今日も明日もあさっても、気持ちよくてしょーがない「ワークショップ温泉」にご用心!?

(写真:アフロ)

「ワークショップ温泉」という言葉があります。

誰が言い始めたのか知りませんが、1年に4回(なぜ4回?)くらい、時折、異なる方から耳にする言葉です。ま、ここでは「ワークショップ温泉」とはいう言葉をご紹介しましたが、他にも「セミナー温泉」でも「研修温泉」でもいいんでしょう。

要するに、「ワークショップ温泉」という言葉の意味するところは、

「ワークショップ・研修に日々参加することが、「温泉」のごとく気持ちよくなってしまい、反面、現場でアクションをとることに、億劫になってしまう状態」

のことでしょう。

あなたの会社には「ワークショップおじさん」とか「研修おじさん」という憎めないキャラがいらっしゃいませんか。いつも忙しく研修やらワークショップに出かけている方のことです。いや、そうしたものに出かけることは「1ミリ」も悪いことではないのです。そうではなく、「現場でのアクションから逃避する」というところがポイントです。

別の言葉でいいなおすならば、「現場拒否のワークショップ中毒」といってもいいのかもしれません。

「現場でアクションをとらず、ワークショップに参加することで現実を逃避する」というところが問題の所在かもしれまえん。

僕の専門は「人材開発」です。その観点から申しますと、ワークショップや研修は「感情の浄化(カタルシス)」や「感情の高揚」をおこそうとおもえば、おこすようにデザインすることができます。

また、基本的にそれは「日常空間との断絶」を「操作的」につくりだします。「日常との断絶」を敢えてつくりだすことで、ふだん日常は考えない「戦略」を練ったり、自分のキャリアについて振り返って、考えてもらう機会をつくるのです。

しかし「ワークショップ温泉」で、そうしたものを体験しているたびに、人によっては、それが「あまりにも気持ちよくなって」しまう方がでてきます。

「底冷え」がするような「現場」でアクションをとるよりは、ワークショップ温泉で今日も明日もあさっても暖まっていたい、と考えるようになってきます。ぶるるるっ、しばれるねぇ(千昌夫風に読んでください)。

そうなると「もう一回」「いや、もう一度」と回数が増していき、いわば「温泉」化していきます。別の言葉でいうと、現場を拒否し、いわば「中毒化」していく。

気づけば、「湯治」のようにワークショップに日参していくことになってしまうのです。「湯治場」には、「いつめん:いつものメンバー」もいらっしゃいます。気づけば「いつめん」で「いい湯だな」を繰り返すことになります。

ま、温泉に通うのは、個人の勝手なので、とやかく他人がいうことではありませんけれども、あまりにも続くと心配になってきます。

あのー、お仕事、大丈夫ですか?(笑)

このあたりのバランスは難しいところです。「日常アクション」をふりかえるためには、「日常」とは断絶した「非日常空間」に身をおくことも大切なことです。それによって、「明日のアクション」を力強く踏み出すことができます。

しかし、それが過剰に行き過ぎてしまうと、「非日常空間こそが日常化する」という「倒錯状況」が生まれます。

だからこそ、ワークショップも研修も「クロージング」こそが重要なのです。

きちんと、非日常空間とは「決別」させ、しっかりと「現場」に送り出さなければならないのだと僕は思います。地に足をつけて、明日から歩き出すために。

今日は「ワークショップ温泉」やら「研修温泉」やら、敢えて、これらのものを相対化してとらえました。ただ、矛盾しておりますが、同時にこうも思うのです。

「働き過ぎ」で「底冷え」を体験している、日本の組織で働く人にとっては、「温泉につかるくらい」が、ちょうどよいのかなとも思うのです。根をつめて、いつも働いていらっしゃるので、たまには日常とは距離をおいて、いつもと異なることを考えてみませんか、とも。

あまりにも「凡庸」で、あまりにも「月並み」ですが、「何事もバランス」ということなのでしょうか。

そして人生はつづく

(この記事は、中原淳の個人ブログ NAKAHARA-LAB.NETにかつて公開されていた記事の再掲・加筆記事です)