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ひとは、年をとると、なぜ「御大」と呼ばれ「話」が長くなるのか?

中原淳立教大学 経営学部 教授
(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

 ひとは、年をとると、なぜ「話」が長くなるのか?

    

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 先日、ふとしたことで、電車のなかで、この問いについて考えてみました。といいますのは、僕自身も、ここ5年ほど、話が長くなってるな、という自覚があるからです(自爆・・・ちゅどーん)。

 15年弱前の30歳のときと比べると、たぶん、当社比「120%増量」(自爆)。

 ここ最近、なんとかかんとか、話が長くなるのを抑制しようと、躍起になっています。ごめんなさい。

  

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 僕自身も、まだ血気盛んで、鼻息をフンフンとしていた若い頃には、話の長いひとを見るにつけ、

  

 このひとの話は、要約すれば、20文字でまとまるな

  

 とか

  

 このひとの話は、最初の5分で結論がもう見えてるな

  

 とか、思っていたものです。

 嗚呼、憎たらしい(ごめんね)。

 僕自身も、かつては、それほどまでに、話が長いことを嫌悪していた。

  

 しかし、「そこまでひどくはない」とはいえ、僕も話が長くなっている(自爆・・・ごめんなさい)。

  

 今日のブログでは、それがなぜかを考えてみました。

 思いついた要因は5つ。

  

 1.エピソード量の増加

  

 2.刺さらない小話の冗長な繰り返し

  

 3.権力への甘え

  

 4.時間通りに終わらないことに対するNo feedback状態

  

 5.年齢があがるがゆえの登壇機会の増加

     

 以下では、それをそれぞれ論じてみましょう。

  

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 1「エピソード量の増加」とは、まず、そもそもにして、年を重ねて経験が増えているだけ、話すネタ、エピソードが豊富になり、話が長くなる、ということです。これは本当にそう思う。

  

 かつてだったら、「ひとつのトピック」に、「ひとつの小話」を入れていたものが、過去の経験がますだけ「小話」が、あれよあれよと、増えていく。

  

 どんどんと、小話が盛られていくわけだから、当然、話が長くなる、ということです。

  

 小話モリモリ

  

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 2「刺さらない小話の冗長な繰り返し」とは1に連動して起こる。

  

 ひとつのトピックについて、さして重要でもない小話を繰り返していくわけだから、聞いている人は、だんだんと「この人が何を言いたかったのか」がわからなくなっていく。

  

 また、加齢と同時に、取り上げられる小話自体が、古いものになったり、時代にあっていないものになっていくと、なおさら、聴衆は、目の前の論者が「何を言いたいのか」がわからなくなる。小話にもついていけない。

  

 かくして、モリモリと展開される小話は、聴衆にはあまり「刺さらない」

  

 そうすると、「きょとん」としている聴衆をみて、講演者は、余計に「伝えよう」と思い、さらに話を盛っていくのです。

  

 伝わらないから、盛る。

 盛るから、伝わらない。

 伝わらないから、盛る。

 盛るから、余計に伝わらない

  

 この繰り返し。

  

 ヘイYO。 

 さ、そろそろ、話が長くなるデフレスパイラルが回ってきたYO。

   

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 そこに今度は3「権力への甘え」が、頭をもたげる。

    

 いわゆる「長幼の序」が浸透している、この国では、やはり年齢があがればあがるほど、「権力らしきもの」を持ちやすくなる傾向がある。

 論者、演者の年齢があがればあがるほど、聴衆や主催者が、年齢の下のひとの可能性が高くなる。

  

 そうすると、論者・縁者は、だんだんと「権力に甘える」ようになる。

   

 かくして「権力への甘え」は「時間通りに終わらなくても、聴衆も主催者も、許してくれるだろうという甘え」に転化していく

  

 そして、いよいよ「たが」が外れるのです。

  

 パーン、と音がしたYO

 マヂかYO?

  

 かくして、権力をもった人には、誰も、何も言わなくなる。

 そうすると、4「時間通りに終わらないことに対するNo feedback状態」あるいは「No claim状態」が生まれる。

  

 さらにさらに、たがが外れる。

  

 パーンパーンパーンと音がしたYO

 マヂうけるYO

  

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 しかし、それでも皮肉なのは、「年齢」があがるがゆえに、職位や立場などがあがり、人前で話す機会は増加してくるのです。

  

 どうしようもない小話ばかりで、焼き畑みたいなプレゼンなんだけれども、それでも、権力をもった人だから、と登壇機会が増える。

  

 そうすると「負の学習」は猛烈な勢いで進行する。

   

 エピソード増加、小話モリモリ、権力に甘えて、NO Feedbackでも、それにもかかわらず、登壇機会が増えるんです。ひとに求められてる。承認されるんです。

  

 そうか、これでいいんだ

  

 と「負の学習」の無限ループが回る。

  

 合掌

 チーン

 いっちょあがり。

  

 ちなみにね・・・こういう状況が生まれたら注意!

 まず、自分の名前に「節」をつけられて、自分の登壇やプレゼンを「評される」ようになったら、注意が必要です。

 たとえば「中原+節」、「中原節」のように。

  

 久しぶりに「ほげほげ節」を聞きました!

 「ちょめちょめ節」は相変わらずですね!

  

 あとね、自分のことを誰かが「御大」と呼ぶようになったら、かなりの確率でやばい。

 ていうか、もう詰んでる。

  

 要するにね・・・かなりの確率で、

  

 話が長い

  

 って、みんな、心の底で、言いたいんだと思います。

  

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 今日は、自戒をこめて、話が長くなるメカニズムを論じてみました。

 わたしも気をつけます。毎日毎日、話を短くするように言い聞かせてる。

  

 あなたの周りには、最近、小話が増えているひとがいませんか?

  

 あなたの周りには、「時間通りに終わらなくてもいいや」を学習しきったひとはいませんか?

  

 あなたは、最近、自分の登壇やプレゼンにフィードバックをもらっていますか?

  

 あなたは、最近、「ちょめちょめ節」をぶちかましていませんか?

   

 「何を話そうか」を考え、話を長くすることは簡単。

 「何を話さないか」を決め、話を短くすることこそ難しい

  

 そして人生はつづく

  

立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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