霞ヶ関の辺境から

民主党政権は政治主導を看板に掲げ、官僚排除で運営を試みたものの、すぐに挫折して、官僚の力を復活させました。財務省が政権を牛耳りました。自民党政権では原発でショボンとしていた経産省出身者が要所を固め、復権が取りざたされています。いずれにしろ、霞ヶ関です。

一口に霞が関といっても、それぞれカラーがあります。財務省の前身、大蔵省は全省庁の予算に是非を下す究極の許認可官庁。ニコニコと人の話に耳を傾けつつ冷酷に首を切る力量が求められる。一方、通産省 (現経済産業省)は権限のない分野を開く狩猟族。ベンチャー志向おう盛な人種です。

ぼくは郵政省(現総務省)の出身です。だから、霞ヶ関のことについてコメントを求められたりすることもあります。でも、ぼくにはほとんど答えられません。

ぼくは80~90年代の郵政・通産戦争の最前線にいました。90年代初頭には郵政省の対通産担当に就き、直接交渉を任されました。通産省のカウンターパートたちは超エリートの切れ者ぞろいで、今も政官産学界の各方面で活躍中。ケンカしたくない相手ばかりでした。

他方、郵政省は10円切手を頭下げて売り歩く前垂れ精神。上半身(頭脳)より下半身(足腰)がモノをいう。のっそり津々浦々を歩く。肌に合っていました。ただ、ぼくはコミュニケーションや表現にしか興味がなかったので、通信・放送・コンテンツってとこに就職しようとし、企業は落ちて郵政省だけ受かったから門をくぐったんです。公務員志望というわけではなく、大蔵にも通産にも興味がなかったのです。

なんてカッコつけてみました。大蔵も通産も私のような不良を相手にするワケがない。ステージ衣装の黄色いスーツで面接に行くような田舎者を郵政省はよくもまぁ採用してくれたもんだと今さらながら思います。自分が人事担当ならそんなバカ必ず落とすもんね。

なのに通信・放送の融合とか、ハイビジョンやISDNの否定とか、コンテンツ政策の確立とか、ぼくは役所内で反主流の旗ばかり掲げて、またオマエかと叱られ続けていました。それでも筆頭補佐にまで登ったのは、恐らく他の役所ではあり得ません。おおらかでした。そういうDNAは、今も残っていると思います。

だから霞が関でくくられるのには違和感があります。特殊な役所出身だからというせいもあります。パンク出身だからエリートという感覚がないせいもあります。一般の霞が関論とぼくの感覚はズレています。

例えば経産省を辞めた古賀茂明さんの著書に、彼が課長のころ所管財団をつぶしたとき、局長が「省益に反する」と非難したという逸話があります。しかし90年代中盤に郵政省が規制緩和をグイグイ断行したのはまったく逆で、権限を離すのが省益となったから進んだのです。

通信・放送分野は、権限を手放すことで業界が活性化し、メディアも産業界も支持しました。それで担当者の評価が高まり、人事にもプラスとなりました。で、規制緩和のドライブが掛かったわけです。当時ぼくは規制緩和担当で、省内の規制当局に「緩和策を出せ」と迫る側だったのに、もういいよ!って止めなきゃいけないぐらいの勢いでした。

誤解されることが多いのですが、規制緩和というのは、既得権の破壊でもあるので、役所としては規制強化する以上に仕事としては大変になることも多いんです。いったん緩和したら再強化はできませんし。腹をくくる仕事の連続でした。

そんなに特殊なムラでも人種でもないと思うんです。評価メカニズムが大事なんです。今も役所たたきが続いていますが、権限を手放さない役所をたたくより、手放したやつを大々的に持ち上げてやればいい。実名でホメてあげて、出世させてやる。たたいてもたたいても、いい答えは出てきません。

TPPにしろ東電処理にしろ電波競売にしろ、断行することで担当が出世するように組み立てれば政策は進みます。そうじゃなくて、役所をたたいても、殻にこもるだけ。霞が関もしょせん人の集まりで、フツーにくすぐってあげればいいんです。

気になるのは、役所を飛び出して役所批判に明け暮れる元官僚。たいていは現役で政策が実現できなかった人たちの恨み言で、まぁそれは仕方のないこととしても、それを必要以上に取り上げるメディアの姿勢は、政策を歪めます。われわれ読み手側のリテラシー問題であることは承知しておりますが、メディアのみなさんもそのへん取り扱いよろしくお願いします。