「コンピュータ」とのつきあい方を、いかに我が子に教えるか?

(写真:アフロ)

 ここ最近、長男の息子(公立小学校3年生・9歳)は、夜な夜なプログラミングをしています。

 1年くらい前まで、長男の息子には、これまで一切、コンピュータ環境(PC、iPhone、iPadすべて禁止)に触れさせてこなかったのですが、「親と一緒にやるのなら、自らをコントロールしながらできるかな」と判断したのが、ちょうど1年くらいまえ。

 今は、コンピュータのパスワードを親が入力して、そのときだけは、親とは離れても、自由にコンピュータを使わせるようになっています。

 ここまでは結構長い道のりでした。

 1年生になった段階で、タッチタイピングを練習しはじめ。次には、クローズなブログを運用し、親戚などに公開しはじめました。

 一般に、タッチタイピングは無味乾燥な練習になってしまいがちですが、クローズなブログで日記をかかせて、親戚の誰かにコメントしてもらうことを「モティベーション」にしつつ、タイピングを覚えさせました。ようやくたどりついたのが、プログラミングです。

 プログラミングの開発環境には、MITで開発され、おそらく全世界でもっとも普及していると思われる「子ども向け開発環境」のScratchというWebアプリを最初は使いました。これがタッチタイピングが必ずしもできなくても、ブロックを組み合わせることでプログラミングができるWebアプリです。

 ▼

 考えてみれば、僕自身がはじめてコンピュータにさわりはじめたのは、小学校2年生の頃です。

 決して「裕福」とはいえない家庭でしたが、ある日、技術者であったオヤジが、「清水の舞台」からバンジージャンプで飛び降りて(!? 飛び降りる覚悟ではないところに注意!マジで飛び降りた!)、コンピュータを買ってきました。

 たしか、NEC PC-8001 MK2というコンピュータであったと認識しています。おそらく高価なものだったのでしょう。少なくとも我が家では、相当な投資をして、これを購入したのだとおもいます。

「これからしばらくは、おかずは納豆のみだな」

 とオヤジとオフクロが話していたのを覚えています(笑)。

 僕は、オヤジに少しずついろいろなことを教えてもらいながら、少しずつコンピュータを覚えました。

 まったく上手とは言えませんでしたが、ベーシックという言語をちょっとだけかじって、やはり本を見ながら、プログラミングなどをしていました。

 その当時は、ちょうど、某社から家庭用ゲーム機がではじめた頃で、一般家庭に普及しはじめた頃でした。

 一方、僕の方は、当然のことながら家庭用ゲーム機は買ってもらえず(金がない!の一点張り!)。ゲームをするためには、難解な言語を打ち込まなければなりません。そのことに不平を言ったこともありますが、

 オヤジは一言。

「遊びたいなら、自分で創れ」

 でした。

 トホホ。

 ▼

 

 それから30年。

 今度は、親である自分が、自分の子どもに同じようなことをしていることに気づかされます(笑)。

「ゲームをしたいなら、自分で創れ」

 もちろん、息子は、家庭用ゲーム機(Wii)は、もっていて遊んでいるのですが、この利用には週末土日だけの30分間と制限がついています。でも、敢えて「自分でプログラミングしてつくぅたゲームで遊ぶこと」には制限時間をつけませんでした。

 おかげさまで、ゲームで長く遊びたいがために、シコシコ、彼は「ゲームの開発」に向かっています。しめしめ。

  ▼

 それにしても、コンピュータのプログラミング環境は大きくかわりました。

 今は開発環境は格段に良くなり、当時では考えられなかったいろいろなことができるようになっています。キャラは激しく動くし、音楽も鳴らせるし、効果音もバシバシとなります。

 白黒画面で、漢字すら表示することのできなかった30年前と比べたら、そこにあるテクノロジーは「雲泥の差」です。

 でも、本質的には「何一つ変わっていないこと」もあります。

 それは「コンピュータと子どもの向き合い方」です。

 ワンワードで申し上げますと、「子どもがコンピュータをどのように使うか」には2つの「あり方」があるということです。そして、これは30年たっても全く変わっていません。

 僕は、息子には「コンピュータと人間の向き合い方」には、2つの分かれ道があるんだよと教えています。今は、たぶんわかんなくて、

「パパは、うるせーな」

「説教臭いんだよ、パパは。またいつものはじまった」

 と思うかもしれないけど、頭の片隅に、すこしだけ覚えておいてほしいなと思っているのです。

 

 2つの分かれ道は、

 コンピュータに「自分の時間」を「奪われる」か

 コンピュータで「自分らしい時間」を「創り出す」か

 

 コンピュータで「何か」を「創造」する時間を過ごすか?

 コンピュータで「何か」を「消費」して時間を過ごすか?

 ということです。

 もっと簡単にいうと、

 コンピュータに「使われる」か

 自分がコンピュータを「使いこなす」か

 ということです。

 息子に僕は問いかけます。

 世界で一番怖い泥棒さんは、

 お金を盗む泥棒さんじゃないよ

 一番怖いのは「時間泥棒」さんだよ。

 「時間泥棒さん」は知らないうちに、

 自分の大切な時間を奪っていくよ

 特にコンピュータは向き合い方を間違えると怖いよ。

「他人のつくったゲームたち」は君の時間をどんどん奪ってくるよ。

 他人がコンピュータを通じて、自分の時間を

 奪いにくるよ。

 他人に「時間」を奪われちゃだめなんだよ。

「自分の時間」をしっかり守りきってね。

 嗚呼、こうしたことは、30年たっても、全く変わっていないかもしれないなと思います。

 そして、究極をいうと、僕はプログラミングやら、ブログ執筆やら、タッチタイピングなんて「二の次」で、本当はこうした、「人とコンピュータのつきあいかた」を、息子に教えたいのかもしれないな、と思います。

  ▼

 嗚呼、望むと望まないとにかかわらず、この世は、コンピュータにあふれています。きっと、この先、コンピュータはさらに増えることはあっても、減ることはないでしょう。わたしたちは、そうしたハイパーコンピューティング環境に生きることになります。

 このような時代環境にあっては、それを一方向的に「忌避」しつづけることは、あまり「知性的な態度」とは言えません。反面、それにどっぷりとつかり、アディクション(中毒)になってしまうことも、同時に「賢い生き方」とはいえないのではないかと思います。

 コンピュータとうまくつきあえずに社会に出ることは、「武器をもたずドラクエをプレーする」ようなものです。

 しかし、コンピュータに支配されてしまう人生を過ごすことは、「時間泥棒に自分の時間を奪われ続ける」ようなものです。

 このような時代にあっては、コンピュータときちんと向き合い、いかにつきあうかということを、教えておく必要があります。

 場合によっては、発達段階のある時期には、コンピュータから敢えて「遠ざけること」も必要だと僕は思います。しかし、頃合いをみはからって、少しずつ近づけていく必要があります。個々の技術やら、プログラミングやらは、さしあたって「二の次」です。教えたいのは、「コンピュータといかに向き合うか」ということ、この1点につきます。

 本当になかなか難しい問題ですが、、、試行錯誤していきたいと考えています。

 そして人生は続く

(本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」に2015年2月17日に掲載されていた記事を、1年後に読み直し、現在の状況にあうように加筆・修正したものです)