巨人の星のころ

インド、コルカタで年を越しました。かつてカルカッタと呼ばれていた都市。起き抜けに宿のテレビをつけると、新番組「SURAJ」第1回が始まりました。クリケットの世界を生き抜くインド版「巨人の星」です。スズキ、ANA、日清食品、ダイキンらとタイアップし、日本のポップカルチャーとリアルビジネスとの連携プレイが注目されています。

重いコンダラもオロナミンCのCMもありませんが、とうちゃんは食卓をひっくり返し、養成ギブスも登場します。あばら屋の貧困層と高級車(スズキ)を乗り回す青年との格差も描かれます。60年代の日本と現代のインドを比べれば、バンガロールのIT企業のように、インドが圧倒的に走っている面もあれば、今も野良犬、路上生活者、物乞いにあふれるコルカタの街角のように、60年代の日本に遠く至らない面もあります。

巨人の星をリアルタイムで見ていた40数年前。静岡市立田町小学校に通っていました。「岸辺に建てる学舎は」校歌の一部、ここだけ覚えている。ある日ふと思い出し、全体の歌詞が知りたい、そう思って検索してみました。学校サイトに卒業生ゲスト講演会の報告が掲載されています。明治大学齋藤孝先生とある。日本語を声に出す先生だ。在校時期を見ると、ぼくと同学年だ。ふうん、かつて、そこに、一緒に、いたのね。記憶をたどると、思いがけず何かにつながる歳になったということでしょうか。

よし、行ってみよう。少し前の夏、静岡を訪ねました。小学校の向かいの文房具店、正門のたたずまい、木立ち、そうそう、記憶のままだ。広大な校庭。こんなに広かったのか。普通、昔の記憶をたどって現地に赴くと、こんなに狭かったかと思うものですが、ここは逆です。子どもには広大すぎて、そのイメージが飛んでいる。海、のようなものか。校庭の向こう、フェンスの先には、別のグラウンドがあります。静岡商業高校です。野球部が炎天下、さかんに声をあげています。

ぼくが小学校2年生のとき、そのグラウンドには高校1年生エース、新浦寿夫投手がいました。岸辺の学舎の、その川は安倍川。川原には掘っ立て小屋がてんでバラバラにたくさん建っていて、屋根を川原の石で押さえてある、台風が来たら流されてしまう、そんな集落。

新浦さんはそのあたりに住んでいて、ヒーローでした。甲子園決勝で大阪・興国高校に1-0で敗れた1年生本格左腕。事情があって、1年生で巨人に入団。まるで巨人の星のストーリーそのままです。学校の図画の時間、甲子園準優勝で市内をパレードした新浦さんの絵を描いたことを覚えています。

その川原。ぼくは放課後よく遊びに行きました。金谷くんや森くんたちとキャッチボールしたり、砂を掘ってケラをつかまえたり、その近所の兄さん姉さんたちにスイカ食わせてもらったりした、あの川原。

そこは、野球場とゲートボール会場に成り果てていました。あの不安定な家も、お兄さんもお姉さんも誰もおらず、野原でゲートボールに興ずる老人だけがいました。ぽっかりと、風が吹いていました。それを受け止める木々のざわめきも、あのころ漂っていた悲喜こもごも混じり合ったニオイも、一切合切が消し去られていました。

川の向こう、ぽっかりと森が見えます。木枯らしの森って呼んでたんじゃなかったか。あそこにブースカとチャメゴンが撮影に来たことがあったな、ブースカの頭、かぶらせてもらったな。記憶を刻んでおいて、いずれ誰かが紡げるようにしておこう・・。

近代化の名の下に捨て去られ、忘れられていくものがあります。その後に残るのは、荒涼とした風だけだったりします。集落の記憶も、いずれ風になってしまうのかもしれません。コルカタの雑踏の喧噪も腐臭も、インドの発展とともに消し去られるかもしれません。みんなそれを望んでいるんでしょう。SURAJはクリケットで成功し、スーパーカーに乗るんでしょう。私たちが飛雄馬に投影して大リーグボールのまねごとをしたように、インドの子どもたちはSURAJを自分に投影し、高度成長の夢を描く。でも、勝手な言いぐさではあるけれど、いまこの目の前のコルカタの姿を、音を、ニオイを、いとおしい記憶として、自分に刻んでおこう。そう思いました。

謹賀新年。