強制捜査を受けた電通、新入社員の自殺事件は長時間労働が原因ではない。

電通の新入社員の自殺事件、原因は長時間労働では無い。(写真:ロイター/アフロ)

本日10月14日、広告代理店最大手の電通が強制捜査を受けた。

広告代理店最大手・電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)の自殺は過労が原因の労災と認定された問題で、東京労働局と三田労働基準監督署は14日午後、東京都港区の電通本社に対し、労働基準法に基づく強制調査「臨検」に着手した。臨検後、電通の労使協定が認めていない月70時間超の時間外労働など具体的な法令違反を確認した上で是正を勧告(行政指導)する方針。悪質と判断した場合は刑事処分を求める書類を検察庁に送ることも検討する。

出典:<新入社員自殺>電通に強制調査 是正勧告へ 東京労働局 毎日新聞 2016/10/14

上場企業が取引時間中に強制捜査を、しかも労働基準監督署から受けることは極めて異例だが、前日13日に行われた働き方改革の意見交換では、安倍総理が電通社員の自殺が労災認定された件について、二度と起こってはならないと発言したと報じられている。一罰百戒と取れなくもないが、大手上場企業が労働基準法で強制捜査を受けた意味は同社のみならず国内すべての企業にとって極めて重い意味を持つ。

入社した年のクリスマスに過労で自殺した社員がいたことについてはすでに多数の報道がなされているが、残業が月に100時間を超えていた点ばかりにスポットがあたっている。長時間労働が自殺の原因になった、労働時間を抑制すべき、という声が高まっている。果たしてこれは正しいのか。

■長時間労働の規制は入り口に過ぎない。

今回の電通の事件は何が原因だったのか、個別の事情として正確に調べるべきであることは間違いない。労災として認定されていることから、直接的には長時間労働のせいで自殺したことは客観的な事実として考えて問題はないだろう。

ワタミでも過去に新入社員がたった二ケ月で過労による自殺に至った事件について、ご両親が和解金を元にブラック企業と戦うための基金を作った話を記事で書いた所、多数の反響を頂いた。(ワタミに入社二ケ月で自殺した娘さんの両親が和解金でブラック企業と戦う基金を設立した件について。)。

結局、こういった事案を見る限り企業や従業員全体を縛る法律としては労働時間を基準とする以外に対応方法は無い。日本全国で何千万人もいる従業員を一人ひとりチェックして「この人は150時間までなら残業が可能」「この人は30時間が限界」などと個別に対応することは不可能だからだ。

過労は長時間労働だけで発生するわけではないが、過労を防ぐ最も効果的で効率的な対策は長時間労働の規制である事は間違いない。インターバル規制といって、終業から始業までの間隔を一定時間取ることも必要だろう。これは本来ならば明日からでも実施すべきだ。

こういった法律ができた後、それでも電通のような上場企業で同様の事件が起きればどうなるか。

強制捜査を受ければ、あるいは経営者が逮捕されれば株価は急落し、株主に説明が立たず、何より経営者や役員個人が株主代表訴訟で莫大な損害賠償を背負う。個人の責任を追求することは意味がある。それだけ重い責任を背負っているからこそ上場企業の役員は高額な報酬を受け取っているわけだ。結果として経営者が自ら従業員の労働時間のデータをチェックする事になるだろう。

■原因と結果を取り違えるな。

ただ、ここで更に踏み込んで考える必要がある。100時間の過剰な残業が自殺につながった、という話だけで今回の事件を終わらせていいのか? 長時間労働を規制する法律ができれば全て解決、ということになるのだろうか?

現実に100時間ほどの残業をしている人は多数居て、就職人気ランキングの上位にランクインするような企業は長時間労働が当然という企業ばかりだ。そういった企業の制度・法律・労働慣習・仕事の進め方などを一切変えずに労働時間の短縮だけを法律で強制して起きることは、言うまでもなく人手不足の発生だ。ただでさえ人手不足が深刻な現状に拍車がかかり、形式だけ労働時間の短縮化を強制させれば労働時間の改ざんや持ち帰り仕事が多発する。

上記の引用した記事では、労使協定の上限である70時間を超えた勤務時間は申告しないように指示を受けていたと報じられるなど、すでに会社側の指示による改ざんの可能性が被害者側の弁護士より指摘されている。

もちろん、そういった問題も罰則を厳しくすればある程度抑えることは出来るだろう。飲酒運転は厳罰化により摘発件数が激減した(一方でひき逃げも増えるという新たな問題も増えているように見えるが……)。ただ、そこまでやれば労働力不足で潰れる会社は確実に出る。仕事が無くて倒産ではなく、仕事はあるのにその仕事をやってくれる人がいないから倒産する、という状況だ。

結局、考えるべきことは100時間の残業が良いとか悪いといった話ではない。過労死基準を超えている時点で悪いに決まってるのだから議論の余地はない。問題は100時間も残業をしないと企業が存続できないという生産性の低さにたどり着く。つまり長時間労働は「原因」ではなく、生産性の低さからくる「結果」であるということだ。

■労働時間の規制だけでは何も解決しない。

例えば病気で熱が出た時に、これが「原因」だと考えればとにかく熱を下げるために解熱剤を飲ませればいいという話になる。そうではなくなぜ熱がでているのか?と考えれば深刻な病気を患っているかもしれない、とさらに踏み込んだ治療になるだろう。そして長時間労働によって自殺者がでているのであれば、ただ長時間労働を減らせば良いと決めつけるのでなく、根本的な原因として長時間労働が発生する原因を根っこから改善すべきということになる(そうでなければ労働時間の改ざんと持ち帰り仕事が増えるだけ、と書いた通りだ)。

これはすでに池田信夫氏が生産性の観点から指摘をしている。

問題は彼女のツイッターに残されている労働環境だ。資料づくりに朝4時まで残業するという昭和的な仕事のやり方が、日本のホワイトカラーの労働生産性が低い原因だ。

出典:電通「過労自殺」事件にみる労働生産性の低さ 池田信夫 言論プラットフォーム・アゴラ 2016/10/10

自分は電通の社員が普段どのように働いているのか、密着取材をしたわけではないのでいい加減なことを書くつもりはない。ただ、長時間労働をせざるを得ない環境があったことは間違いないのだろう。

電通のライバルである博報堂出身の中川淳一郎氏は、広告代理店を「客に対して忠義を徹底的に尽くす社畜集団」であるとして、金額の大きい案件を奪い合う状況になれば長時間労働は確実に発生すると指摘する(電通新入社員が自殺 広告業界に蔓延するクソ長時間労働の根深い実態を書いておく 中川淳一郎 2016/10/08)。

現状ではチキンレースのようにライバル同士が同じように無茶な働き方をする中で、一社だけ労働時間を短くすれば他社に仕事を奪われる。ただ、現在のコンプライアンスは自社が違法行為を行わない事はもちろん、違法行為を行う取引先を排除するところまで意識が進んでいる企業も少なくない。したがって全ての企業が同じように労働時間の規制を受け入れれば不要・過剰な競争を一定程度抑える事は可能ではないかと思う。

ただ、それでも最後に残る問題は生産性の低さだ。国内で発生する競争は日本の法律で管理できるが外国企業とは異なる条件で競う。品質より価格や量が勝負の分野で負けることは間違いなく、とっくにそのような状況になっている分野も多数ある。わかりやすい例で言えば洋服はほとんどが外国産で、一部に残る国産品はブランド化に成功した高品質・高価格なものばかりだ。

■生産性の向上とは「手抜きと値上げ」。

生産性に関する難しい話は経済学者や経営学者に任せておくとして、零細企業の経営者である自分が考える生産性の向上は「手抜きと値上げ」だ。元参議院議員でシンガポール国立大学教授の田村耕太郎氏は「NYで経験したアメリカの生産性の高さ~生産性と顧客満足度は全く別(2016/10/02)」と題する自身の体験談をフェイスブックで公開した。

ニューヨークの高級ホテルやレストランに訪れた田村氏はそのサービスについて、日本の同クラスのホテルやレストランと比較にならないほど質は悪いのに価格は高い、と指摘する。ただ田村氏はそんな状況に腹を立てているわけではなく、それどころかサービスが悪くても高値で売れるから生産性が高い、と以下のように感心している。

「皆で一斉に過剰サービスをやめれば生産性は高まるとの論もあろうし、テクノロジーの導入で満足度を落とさないでも生産性は高められるかもしれないが、そもそもあんなサービスであれだけの値段をふっかけても世界中から人が集まり続ける土地の持つパワーが違うといったらそこまでかもしれない。」

生産性の向上について最近では度々話題にのぼり、過剰なサービスを提供するから日本は生産性が低いといった話も聞く。その解決方法としてきっと高尚な議論もあると思うが、こういった話を読む限り、解決策はやはり手抜きと値上げしか結論は出ない。

■値上げで行列、それでも客があつまる東京ディズニーランド。

手抜きした商品・サービスが売れるわけがないと言われそうだが、東京ディズニーランドのように頻繁に値上げをしているにもかかわらず、一つの乗り物に何時間も待たせ、それでも顧客が殺到する商品やサービスもある。もちろん、ディズニーランドは対策を打っていないわけでは無いが、それでも行列で何時間も待たされる状況はある。

待ち時間が長いという不満が指摘される一方で、ディズニーランドは長期間にわたって支持され続けている。これは価値を提供する箇所と、手抜きをする(あきらめる)箇所でメリハリをつけて明確に区分けしているからだろう。こういった手法はブルーオーシャン戦略という経営に関する書籍で10年以上も前に指摘されている。

顧客にとっては無価値なのに手間やコストをかけている箇所はバッサリと切り捨てる、ただしその一方で求められている機能を強化し、さらに従来はなかった新しい価値を付け加える。こうすることでコスト競争から逃れることが可能となる。国内企業ではライザップと行列ができる本屋の共通点でという記事で一般的なスポーツジムとライザップの違いを論じたが、ブルーオーシャン戦略として分かりやすい事例だと思われる

ツイッターのつぶやきが正しいのであれば、電通の社員が朝4時までレポート作っていたと聞いて顧客は果たして喜ぶのだろうか。そんなどうでもいい部分にコストをかけているのなら値下げしてくれとか、この部分にもっと力を入れてくれとか、顧客の要望からズレたサービスを提供していた可能性は無かったのか。

■「殿様商売」が理想のビジネスモデルである。

日本には「道」と名の付くものが多数ある。茶道、華道、書道、柔道、剣道などだ。いずれも重視されるのは他者の視点や結果以上に自身の心構えや精神性だ。

柔道と茶道に共通点があることは驚きだが、ただ相手に勝つとか美味しいものを食べて貰うといっただけにとどまらず、自身を磨き上げることに重きを置く。そしてありとあらゆるものを「道」にしてしまう。それ自体は素晴らしい文化だが、仕事にまでその概念が持ち込まれた結果、「仕事道」となり顧客が求める以上の(あるいは全く求めていない)仕事を提供することが日本の企業文化になっていないか。

「誠心誠意を尽くしたサービス」を提供する理由はあくまで顧客が求めるから、そして対価を払ってくれるからであって、自身の精神性を磨くためではない。経営者や自営業者がそういった事をやりたいのなら勝手にやれば良いと思うが、そこに従業員まで巻き込こんで過労でうつ病にさせたり自殺させたりするような働かせ方は到底許されるわけもない。

労働人口が急激に減っている現在、求められるビジネスモデルは幕の内弁当のような何でも入ってるけど記憶に残らないノッペリとした商品ではなく、柔道や茶道を真似たような精神性を磨く(実際は社員を疲弊させる)仕事道でもなく、ディズニーランドやライザップのようなメリハリの利いた「殿様商売」ではないか。

最後になりましたが、今回の事件で亡くなられた高橋まつりさんのご冥福をお祈りします。

【参考記事】

ワタミに入社二ケ月で自殺した娘さんの両親が和解金でブラック企業と戦う基金を設立した件について。

破れたソファーと落書きを放置するマクドナルドはしばらく復活出来ないと思う件について。

年収1100万円なのに貯金が出来ませんという男性に、本気でアドバイスをしてみた。

1億円の借金で賃貸アパートを建てた老夫婦の苦悩。

話題のケンタッキーフライドチキンのちょい飲みが酷過ぎて、全国展開は無理だと思った件について。

【補足】

今回の強制捜査は影響力で言えばライブドアショックに匹敵する可能性があるが、いまだそれが理解されているとは言い難い。強制捜査に関する詳細な解説は社労士の榊氏の記事を参考にされたい。

●電通への強制捜査、その真意を読み解く4つのポイントとは? (社会保険労務士 榊 裕葵) : シェアーズカフェ・オンライン

中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 ファイナンシャルプランナー