「実家のオカン」に電話しても通じるか法!?:むずかしいことをやさしく語るコツ!?

(写真:アフロ)

 昔々のことです。

「ただでさえ難しいこと」を余計難しく言っちゃって、「おれって、スゲーだろ」的な自己満足に浸ってしまうような「痛い時期」が、かつて、僕にも、ごくごく短い時期でしたが、あったような気がします。学部生のごく初期の頃かなぁ・・・。

 当時の僕、曰く

 ホゲホゲの話を、

 何とかのパラダイムで見てみると、

 ほにゃららのコンテキストでは、

 レリヴァントだよねー

 みたいな感じ(笑)。

「当時、いったい何を言いたかった」んだか、さっぱりわかりませんが(泣)、かつて、そのような「奇妙奇っ怪な言葉遣い」をしていた、おおよそ、僕にもありました。

 大学には、たまーに、こういう「アチャパー」って感じの「痛い人」がいると思います。たぶん、、、今でも。

 「ただでさえ小難しいこと」を敢えて「さらに小難しく」いうことで、自らの「権力」を維持しようとする人です。

 当時のことを思い出すに、今から考えるに、ひとつには、きっと「自信がなかった」んだと思います。

「アカデミックフレーバーがいかにも漂う言葉遣い」をすることで、「僕、わかってる人だもんね」というメッセージを何とか周囲に伝えたいっていうかね。そういう時期が、短い時期ではありましたが、当時の僕にはあったような気がします。

 まことに恥ずかしい思い出です。

 しかし、同時に、まことに幸いなことに、そのような時期はごくごく短かったような気がします。

 ほどなくして、そんな風に「アカデミックに語ること」が

 「うわっ、ダサっ」

 と思うようになりましたし、何より自分の言葉が他者に「伝わらないこと」に苛立ちを感じるようになりました。

 通じるわけないわい!

 当時の指導教員から受けた指導も、大変よい薬になりました。

 指導教員には、こんなことを言われたことも覚えています。

「自分で定義を語れない専門用語は、一切使うな!」

 嗚呼、今から考えれば、まことに汗顔の至りですね。

 それからというもの、僕は、難しいことを、なるべく原型をとどめたまま、いかに他者に伝えるかについて心を砕くようになりました

 誰かに何かを伝えるとき、いつも脳裏に浮かぶことがあります。しょーもないことなのですが、いつも脳裏に浮かぶのは、

「その説明で、実家のオカンに電話して通じるか?」

 ということです。

「その単語は、実家のオカンでもピンとくるか?」

 といってもいいかもしれません。

 決して郷里の「うちのオカン」をバカにしているわけではないですが(笑)、たぶん、うちのオカンに電話して通じる言い方ならば、どんな人にも通じます、、、たぶん。悪いけど、手強いよ、、、うちのオカンは。

 ぜひ、皆さんも、誰かに何かを伝えるときには、「うちのオカン電話法」を試していただければと思います。原型をとどめつつ、何とかわかりやすく語るトレーニングになると思います。

 もし小さな子どもがおられるのならば、子どもに語ることも一計ですよ。

 僕はよく思うのですが、

 世の中の大切なことは、伝え方さえ工夫すれば、小学生にも、ある程度理解できます。

 問題は、なるべくかんたんな言葉を用いて、丁寧に丁寧にかみ砕いて説明することです。

 僕はよくこれを「階段の段差」にたとえることがあります。

 大人に伝えるのだったら、「階段の段差を30センチ」にしてもいいかもしれません。

 「足の長い大人=理解力のある大人」は段差が多少あっても、自ら乗り越えることができます。

 でも、子どもに伝える場合は、「段差を10センチくらい」にしないと、登ってこられない場合もあります。

 丁寧にかみ砕いて説明する、相手が「理解の極み」に到達できるように、相手の立場にたって「段差」を調整することです。

 嗚呼、伝えるというのは、まことに難しいものですね。

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 今日は「伝えること」について書きました。

 最後に、劇作家・井上ひさしさんの僕の好きな言葉で、今日の記事を締め括りたいと思います。

 むずかしいことを やさしく

 やさしいことを ふかく

 ふかいことを ゆかいに

 ゆかいなことを まじめに書くこと

 作文の秘訣をひと言でいえば

 「自分にしか書けないこと」を

 「誰にでもわかる文章で書く」

 と言うことだけなんですね

 (井上ひさし)

「伝えることは難しい」

 しかし、難しいことをやさしく語れる人でありたいと願います。

 そして人生は続く

(本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」に掲載されていた記事を、加筆・修正したものです)