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四川大地震から13年。生き抜いた一頭のブタの死で、中国人が思い出すこととは?

中島恵ジャーナリスト
四川大地震のときに生き残ったブタ(四川省・建川博物館のサイトより)

 6月17日、中国メディアで「ある一頭のブタ」に関する悲しいニュースが流れました。四川省汶川(ぶんせん)で2008年5月に発生した「四川大地震」の際、発生から36日後にガレキの下から奇跡的に救出されたブタが老衰のため死んだ、という内容でした。

 このブタは中国で「猪堅強」(強いブタ、という意味)と呼ばれ、救出された後は成都市郊外の博物館に買い取られ、飼育されていた「人気者」だったのですが、救出から丸13年を迎える直前の6月16日に死にました。

 中国では大手メディアを始め、SNSなどでこの話題が報じられ、「悲しい……」、「あの震災からもう13年もの月日が経ったのか……」「生き残ったあと、殺されなくてよかった。安らかに」などブタを哀悼する言葉が並びました。

 なぜ、震災で生き残ったブタのことが、これほど話題になったのでしょうか?

 震災で我が子を失った人が多かった

 四川大地震については日本でも大きく報道されたので、覚えている人も多いと思います。震災が起きたのは四川省の山間部にあるアバ・チベット族チャン族自治州汶川県。この地名を取って「汶川(ぶんせん)大地震」とも呼ばれました。

 マグニチュード8.0の大地震で、死者は約6万9000人、行方不明者は約1万8000人、負傷者も約37万4000人に上りました。日本からも国際緊急援助隊が派遣され、犠牲者に黙祷したことが、現地で好意的に受け止められた、ということもありました。

 中でも印象的だったのは、建物の倒壊でした。家屋の倒壊は21万棟以上で、中でも学校の校舎の倒壊は約7000棟にも上り、小中学校の教師や児童・生徒に多数の犠牲者が出ました。死亡した児童・生徒の80%以上は、震災時に倒壊した校舎の中にいたといわれています。

 校舎の相次ぐ倒壊は建設業者の手抜き工事によるものだったことが判明し、大きな社会問題となりました。当時、中国の子どもはもちろん、原則として一人っ子。たった一人しかいない我が子を「手抜き工事」という思いがけない原因で失ってしまった親たちは、強い怒りを覚えると同時に、深い悲しみに暮れたのです。

 そんなとき、震災から36日も経ってから奇跡的に救出されたのが、その頃まだ1歳くらいだった、かわいい子ブタでした。

 中国メディアの報道によると、①奇跡的にブタが立っていられるだけの空間が空いていた、②1袋の木炭があり、それを食べて飢えをしのぐことができた、③雨が降り、雨水を飲むことができた、④太っていて体力があった――。

 これらの幸運が重なったことにより、この子ブタは生き残ったといわれています。

 ブタの生命力に元気づけられた

 救出されたときには痩せこけていて、とてもブタには見えなかったそうですが、博物館に引き取られてからは、地元の子どもたちが多数、見学に訪れるようになりました。

 新華社も「ブタの生命力の尊さにあやかろうと、多くの観光客がこのブタを見に訪れた」と報道。元気に動き回るブタは、まるで動物園の人気者のように、現地のテレビ局やSNSの動画などにときどき映されていましたが、ついに14歳で死んでしまいました。

 中国のSNSでこのブタの死が予想以上に大きく報じられたのは、あの大地震によって自分の家屋が倒壊したり、我が子を失ったりしたことや、行政の汚職などの問題を思い出した人が多かったからではないか、といわれています。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミアシリーズ)、「中国人のお金の使い道」(PHP研究所)、「中国人は見ている。」、「日本の『中国人』社会」、「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」、「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」、「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国などを取材。

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