「大学生のリクルートスーツは没個性、日本は終わっている」という茂木健一郎氏の勘違いした発言について。

新卒一括採用が生まれた背景は……?(写真:アフロ)

先日、脳科学者の茂木健一郎氏がリクルートスーツを着た大学生と出くわしたことをきっかけに、この国は終わっているとつぶやいたことが話題となっている。

今日の夜、東京のある駅の近くを歩いていたら、全く同じようなリクルートスーツをきた学生の集団が数十人、騒ぎながら通り過ぎていた。画一性。没個性。この国は、本当に終わっているんだなあ、と思った。経団連のお墨付き。

2017/6/6

別に、服装で個性出せ、とか大袈裟な話をしているわけではなくて、規定があるわけでもないのに、自分たちで自己規制して、あそこまで同じ格好をするのはおかしいでしょ、と言っているだけ。スーツだって、いろいろな形やデザインがあるでしょ。誰もジーンズで行けなんて言ってないよ。

2017/6/7

出典:茂木健一郎氏のツイッターより。

二つのつぶやきには多数の反響があり、ニュースとしても報じられた。

茂木氏に関わらず、新卒一括採用は度々批判の対象となるが、原因は学生や企業にあるのだろうか。茂木氏のリクルートスーツ批判は毎年恒例で「春の風物詩」とまで揶揄されているが、結論から言うとこの発言はトンチンカンとしか言いようがないほど間違っている上に、浅い批判である。

■日本はいまだ戦時中、というお話。

茂木氏は自身に寄せられた批判や意見に対して、以下のように答えている。

「あくまでも、最終的に服を選択するのは「学生」側であって、誰も法律やルールでそれを強制しているわけではない。」

「私は、以上のような「リクルート・スーツ」に関する現状が、日本の停滞と関連しているという認識を持っている。」

最後に。

「多様性の基礎は、それぞれの人が自分で考え、判断すること。」

出典:リクルート・スーツ問題の本質より抜粋 茂木健一郎オフィシャルブログ 2017/6/8

これらの回答を読んでもまだ茂木氏の批判は浅いと言わざるを得ない。なぜ新卒一括採用やリクルートスーツが生まれたのか?という部分への言及が一切ないからだ。

新卒一括採用がいつから始まったのかは諸説あるようだが、企業にとって合理的な行動であるような仕組みが出来上がったのは、おそらく戦時中であると思われる。

経済学者の野口悠紀雄氏は著書「1940年体制(東洋経済新報社)」の中で、「日本は敗戦で生まれ変わった」「戦前と戦後の日本は別物である」という考え方は少なくとも経済に限っては間違っており、戦時中の体制がその後も継続して現在に至っていると指摘する。

その範囲は金融、雇用、土地、官僚制度などあらゆる分野に及んでいるという。終身雇用や年功序列は日本の文化であると主張をする人は少なくないが、江戸時代には会社も無ければ終身雇用も年功序列もない。野口氏は従来日雇いの多かった被雇用者は戦時体制の中で月給制の割合が増え雇用の安定をもたらしたと指摘する。

雇用に関する制限は賃金制度にまでおよび、賃上げは建前上認めない、例外は全員一斉に賃上げする場合に限る、ということで定期昇給の仕組みが生まれた。そして給料の性質は個人の能力に応じた賃金から勤続年数に応じた生活給へと変化し、企業は株主のものであるという教科書的な発想から従業員の共同体へ変貌を遂げた。

株主の権利が制限され、配当に対する制限も加わった(驚くべき事に日本は戦時中も株式市場は開いていた)。配当の制限は株価の低迷を引き起こし、企業は従業員のもの、資金調達は市場を通じた直接金融から銀行を通じた間接金融へ、という変化を後押しした。

※戦時中の株価はある程度上向いているが、株価上昇を上回るインフレによって実質的にはマイナス。

戦前の日本は教科書的な資本主義でありながら、それが変化した次期は上記の通り戦時中であり、その原因は国家総動員法にあると野口氏は指摘する。国家総動員法はその名の通り、あらゆる人的・物的な資源を戦争で勝つことへ振り向けるための法律である。株主や従業員が利己的に競争する事を制限し、軍事産業へ生産力を注力することで勝利を実現する……。

こうして作られた法制度が敗戦後も残った。結果として国が経済を主導する日本型資本主義が生まれたことで高度経済成長を成し遂げ、同時にその後の長期にわたる景気停滞の原因ともなっている。

日本経済は戦後から半世紀以上たった今も戦時体制にある……これが1940年体制で野口氏が述べていることの概略である。

茂木氏が新卒一括採用の仕組みやリクルートスーツに、何者かに強制・統制された一糸乱れぬ行動を見出して気持ち悪さを感じたのであれば、おそらくそれは正しい。なぜならその根っ子には戦争で勝つことを目的に生まれた統制経済の発想があるから、ということになる。

■新卒一括採用は正しいけど間違っている。

企業は利益の追求を目的とした組織的であり、それなりに合理的に行動するものである。東芝の迷走等を見ていると断言する事もはばかられるが、それもまた上記の通り株主の権利を制限してきたことが原因となっている。つまりどんな行動にもインセンティブに基づいたそれなりの理由があるということだ。

日本の解雇規制の強さは転職の少なさを招いている。したがって大手企業が優秀な人材を大量に確保したいのであれば新卒時に採用するしかない。自社が優秀な人材を確保して、同時に他社へ優秀な人材を採用させない、という目的を達成するにはほかに手段はない。

ただ、新卒一括採用は解雇規制と相まって、タイミングによっては就職氷河期など自身の能力や努力では克服できない不平等も産んでいる。高校卒業後に一度働いた後に大学で学ぶ、といった海外では珍しくないキャリアプランの障害にもなりうる。

新卒一括採用は正しいか?間違っているか?と問われるなら、その解答は「正しいけど間違っている」ということになる。現在の法律を前提に考えればそれなりに正しく、法律の変更も可能であるという前提で考えれば間違っている、と言える。

■就活の進化はマーケティングの果てにある。

ライバル企業が同じタイミングで同じような新商品を発売する事がある。これは同じ客層をターゲットにマーケティングを重ねた結果である。学生の服装がリクルートスーツで統一され、ある程度画一的になる理由にはこんな事情もある。進学率は急激に上がり、少子化の中でも大卒数は増加し、ライバルに勝つため工夫を重ねる。その結果、皆が似たような行動をする。

これを画一的と呼ぶか最適化と呼ぶかは人それぞれ勝手にすれば良い。学生の目的は個性的である事ではなく就職をすることであり、企業の目的はより優秀な人材を採用する事だ。皆がリクルートスーツを着てるなんておかしいという指摘は当事者からすればどうでも良い話だ。

新卒一括採用は終身雇用や年功序列型の賃金と密接にかかわっており、企業も学生も現在の状況に最適化した結果が現在の就職活動である、と考えるのが自然だ。そして仕組み全体が間違っていると考えるのであれば、批判されるべきは経団連でも企業でも学生でもなく、法律を作っている政治や行政である。

なお、上記のような日本型企業の特徴は大企業であるほど顕著に現れる。就職企業ランキングの上位にあるような企業は給料が高い一方でそのほとんどは長時間労働が慢性化し、辞令ひとつ転勤させられる。これは言うまでもなく、解雇リスクが低いメリットの裏返しである。

■原因と結果を取り違えるな。

何か分かりやすい問題が発生した際に、表に現れた現象を「これが原因だ!諸悪の根源だ!」と批判するのは容易い。ただ、実際は表に現れた現象は「原因」ではなく「結果」である事は多い。

例えばデフレのせいで日本の景気は悪くなったと言われる事は多いが、実際は「景気が悪くなったからデフレになった」と考える方が自然だ。つまり原因と結果は一般的に言われている話とは逆になる。

日本経済は長期にわたる景気悪化を「従業員の解雇」ではなく「給料の引き下げ」で乗り切った。そのため購買力は低下し、企業は価格の引き下げを余儀なくされた。その結果給料はさらに下がり、商品価格も下がり……とデフレスパイラルと呼ばれる状況に陥った。つまりスタート地点はデフレではなく景気悪化だ。

現在行われているアベノミクスは「インフレになれば景気は良くなる」という理論のもとに行われているが、これが誤りであることは多くの経済学者も指摘している。その根っこには上記の通りデフレは不景気の結果であって原因ではない、という考えに基づいている。

このように、ちょっと問題が複雑になるだけで原因と結果の取り違えは誰でもやってしまう。そして新卒一括採用もリクルートスーツも「原因」ではなく、日本型経営や日本型雇用から生まれた「結果」である。

■新卒一括採用は無くならない。

大手企業が新卒一括採用を行う理由は現在の法律や慣習を前提とすれば最も効率が良いからだ。その弊害も多々あるが、すでに書いた通り様々な要素と密接な関係にあり、学生個人の意思では動かしようがない。

茂木氏がブログで書いているような、人間はみな自由なんだ! どう生きるかはお前次第なんだ!という呼びかけは無責任と言わざるを得ない。

例えばメガバンク等は毎年1000人以上の学生を新卒採用している。中途採用で1000人も採用する膨大な手間を考えれば、学生が卒業するタイミングに合わせて選考を行い、一気に採用する事は企業としてなんら非合理的な事ではない。

新卒一括採用の慣習を無くす一番簡単な方法はおそらく解雇規制の緩和だろう。解雇規制の緩和で労働市場の流動性が高まれば新卒で採用しなくても良いという企業は増えるに違いない。茂木氏は新卒一括採用とリクルートスーツを無くしたいのであれば、解雇規制の緩和を主張すれば良い(その分、若年者の失業率は高まるが)。

そして、それでも毎年1000人も採用するような大企業は新卒採用をやめることは無い。必要な人材を効率よく大量に確保する手段は他にないからだ。自分の意見を言うのであれば、解雇規制を緩和したうえであとは企業・学生がそれぞれ自由に行動すれば良い、ということになる。新卒採用がゼロになることは無いと思うが、一括採用と呼ばれるような状況は無くなるだろう。

※解雇規制については「金銭解雇の導入で給料は上がる」で書いた。

■茂木氏の批判は短絡的である。

このように、表面に現れた現象を原因ではなく結果として考え、なぜこんなことが起きたんだろう?と追及する事は真相に近づくための極めて基本的な発想方法である。

つまり新卒一括採用やリクルートスーツへの批判は、原因と結果を取り違えた典型的なダメな考え方ということになる。脳科学者の茂木氏にしてはあまりにお粗末と言わざるを得ない。

茂木氏は先日、日本のお笑い芸人はオワコンと発言したことで批判を受けたが、それに対してお笑い芸人のウーマンラッシュアワー・村本氏から「お笑いの素人で居酒屋のおっさんと一緒」と反論を受けている。今回のリクルートスーツ批判と同じだ。

海外のお笑い芸人は政治批評などもっと過激なお笑いをやっているという指摘に対して、村本氏は日本のお笑い芸人はテレビで出来る範囲で海外の芸人と比べても非常に高度なお笑いをやっているという。

その上でアメリカならばケーブルテレビ等で多数のチャンネルがある状況に対して日本では地上波のチャンネル数が限られており、嫌なら見るなというスタンスが通用しない状況では自主規制の強さも仕方がない、テレビを批判するのもおかしい、という見解を示している。

なぜ日本のお笑い芸人は差別や政治をネタにしないのか?という疑問に対しても村本氏は、見る側も演じる側も身近でない話題はお笑いのネタにならない、そういうネタは日本だと小さい劇場で見たい人だけが見ていてテレビでは放送出来ない、アメリカ人がトランプ大統領をネタにするのは単に身近でいじりやすい存在だから、と海外と日本では文化的な背景が違うことを説明している(ウーマンラッシュアワー村本大輔の土曜The NIGHT #34|AbemaSPECIAL参照)。

お笑いと雇用で異なるカテゴリだが、背景にある複雑な状況を無視した議論をしても仕方がない、という意味では全く同じ話になっている事が分かる。

茂木氏が新卒一括採用やリクルートスーツを否定することは自由だ。ただ、それを理由に日本が終わっているとまで主張するのであれば、その背景にある構造まで深掘りした議論をすべきだろう。

※1940年にリクルートスーツなんて無い、といった誤解した感想が散見されたので追記。新卒一括採用や終身雇用など日本型雇用の仕組みは1940年体制の上にあり、リクルートスーツもその流れの中で生まれた一つの結果に過ぎない事を野口悠紀雄氏の著書をひいて説明した。