「生とは何か?」「死とは何か?」

「そしてあなたは何者か?」

 死ぬまでにいつか答えを出しておきたいと思いつつ、きちんと向き合うのさえ怖い。そんな根源的な問いについて、考えるきっかけを与えてくれる演劇に出会った。

 その名もずばり「テラ」。劇場ではなくお寺を舞台にして、仏教思想をベースに展開する。といっても堅苦しいものではない。観客は演者からの問いかけに木魚を叩いて応えるという、参加型演劇の楽しさもある。

 演出は坂田ゆかり、ドラマトゥルクという役割で渡辺真帆が加わる。もともと2018年に東京で初演されて話題になった作品だ。いつか再演されることがあれば是非とも生で観たい、木魚を叩いてみたいと切望していたところ、このたび京都で再演されるとの知らせを聞き、思わず足を運んでしまった。

 また、この作品は「テラジア・隔離の時代を旅する演劇」という、アジアのアーティストたちとの演劇プロジェクトの一環でもある。「人」ではなく「作品」にアジア各国を旅させようというユニークな試みで、日本版「テラ」をベースにした各国バージョンが順次上演されることになっている。すでに昨年、タイで上演されており、これを配信で見たのが私が興味を持ったきっかけでもあった。次はベトナムでの上演が予定されているとのことだ。

 「京都編」の舞台となったのは、興聖寺。京都駅からバスで30分ほどのところにある臨済宗のお寺だ。観光客は受け入れていないので、日曜でもひっそりとしている。毎朝6時から座禅会が行われているらしい。

※筆者撮影
※筆者撮影

 京都編は、初演の構成をベースにしつつ、興聖寺ならではのアレンジが随所に加えられている。もちろん時節柄、感染拡大防止対策を施しての上演だ。1席おきになっている客席には1つずつ木魚が置いてある。そして目の前には大きな仏像。この像は道端でも見かける「お地蔵さん」だそうで、地獄に堕ちそうになった人もお地蔵さんに頼むと連れ戻してくれるかもしれないとのこと。この「地蔵」も劇中にて重要なキャラクターとして登場する。

 物語はいくつかのパーツのコラージュのようになっており、これらを繋いでいくのが稲継美保演じる「京極光子さん」だ。基本はこの寺の娘という設定らしいが「ちょっと、行ってくるわね」という一言を残して消えたかと思えば、違うキャラクターとなって現れ、時に詩を朗読したり、大衆演劇的なお芝居となったり、インスタライブ風な一人芝居が始まったりする。

※写真撮影:北川啓太 (Keita Kitagawa) 
※写真撮影:北川啓太 (Keita Kitagawa) 

※写真撮影:北川啓太 (Keita Kitagawa) 
※写真撮影:北川啓太 (Keita Kitagawa) 

 各パーツは一見刹那的でつながりがないように見えるが、ふとした瞬間の深い問いかけにドキリとさせられる。

 やや難解で意味不明な詞章の朗読が続いていた時のこと。前の晩の睡眠の浅さのせいか、次第に眠気が…これはまずいと思っていたところに「それがあなたの人生」といきなりたたみかけられた。眠くなっちゃうくらいぼんやりとしてよく分かっていないもの、それが私の人生? なんだかそんなふうに言われたみたいな気がした。

 作品の世界観を盛り上げるのが、打楽器のリズムだ。コンガやジャンベ、シェケレというキューバの楽器など、さまざまな民族楽器の音も入り混じる。読経をしながら観客も木魚を叩いて一緒にリズムを作っていく場面もある。音楽を担当するのは田中教順だ。

(アフタートークでの質疑応答で「あなたは何者ですか?」といきなり問われた時、田中は「リズムでありたいと思っています」と即答していた。カッコ良かった)

 そして最後はお待ちかねの木魚問答。煩悩と同じ数の108の問いに対して、観客自身がそれぞれ「イエス」なら木魚を叩いて答えるのだ。

 質問は「今、好きな人はいる?」「お金をもらえるとしたらいくら欲しい? 欲しい金額だけ木魚を叩いて」といった無邪気なものから、「自分のことが嫌い?」「人を裏切ったことはある?」「人を殺したいと思ったことはある?」といったシビアな問いになっていく。隣の人が自分とは全然違うところで木魚を連打していることに驚きつつ、いつしか自分も答えづらい問いにも心を開き、木魚を叩くのに没頭してしまっている。

※写真撮影:北川啓太 (Keita Kitagawa) 
※写真撮影:北川啓太 (Keita Kitagawa) 

※写真撮影:北川啓太 (Keita Kitagawa) 
※写真撮影:北川啓太 (Keita Kitagawa) 

 「あなたは誰?」「生きるとは?」「死とは?」…もちろん、どれも簡単に答えが得られる問いではない。

 つまり、この作品を通してわかるのは「自分は何も分かっていない」ということだ。日頃は気付きもしないけれど、じつは私が生きているのは茫漠とした闇の中なんだなあ。前回、タイバージョンの配信を見た時もそんな気がしたが、今回もやっぱりそうだった。あまり進歩がない。それが人間。

 ちなみに観客が叩く木魚だが、寺の持ち物かと思いきや、この作品用にAmazonで購入したものなのだそうだ。ということは、これからも再演可能ということでは? だとしたら、また違うお寺での違うバージョンも観てみたい。受け取るものは自分次第の鏡のような演劇だからこそ、これからも節目ごとに体感してみたいと思うのだ。

 だが、あの根源的な問いの数々にスパッと答えられる日は一生来ない気もする。人間とは闇の中を生きている無知な存在、そのことを体感して謙虚になりたい。むしろ私は、そんな時間を欲しているのかも知れない。

開演前に付近を散歩。ちょうど桜が満開だった(※筆者撮影)
開演前に付近を散歩。ちょうど桜が満開だった(※筆者撮影)

<公演情報>

『テラ 京都編』

2021年3月26日(金)~3月28日(日)

京都・興聖寺