「わたし、まだ、学びモードですから」という名の「予防線」!?

(写真:アフロ)

「私、まだ、学びモードですから・・・(まだ実践は出来ません)」

   

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 学生の皆さんや新入社員、経験の浅い若年層の方々と接していると、一年に1度くらいですが、こんな言葉に出会います。「私、まだ、学びモードですから」は、何らかのアクションや実践を前にして「尻込み」をするときに、よく発せられる言葉です。「学びモード」という言葉を用いて、「実践を先送りするための予防線」をはろうとする。

   

 この言葉の含意は、

  

1.わたしは、まだ知識やスキルなどを「学んでいる」最中なので、

  

2.実践することは畏れ多くてできません

  

3.しっかりとスキルを獲得したあと(=学び終えたあと)で、実践の舞台をください

   

 ということなのかな、と思います。

  

 要するに「学びとは知識・スキルを獲得すること」であり、「実践とは、知識やスキルを獲得したあと」でなければ「できない」ものとかんがえていらっしゃいます。これが「学びモードです!」の背景にある背後仮説です。

  

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 まぁ、この世には、1ミリも「知識やスキル」も与えないままに、実践やアクションに向かわせる「学びという名の放置プレイ」「谷底ぶんなげモデル」ーすなわち「精神主義」や「根性主義」が「横行」しておりますので、このくらい慎重なくらいが「ちょうどいい気」もするのですけれども、僕は、同時に、脳裏に異なった考えをもってしまいます。

   

 その思いとは、

  

1.この世には、知識やスキルを学び終える、ということがありうるのか? すなわち「学びモード」とは「終わるもの」なのだろうか?  

 

2.知識やスキルに少し不足があるくらいの状態に達したなら、背伸びをしてみて、実践してみることが重要なのではないか?  

 

3.実践をやってみて、振り返ることがむしろ、「学び」なのではないか?

 

 という思いです。

  

 要するに、先ほどの議論では「学びモードは終わること」を前提にして、その「学びモード」が終わってから「実践に向かう」と考えていたのですが、僕の「学びモード=ネオ学びモード」のイメージは異なります。むしろ、「ネオ学びモード」では、実践とともにある。絵に描いてみれば、こんな感じでしょうか。

 

 

ネオ学びモード
ネオ学びモード

 

 上記の絵では、上段の「学びモード」では「学びモード」と「実践モード」は明確にわかれています。

 そして「学びモード」が終わったら、そのあとで「実践モードがくる」ことになっている。しかし下段の「ネオ学びモード」とは、実践を含んで、すべてが「学び」になっている。そして、むしろ、学びは終わらない。

    

 すなわち、「ネオ学びモード」とは、

  

1.「プチ学び」で「予習」したあとは、実践を積み重ねることが重要である

  

2.実践のたびに「振り返ること」もまた重要である

   

 そして、

  

3.学びは決して終わらない

  

 ということです。

   

 僕はこちらがしっくりくるのですが、いかがでしょうか?

  

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 今日は「わたしは、まだ学びモードですから」という学生さんの一言から「学びと実践」について考えてみました。

  

 あなた自身は、どんな「学びモード」のイメージをお持ちですか?

  

 そして人生はつづく

  

(この記事は、中原淳の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」からの転載記事です)