「つべこべ言わずとにかくやれ!」的OJTは、いつまで通用するか?
先だって、人材開発をテーマにする某授業で、OJTに関する議論をしました。
授業では、様々な話がなされましたが、メイントピックとなったのは「現在の時代にあったOJTとは、いかにあるべきか?」ということでした。
これはまことに「難しい問題」で、その解決は「組織として守るべき人材育成の方針」と、とはいえ、「世の中の流れにあわせて変えていかなければならないもの」との「せめぎあい」の中にあるようにも感じます。
OJT指導に長く取り組んでこられた実務家の方々のご意見によると、時代をへて会社のなかに入ってくる若手には変化があるとおっしゃいます。
経験的には2−3年ごとに、入ってくる新人のキャラ、資質に、少しずつ変化が生まれてくる印象をお持ちだそうで、それにともない、施策も変化せざるをえないのではないかとおっしゃっていました。
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たとえば、ここ10年くらいの変化を見てみると、OJTにのぞむ新人の変化には「前もって学んでから仕事をしたい」というニーズが生まれてきているのだそうです。
つまり、
「仕事を任される前には、どうやればいいかを教えて欲しい」
「仕事を任される前には、全体像が知りたい」
というニーズが生まれているのだそうです。まぁ、僕の感覚からしても、全く違和感はなく、そりゃ、あたりまえのニーズだよなとも思います。
一方、伝統的に日本のOJTといいますと、
「いいから、やれ」
「背中を見て学べ」
「やれば、わかる」
「わかるより感じろ」
的なものがイメージされやすいのだと思いますが、こうした新人の変化は、伝統的なOJT像に、疑義を唱えます。
「いいからやれ」「背中を見て学べ」「やれば、わかる」「わかるより感じろ」を旨とする伝統的OJTというのは、教育的瞬間(学習の機会)が偶発性に左右されますので、どうしても学習時間が長期にわたる傾向があります。
また、それが機能するためには、職場の人間関係も密接であり、かつ、長期にわたって学習に耐えるだけのモティベーションが必要です。
新人のニーズの変化は、こうした「伝統的OJTの奏功する条件」への懐疑、すなわち、「安定的で長期にわたる労働環境への信頼のゆらぎ」とも考えられるかもしれません。ひと言でいえば、それは「長期雇用・終身雇用を前提にした人事制度」と非常に整合性が高いのです。しかし、その整合性は徐々に陰りをみせていますね。
ちなみに、学問的には、OJTには、演繹的OJTと帰納的OJTという2つのOJTがあるといわれています(Lohman 2001)。
演繹的OJTとは、原理原則をトレーナーが教えて、それを適応させるもの。一方帰納的OJTとは、まず新人に問題にあたらせて、試行錯誤させ、その問題解決を支援するもの。
どうも、今、生まれている変化は「演繹的か、帰納的か」という二分法的な分類には落ちない、あらたな姿を必要にしているようにも思います。現実は、そんな単純じゃない。原理原則は教えつつ、問題解決にあたらせる。それを言い当てる何かの概念が、今、必要な気がします。
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今日はOJTのお話をしました。
どうしても、年長者は、
「仕事を任される前には、どうやればいいかを教えて欲しい」
「仕事を任される前には、全体像が知りたい」
という若手のニーズを耳にすると、
「なに、コルァ!」
「がたがた抜かすんじゃねー」
「つべこべいわず、とにかくやれ!」
とプルプル怒りがこみあげてくるものなのかもしれません。しかし、時代に応じて「変えていかなければならない」ものも確かにあることは事実です。
特に、これからの時代は「言葉にすること」を面倒くさがっていては、仕事がまわらなくなると思います。
同質性の高い集団で、長期にわたって、あうんの呼吸で仕事をするのなら、そこに「言葉」は入りません。たしかに「感じればいい」。
しかし、次第にわたしたちの労働環境は、そういう状況から変わってきつつあります。「長期にわたって、お互い感じあっていればいいような猶予」は、あなたの会社にはありますでしょうか?
あなたの会社のOJTは、「つべこべ言わずとにかくやれ!」ですか?
それとも
「任せる前に教える」型のOJTですか?
そして人生は続く
(本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」に掲載された2014年7月25日の記事に、加筆・修正を加えたものです)