研修で「刺激・感銘」を受けても、もれなく「学べない」理由!?

(ペイレスイメージズ/アフロ)

今日のお話しは「刺激」を受けました。

今日の研修内容は「感銘」を受けました

人は、セミナーや講演、研修などに行った際、その感想として、これら「2つのセンテンス」を用います。

あなたがセミナーや研修の運営実施者ならば、たいていアンケートや感想文の欄に、これらの言葉が並んでいるはずです。

はたまた、あなたが上司ならば、部下からの研修報告書に、これらの言葉が並んでいるはずです。

刺激と感銘という「大人語」が(笑)。

しかし、少し考えてみればおわかりだと思いますが、この「2つの言葉」には、「共通」しているものがあります。それは何でしょうか?

それは

「刺激・感銘を受けた対象」と「自己に対する意味」と「将来のアクション」を欠いていること

です。

要するに、

講演のうち「何」が「刺激的」で、どのように自分にとって「意味」があったのか?

研修のうち「何」に「感銘」をうけて、それで自分は「何を変えよう」と思うのか?

が、ほとんど述べられていないことです。

それらが「みごとに省略」されている。

まるっと「研修に感銘を受けた」「講演に刺激を受けた」になっています。

まるっとね、まるっと(笑)

僕は人材開発が専門の研究者です。

人材開発の観点から、この問題を考えると、こうなります。

学習効果を高める=現場での変化を期待するのであれば、

自分がハッとした「事柄」や「経験」がいったい何であるか?

そして

「そこから得た学び=自分にとっての意味」がいったい何であるか?

「そこから何を変えていくのか」

を、より明示的に、かつ、より鮮明にしていくことが求められるのだと思います。

言葉を変えましょう。

要するに

「何」に刺激や感銘を受けたのか?

それが

 自分にとってどのような「意味」があり、何を変えていくのか?

をより詳細に考えていくことでしょう。

もちろん、これらの明示化を自分ひとりで行うことも可能です。

しかし、より効果が高いと思われるのは、「他人からの問いかけ」であり「ディスカッション」だったりするのでしょう。

誰かに「問い」をなげかけられたり、誰かと意見を交換するなかで、より学ぶことが多くなるようにも思いますが、いかがでしょうか。

今日は「刺激」「感銘」について書きました。

自戒をこめて申しあげますが、これらの言葉は、対象と意味を省略することができますので、非常に便利であり、多用されます。

しかし、「刺激」「感銘」という言葉を用いたくなったら、「まてよ」とちょっと立ち止まり、振り返る時間を持たなければならないことを意味しているような気もします。

自分は「何」にハッとしたのか?

それは

自分にとってどんな「意味」があったのか?

そして

自分は何を変えて、何を変えないのか?

あなたは、最近、何に「刺激」を受けましたか?

あなたが、最近、感銘を受けたのは「何」で、どんな意味がありますか?

そこから何を変えていきたいと願いますか?

そして人生はつづく