起業を持ち上げすぎるのもねぇ。

起業ばやり。特に「社会起業」ってやつが注目されてますな。すばらしい!サラリーマンになるばかりじゃなく、若者が自分でコトを始めることで、生き様や社会の間口が広がって活気が漲る。そのための環境も整えるべき。ぼくはそのために汗をかいています。

でもね、もてはやしすぎには違和感も覚えます。起業はあくまでアクションであり、ハウツーです。大事なのは、What。それで何をするのか。社会をどう変えるのか。その中味とボリューム。ビジネス起業と同じで、あくまで成功したかどうかが肝心です。起業家個人は業績で評価しないとね。

違和感というのは、起業する人たちにじゃなくて、それを評価する社会の側に対して。ビジネス起業にしろ、社会起業にしろ、経済社会へのインパクトが乏しい段階で、自伝や啓発書が出版されて注目を浴びるケースが目立つ。その評価法ってのは健全じゃないよなぁ、というか、そういうのがあっても賑やかでOKなんだけど、そんな言説が社会の真ん中に居座るとジャマだなぁと思うわけです。繰り返しますが、これはそのプレイヤーの問題じゃなくて、駆け出しを持ち上げてトレンド稼業を企む大人の側の問題です。

例えばぼくはNPO、社団、会社、コンソーシアムなど10個以上「社会起業」してますが、いくつか離陸したのもあればトホホな失敗も数多く、それをスッ飛ばして起業したこと自体だけで評価されるのは困ります。ところが風潮は、社会起業ドヤ顔で、オール礼賛なのが気味悪い。

松下幸之助さんやジョブスさんがビジネスを通じて社会を明るくした、それは大いなる社会貢献。 世界の衣生活を一変させたユニクロ柳井さんや、ぼくが社外取締役を務める保育園経営のJPホールディングス山口代表の功績は、社会起業の観点でも高く評価したい。その上で、NPO立ち上げましたドヤ顔の坊ちゃん嬢ちゃんを可愛がる、そんなバランスが欲しいです。

いやね、虚言が跋扈してると思うんですよ。ボリュームのある中味、現実世界に影響を与えるアクションが伴わない口先三寸や自己プロデュースがウケてることに対するじれったさと言えばいいですかね。もっと「本物」に光を当てたい。

普段ぼくはWhatよりHowが大事だと強調しています。きちんとしたWhat=すべきことがあり、それをアイディアで終わらせず実現するためには、Whatの10倍、どう遂行するか=Howが大事だということです。足腰を強化しよう、ということです。

でも今日言いたいのはその逆で、そもそものWhatを見る目が曇っていて、ヘンテコなHowがのさばってるよ、という現状。Whatがゼロなら、いくらHowを10倍にしても、アウトプットはゼロですから。

ぼくらの先輩は、うんと骨太でした。ベンチャーといえばソニーやホンダ。思い切り世界でフルスイングしていました。体制に身を寄せずベンチャーにも進めないドロップアウトは、学生運動で火だるまになり、社会起業=革命で山荘に立て籠もったり海外で乱射したりしました。Whatのスケールや気迫が違っていました。

そのスケールやリスクを取り戻せ、なんて無責任なことは申しません。おマエどうなんだ、って話ですから。ただ、少々光の当て方を変えてみたい。バランスを引き戻したい。そのためには、社会貢献のプロジェクトを自分で推し進めたり支援したりして実証していく。それしかないかなぁと思っております。