ぼくは政策屋です!

まずは自己紹介からいきます。

ぼくは政策屋です。パンクロッカーだったんですが、断念し、潜ってガリ勉し、官僚になりました。14年、政府にいました。大学(MIT、スタンフォード、慶應)に転出して14年。社会人になって官民でちょうど半々です。51歳。自分で表現・創造するクリエイターから、そのための舞台や社会を作るプロデューサとなることに転じ約30年。ずっと政策屋として生きてきました。

政策屋なのに霞ヶ関から大学に転出したのはなぜか?日本の役所にいたんじゃ政策遂行に限界があると感じたから。官庁のタテ割り、政治からの従属、国内に閉じた論理構造では、グローバルでダイナミックでボーダレスな経済社会の政策が実施しにくいと思ったから。

政府を脱出して参加したMITメディアラボという研究所は、当時150社もの企業スポンサーと強烈な同盟を結び、ビジネスやサービス、商品の工場であるだけでなく、政策メッセージを発信する増殖炉でもありました。ぼくが関わった$100パソコン構想は途上国を中心に世界35か国が受け入れています。

その4年後、日本センターの所長を務めたスタンフォード大学は、MIT以上に政治や経済に近い。コンドリーザ・ライス教授はブッシュ父子政権に参画しましたし、ジョン・ヘネシー学長はGoogleの取締役として企業発展に邁進しました。

スタンフォード日本センターはYahoo!と密接でした。ジェリー・ヤンさんが博士課程の頃そのセンターにいて、その事務をしていた日本女性と結婚し、帰国後Yahoo!を創業したんです。ぼくが所長だった4年間は富豪となったヤン夫妻の支援によって日米研究プロジェクトを進めていたんです。その後メディア系の大学院を設計しようとしていた慶應義塾大学に参加して6年になります。

やってることがバラバラ?そうかも。でも、やりたいことは一貫してメディア政策の企画・実施です。しかも、政府に提言するだけでなく、自ら組織やプロジェクトを設計し、実行に移すことが本務。ミッションは産学プラットフォームを作ることです。

んなコトばかりやってるので、コイツ学者じゃねぇという批判を受けます。そうなんです。学術論文に注ぐ余力があれば、産官学プロジェクトに注いでしまいます。教育に割く時間があれば、政策立案に割いてしまいます。すみません。でも、日本はそこを強化しないと死ぬと思ってるんですよ。

慶應に移って実行していることは、まずは政策作り。メディア融合法制、コンテンツ政策、IT特区、教育情報化などを企画し、現実の政策として発動するまで運動しています。

デジタルサイネージなど、産官学の連携によるメディア開発も進めています。デジタル教科書の普及促進、子ども創作ワークショップの開発・提供なども政策プロジェクトとして手がけています。そのエンジンとして、企業コンソーシアムや社団法人、NPO、株式会社など活動に適した組織も立ち上げ、運営にも身を投じています。

そんな政策屋のやってること、これからぼちぼち案内していきます。