「学び直し時代」に蔓延する「一生食いっぱぐれない幻想」と「潰しがきく幻想」!?

(写真:アフロ)

 どうも、この国には「一生食いっぱぐれない幻想」とか「潰しがきく幻想」というものが「蔓延」している気がしてなりません。

   

 ちょっと前のことになりますが、ある若い未来あるビジネスパーソンに、こんな質問をいただきました。

  

 一生、食いっぱぐれないような、潰しがきくスキルを、どこかのスクールかなんかで、身につけたいと思うんですけれども、なんかないですかねぇ? 場合によっては1年間くらい通ってもいいと思っているんです。

  

 「一生、食いっぱぐれない、潰しがきくスキル」ねぇ・・・。

 お気持ちはよくわかります。みんな、忙しいもんねぇ・・・。

 でもねぇ・・・そんなのあるんだったら、僕が知りたいんだけれどもねぇ。

  

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「つぶしがきく」の「つぶし」とは、もともと「潰し」のことで、「金属をつぶすこと」でしょう。

 一度できあがった金属製品(成形された金属製品)でも「つぶしがきくもの」は、どんな状況にも、かたちをかえて利用できる。だから「つぶしがきく」とは、「どんな状況でも使えること」を意味します。

  

 ですので、「一生、食いっぱぐれない、潰しがきくスキル」とは、

  

 自分の生涯において、どんな状況においても、利用でき、食っていくことのできる「仕事のスキル」

  

 のことを意味しているんだと思います。

  

 医療・法律などの専門職ならともかく(僕は本心ではそこすらも不可能だと思っています。資格は一生ものかもしれませんが、資格を保持したままのスキルで食っていけないのではないでしょうか)、そんなスキルがあるんだったら、僕も身につけたいなとまずは思います。

 しかしながら、ひとりの教員として気になることは、冒頭ご紹介させていただいた「発想」の方が、とても「リスキー」に感じます。

  

 一生、食いっぱぐれないような、潰しがきくスキルを、どこかのスクールかなんかで、身につけたいと思うんですけれども、なんかないですかねぇ? 場合によっては1年間くらい通ってもいいと思っているんです。

  

 この言葉の背後にある発想は、

  

1.「一生食いっぱぐれない魔法のようなスキル」というものが、そもそも「世界に存在しているのだ」と「仮定」していること

  

2.そうした「魔法のようなスキル」が「スクール」と表象される教育機関で、わずか「1年間」という時間で学び取ることができると考えていること

  

3.そして、いったんそれを学び取ったら、あとは「つぶしがきく」し、一生食いっぱぐれないので、「学び直さなくてもよい」と考えている「ふし」があること

  

 僕としては、上記の「3点」のどれもが「怪しいな」と感じます。

 個人的にもっとも「リスキー」に感じてしまうのは、3の発想かと思います。

  

 「つぶしがきくスキル」をいったん身につけてしまえば「一生、食いっぱぐれない」という発想は、「スクールなどで学ぶこと」に一時的には「接近」しつつも、中長期には「遠ざかる」という効果をもっています。

 深層において、こうした場合に選択される「学び」は「やむを得ないから」行わざるをえないもので、できれば「遠ざけたい」と考えているものではないでしょうか。

   

 一生食いっぱぐれないスキルがあるんだから、それを手っ取り早く学んでしまえば、オレの人生、これでOK!

 別に学び直さなくてもいいんですYO!

 ということになっちゃうでしょう。

  

 もし仮に、この変化の早い世の中にあっても、「一生、食いっぱぐれないスキルで、それさえ獲得してしまえば潰しがきくから」から「さらに学ばなくてよい」と考えてしまうのであれば、その「発想」自体が「超絶リスキー」であると僕には思えますが、いかがでしょうか。

   

 要するに、必要なことは「一生、食いっぱぐれない幻想」とか「つぶしがきく幻想」を勇気をもって「捨てること」ではないかと思うのです。

 「一生、食いっぱぐれないスキル」なんてない

 「つぶしがきく」なんて幻想だ。

 そのうえで、腹をくくって、「生涯、学びつづける覚悟」をもつことかな、と思います。

   

 昨今、「学び直し」が政治の世界で話題になっているようです。

 一時期仕事領域を離れて教育機関で学ぶ「学び直し」も大切なのですが、「学び続けることの覚悟を腹をくくってもつこと」がより大事なのではないかと感じますが、いかがでしょうか?

    

 そして人生はつづく

(この記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」の記事を加筆・転載したものです)