ガキの記憶を紡いでみたい

仰げば比叡山。もう40年近くも来なかった母校、京都市立修学院小学校。幼いころ静岡にいたことは以前話しましたが、2年生からはこの学校です。校庭も、鉄棒も、登り棒も、プールも、変わってへんが、こんな小さかったか。講堂前の築山にある銅像は、こんな大きかったかいな。

銅像、「小林正直君」と彫られています。大正時代に講堂を寄贈した方らしいです。そのひとが自分のじいさんのじいさんに当たるということをむかしオカンが言うとったが、そんな資産家と、貧しい自分ちとはリアリティーが感じられないので、またまた~、オカン見栄はってどないすんねん、と思っていました。

しかし最近どうやらそれは本当で、じいさんの代に戦後のゴタゴタがあって、ぼくら子孫が割り食ってたということを知りました。そうとは知らず、小学生時代、いろいろ銅像にイタズラしてすみませんでしたアレはぼくでした。

2年下に、前原誠司というひとがいました。ぼくらが作った鉄道クラブに入ってきました。そのひとは、中学も高校も大学もずっと同じ2年下で、高校ではぼくらが作った野球部に入ってきました。大学でてから政治家になられたそうです。ぼくはまだ一度も話をしたことがありません。そのうんと下に、チュートリアルの二人がいます。チュートリアルはOBの誇りです。

ぼくはそんな立派なひとたちと違い、下の方でブラブラしていました。

特段、勉強ができるわけでもなく、運動に秀でているわけでもなく、お金もなく、時間ばかりもてあまして、京大の紛争で学生や機動隊が火だるまになるのを観に行ったり、吉本新喜劇のギャグを全て真似できるようになったり、自転車に銀玉鉄砲をくくりつけて戦争ごっこをしたりしていました。

よそのクルマに泥をぬりつけてるところをつかまったり、歯医者の邸宅に集団で花火を投げ入れて警察を呼ばれたり、空手道場の後輩の家に遠くから石投げたら窓ごと家の中にガシャーンと落ちてけが人が出たり、ほかにも書けないことだったり。

いつもヤマグチヒロミという親友とつるんでの所業であるから、学校からも目を付けられていて、何かまずいタレコミがあると、またあいつらかい、の二人でした。そのたび先生も、グーでボコボコ殴りました。そのヒロミとは以来、音信不通。死んだか、ろくな人生は歩んどらへんと思ってました。

ある日、その男と再会しました。驚きました。「JPホールディングス」という上場企業、保育園経営で最大手の代表になっていました。ぼくの全財産を一年で稼ぎ、政府からも頼られる人になっていました。「お前が役人になって、今や教授とは」「貴様が教育産業の社長とは」わはは。愉快やね。

もう一名、同級生にミゾハタヒロシという名のヤンチャがいました。勉強はよくできたが暴れん坊で、ぼくもその暴れっぷりには一目置いていました。そやつはJリーグ大分トリニータの社長を経て、観光庁長官に抜擢され、レディーガガとチューするなど、40年たってもいかんなくヘンタイぶりを発揮しています。

もう大昔となったガキの記憶はとぎれとぎれで、日々薄くなっていきますが、ヒロミやヒロシと飲むたび、それらがつながって鮮やかな像を形造ります。あったあったそんなこと。親友であれ、デジタルであれ、そんな具合に記憶を紡いでくれるのは、年をとるほどありがたいことです。

つながっていなかったり、とぎれていたりすることが、後になってデジタルでプチプチとくっついて、愉快なストーリーになることがあります。今もたまに旧友からFacebookやmixiで発見され、急に映像がよみがえることがあります。

そんなことは、若いうちはわかりません。だから、あらかじめ、小さい頃から、組み込んでおけばよい。自分の映像や周りの音を片っ端からデータベースにしておく。タイムカプセルをリアルタイムに造っていく。小さな画面でビデオを作れば70年分で10テラバイト。じゃあ生まれて死ぬまで起きている間70年ずっとビデオを撮り続けてハードディスクに貯めておきましょう。10テラならそのうち5万円ぐらいでハードディスクは買えます。国民全員が一生のストレージ空間を持って、記憶を紡ぐ。記憶を交換する。

想像もしない愉快なストーリーがたくさん生まれると思いません?