改めて、MITメディアラボに学ぶ。

かつてぼくが所属したMIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ。80年代からデジタル技術のメッカとして名を馳せてきました。創始者のネグロポンテ教授は当時、アナログテレビに固執する日本に、デジタル転換を迫るなど、さまざまなメッセージを日本にも届けていました。

ただ、当時、デジタルは技術の時代で、アメリカ東海岸の大学や研究機関が力を持っていたのですが、その後、研究室を抜け出した技術は西海岸、シリコンバレーに移り、企業が技術を商品やサービスに転化して行きました。さらに今やデジタルは企業からユーザの手に委ねられ、世界のユーザが新機軸を生み出しています。

だから、大学は、苦しんでいます。ぼくもそうです。MITだって、そうでしょう。そんな中、メディアラボの前所長、フランク・モスさんが「MITメディアラボ」という書物を著しました。デジタルと大学の今の関わりを読み解く書です。

ただし、従来のメディアラボ像からみると、随分その姿に変化があります。強調されているのは、メディアというより、ロボット式義足、難病治療法発見、シティーカー。この10年のラボはメディア開発よりデジタル技術の公益的な社会応用に傾斜している。メディア開発は限界に来たということなのでしょうか。

振り返ってみれば、メディアラボが産み実社会に浸透したのは、本書にも紹介がある(キンドルに使われている)eインク、レゴ・マインドストーム、100ドルパソコンといったところ。ぼくらのチームが100ドルパソコンを提案したのは2001年のこと。それ以降のラボの成果はあまり聞こえてきません。

でも、デジタル分野はこの10年で爆発的に発展しました。マルチディスプレイ、クラウドネットワーク、ソーシャルサービス。10年前のPC、モバイル、ネット環境から様変わりしました。そのメディア激動の中、Google(スタンフォード)、Facebook(ハーバード)がアウトプットを示す一方、ラボが産んだものは何か。正直、名声が華やかなだけに悩み深い、というところではないでしょうか。

ぼくは10年前にメディアラボをスケッチした書物「デジタルのおもちゃ箱」を上梓しました。当時、研究現場にはワクワク感がありました。ちなみにここに拙著のまえがきがありますんで、当時の空気を参考まで。

http://bit.ly/P5e31i

一方、大企業の研究部門が廃止されつつある状況です。初代ネグロポンテ所長のセールストークは「企業研究所を作るよりMITに投資するほうが効率的」でした。であれば、再び大学にチャンスが来ているのでしょうか? あるいは全く場面が変わってしまい、もはや企業のカネは大学には戻らず、別の方向に流れるのでしょうか?

モスさんの本には、ぼくが関わったものの記述もあります。

脳性麻痺患者が作曲・指揮する感動エピソードに使われた、お絵かきすると作曲できるソフト「ハイパースコア」。記述はありませんが、これはぼくが調整役となり、CSK・セガ・アスキーが3億円をラボに投じたプロジェクト「トイシンフォニー」の成果です。日本プロジェクトと言ってよい。

トイシンフォニーはデジタル楽器の開発に注力しましたが、スポンサー3社はハイパースコアのような誰でも創造力を発揮できる成果を要求していました。実はハイパースコアは学生が作ったオマケのような成果なのです。しかしデジタル楽器はおろかオマケさえスポンサーはビジネスに活用できませんでした。産学連携は実に難しい。

しかし、これらプロジェクトに関してもそうですが、90年代終盤、故・大川功さんが35億円を寄付して新ビルが建ち、MIT大川センターが設立されることになったのですけど、それには一言も触れられていません。それがラボ側の認識だとしたら、ぼくがスポンサー代表だったら引きますねぇ。持続的な産学連携はどうすれば可能か。一つのケーススタディになります。

それを鏡にして、わが身を見つめる。ゲーム機やたまごっちやニコ動や初音ミク。日本も数々のイノベーションを起こしています。しかし、その登場に大学は役立ったのか。何らかの機能を果たしたのか。そうは思えません。どうにかしなければ。

自分のプロジェクトで言えば、デジタルキッズについてはメディアラボを凌駕したと自負しています。ただしそれは日本の子どもたちの創造力・表現力が高いから。つまり大学の技術力ではなく、ユーザの利用力が生んだ成果と思っています。日本のユーザ力を活用することに大学は力を入れたい。そのためのプラットフォームになりたい。改めてそう思っています。