文化省という念仏

民主党から再び自民党に政権が移行するに際し、日銀の独立性が議論となりました。政府からの独立性を維持すべきか、政府・政権に従属させるべきか。ぼくは金融行政に提言できるほどの知見はありませんが、結局これは、政治と専門家(日銀)のどっちに信頼を置くかの判断になります。

似たような話がIT政策にもあります。通信・放送委員会、すなわち「日本版FCC」論議です。IT行政を独立させよという話。90年代終盤、橋本行革にて構想が浮上し、実はぼくはそれに反対したあおりで役所を辞めることになったのです。民主党政権になった後もそれが提唱され、ぼくはやめてくれ~、とまた反旗を翻しました。

日本版FCCは、官僚主導、規制強化、タテ割り行政の弊害をさらに加速させると思うんです。

まず、官僚主導。独立委員会というのは、文字通り政治から「独立」した存在です。言い換えれば、官僚が好き勝手にできるということ。公明正大な委員を据えたところで、実際に規制を担うのは官僚。政治コントロールが効かず暴走する恐れがあります。

独立委員会には米FCCや仏CSA(視聴覚高等評議会)がありますが、いずれも放送局に恣意的で不透明な介入をしています。規制が強い。英OFCOM(情報通信庁)も同様。そういう国のメディア行政が成功したかどうかを見ればいい。

そしてタテ割り行政。独立組織を作れば、新たなタテ割りが発生します。さらに、組織設計も困難。FCC論者は規制・振興分離をうたうのですが、ナンセンスです。例えば、青少年のネット安全問題。総務省の消費者行政課がフィルタリング措置(規制)を進めるとともに、リテラシー教育拡充(振興)も担当している。これを分ける意味もメリットもありません。むりやり分けると、振興:規制=総務省:日本版FCCの人員構成は、420人:280人。6対4の縄張り争い。二重行政は必至です。

ただでさえコンピュータや知財等のタテ割り行政の弊害が指摘されている中にあって、日本版FCCの設立はさらなるタテ割り構造を生む。民間には迷惑な話です。逆なんです。すべきことは、融合です。タテ割りの排除です。 

そこでぼくは日本版FCCに対抗し、新組織の設立を提案しました。「文化省」構想です。

総務省の通信・放送行政、経産省の機器・ソフト・コンテンツ行政、文化庁の著作権・文化遺産行政、そして内閣官房のIT本部と知財本部を束ねる官庁を作る。その上で、国土交通省のフィルムコミッション政策、外務省のソフトパワー政策など各省庁の情報関連政策との連携を強化していく。

この組織を貫く軸は「文化」です。21世紀の日本は知財や産業文化力で生きていくことになります。国民の創造力や表現力を高め、文化産業を育み、その基盤となるネットワークを整備していくことを担う。このため、組織名は、かつて取りざたされたこともある「情報通信省」ではなく「文化省」がふさわしい。

文化大臣は民間から起用します。民間大臣の起用は、放送に対する政治からの中立を求める声にも配慮するかたちになります。オノ・ヨーコさん、宮本茂さん、村上春樹さん、世界に名をとどろかせた人がいい。候補はいくらでもいます。

この提案はちょっとだけマジメに検討いただいた反面、結構ボコられもしました。ま、当然です。結局、民主党政権では、日本版FCCの話は立ち消えとなりました。また、その後、官庁の動きも活発化しました。

電子書籍をめぐっては、総務省、文科省、経産省が連携して施策を講じています。教育情報化では、総務省と文科省が仲良く実証研究を推進。オープンデータでは、内閣府、総務、経産、国交省らが連携。知財本部コンテンツ専門調査会では、計9省庁の代表が同じ方角を向いて政策競争を繰り広げるようになりました。

文化省を提唱した狙いは達成されつつあります。でも、その逆方向の動き、日本版FCCのような話は何度もゾンビのようによみがえります。だから今日もぼくは、霞が関からボコられつつ、「文化省を作ろう」という念仏を繰り返すのです。

一昨日開催された知財本部で山本一太大臣が「安倍首相に文化総理宣言を出してもらう」と言っていました。いいね!国の代表が文化で日本を再興すると表明する。まずはそこからでしょう。