるて、慶應ではえらい問題になりますな。京都では屁エでもおませんな。そのへん、スキです。京大、西部講堂、残しといとくんなはれ。

御所の周辺にある京菓子店では、「売ってくれ」などといってはしかられるという話。"「チマキのこってましたら、わけていただけまへんか」といわなければならない。御所上納ののこりものを、人民がいただくのである。"--そうなんや~。

で、皇居を移転して、儀典都市としての京都に、天皇を戻せ、という提案が出て参ります。政府みたいなやっかいなもんはいらんさかい東京に残しといたるけど、帝は戻しとくなはれ。上から目線と慇懃が溶け合った京都らしい提案ですな。首都機能移転より楽しく議論ができるお話やと思います。

羅城門を再建しろ、いう提案もされてます。映画や小説であこがれたラショウモンを見に来た外国人に、「もう1000年ほどまえになくなりました」というのでは "かっこうがつきません。" なるほどなぁ。京都の先人はこういうことにこだわらはったんどすなぁ。

ぼくもこの際、何か提案してみよかな。

う~ん、「京大入試はスマホ持ち込みアリにしろ」でどやろ。