良質のアウトプットは「出がらしのお茶っ葉」からは生まれない!?

(写真:アフロ)

「良質なアウトプット」を行うために必要なものは、「十分なインプット」と「適切なスループット」を確保することです。

  

 ここで「十分なインプット(input)」とは、「自己の外部から、世の中の最先端を走る知識を、十分仕入れること」を意味します。

 一方、「適切なスループット(throughput)」とは、「外部からたくわえた知識を自分のなかで咀嚼したり、他人と対話しながら、自分の腹におとすこと」をいいます。

  

 これは僕の経験談でしかないのですが「インプットースループットーアウトプット」、このバランスがうまく保たれているときに、「良質なアウトプット」が確保できます。

 自分でいうのも何ですが、今から20年弱前、駆け出しの助手(助教)時代などは、このバランスが比較的保たれていたような気がします。

   

 しかし、年をとるにつれてか、僕のタイムマネジメントがショボイのか、知りませんが、この「バランス」が極端に崩れてきた気がします。ともかく「時間がなくなった」。図にすると、こんな感じです。

  

 

昔と今の知的生産のための時間
昔と今の知的生産のための時間

  

 第一の変化は、「インプットースループットーアウトプット」そのものにかける時間が少なくなりました。

 かつてなら、極端な話をいえば、一日まるまる「インプットースループットーアウトプット」に時間をかけることができていた日もなきにしもあらずでした。しかし、こんな日は、いまやかなり限定的です。

    

 国の統計でも、研究者の時間が多くの事務作業にあてられていることがよく知られています。管理業務、プロポーザルの執筆、トラブルの処理、評価の時間づくりなどなど、たくさんの業務が入り、時間が「コマギレ化」しました。これが第一の変化です。

 一般に、昨今の研究者は、外部資金をとってこなければ研究費は、ほぼないので、それらをとりにいく時間も、報告書などをつくる時間も、膨大にかかります。

  

 第二の変化は、「インプットースループットーアウトプット」のうち、とりわけ「インプット」と「スループット」の時間が減りました。そのくせ、世の中は「アウトプット」だけを求めるようになりました。

  

 KPIだの、インパクトファクターだの、「迷惑きわまりない指標」ばかりが、どこからか「輸入」され、「アウトプット」だけにスポットライトが当てられます。

   

 その様相は、あたかも「出がらしのお茶っ葉」に、これでもかと、お湯を注いで、まだお茶を飲もうとしているように、僕には見えます。

   

 あのー、悪いんだけど、もう、お茶、出ないって。

 それ、単なる、お湯だよ、お湯。

 新しい茶っ葉、くれ。

   

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 今日は「良質なアウトプット」を確保するために必要なことを書いてみました。

  

 自戒をこめて申し上げますが、

  

 皆さんは、「インプット」と「スループット」を確保できていますか?

 皆さんは、最近「出がらしのお茶っ葉」のようになっていませんか?

    

 そして人生はつづく