「別に」と「ウザい」と「ノミュニケーション」はつながっている! : 思考停止ワードを癖にしない!?

(写真:アフロ)

これといって特筆するべきことは何一つしていない我が家の子育てですが、ひとつだけ、息子たちに、「耳タコ的」に言い続けていることがあります。

それは、

「別にぃ・・・」「特に・・・」「何でもいい」という言葉を我が家では「使用禁止」にするということ

です。

ふだんは半跏思惟像?のように温厚な小生ですが、その言葉を子どもが口にしたときだけは「烈火」のごとく怒ります。

親として、子どもに「別にぃ」とか「何でもいい」とか「言われる」と「腹がたつ」から、そのような禁止措置をとっているわけではありません。

そういう「言葉にすることを省略しちゃう思考停止ワンワード」を用いることが「癖」になっていくと、今後の社会を生き抜いていくうえで、困難になると僕が信じているから、禁止しているのです。

それはこういうことです。

何の工夫もなくて月並みですが、これからの社会は、「多様化」「流動化」「細分化」の方向に進むことが予想されます。社会の「バラバラ感」はさらに強くなり、「液体」のようにカタチを日々変えながら、しかし、それぞれ認識している対象は、さらに「狭まっていく」ということです。

そのような分断された社会にとって必要なことのひとつは、「みんなが同じことを思っているはずだ」という思い込みを廃して、どんなことであっても「自分の考えや意見を論理的に表明していくこと」です。

他者と協力するため、共生するためには、「ことば」にリスペクトをもち、それを大切にしながら、自己を表明していかなければなりません。そのうえで、他者とコミュニケーションが可能になるのです。

「なんだ、他人行儀だ、水臭い」って?

でもね、これからの社会を端的に述べるのならば「みんなバラバラ、液体的変化のある、視野狭窄社会」を子ども達は生きていくのです。もうわたしたちは「あうんの呼吸」「背中で語る」の世界の住人ではいられなくなってきているのです。

「言葉にすることを省略しちゃう思考停止ワンワード」は、僕は、それとは「極」にある言語実践だと僕は思っています。

それは「自分の思いや考えをきちんと論理的に言葉にすることを拒否」します。ひとつひとつの言葉はトリヴィアルなことかもしれませんが、それが繰り返されると「癖」になると僕は考えています。

子ども時代に

「別にぃ・・・」「特に・・・」「何でもいい」

を連発する子どもは、いずれ中高生になったときに、

「ウザい」「きもい」

を連発するようになります・・・たぶん(笑)

まー、流行語もいろいろあるんだろうから、何を使っても結構、勝手になさんなさいな。

でも、それらの言葉をもって自分が「何」を省略しているかについては、たぶん気づかないと思うけど、少し注意を払った方がいいと思うのです。

要するに、こうした言葉で省略しているのは、

「自分が何を感じ、何を思い、どうしたいのか?」

「なぜ、そういう判断にいたったのか?」

という「ロジック」であり、「WHY」、「他者とコミュニケーションする意志」なのです。それがすべて「うざい」「きもい」「別に」「特に」のワンワードで省略しているのですね。そういえば、あとは言葉を継がなくてもいいからね。まことに省力的。

要するに、こうしたワードは、

「自分の考えを表明することを省略し、思考停止したうえで、ワンワードで、その場のお茶を濁している」

のです。

それは僕の予想する、これから子ども達が生き抜いていかなければならない社会とは真っ向から対立する世界です。だから禁止しているのです。 

これに関連して、面白い本を読みました。「言語技術」が日本のサッカーを変えるという田嶋幸三さん(元サッカー日本代表、日本サッカー協会副会長)がお書きになった本です。

田嶋さんがこの本でお書きになっていることの要諦は、

何も考えずにボールを蹴っているだけで、おまえのサッカーは本当にうまくなるのか?

という言葉です。

田嶋さんによりますと、たとえばプレーを途中でとめて(フリーズさせて)、「君の、今の、そのプレーの意図は何?」と訊かれたとき、日本人のプレーヤーは世界の選手と比べて、「自分の考えを論理的に言葉にして表明すること」ができず、ついつい「監督の目を見て答えを探ろうとする」のだそうです。

「自分の考えを言葉にする表現力」「論理力」そして、それらに裏打ちされた「自己決定の経験」が徹底的に欠けている。

田嶋さんは、そうした思いで、選手向けの言語技術養成プログラムを企画して実施していたそうです。

子育てとサッカー・・・全く違う世界のことを喋っているようですが、要するに言いたいことは同じことですね。

ちなみに、僕は、かつて同じことを、リーダーシップの発達の文脈でも書いていました。

「雲の上マネジメント」から「言霊マネジメント」へ:マネジャーと言葉

http://www.nakahara-lab.net/2013/06/post_2035.html

現代の職場のマネジメントに必要なのは「飲み会で発揮される饒舌さ」ではありません。

なぜなら、ノミュニケーションとは、「ごくごく限られた雇用形態の人々にしか作用しないあうんのコミュニケーション・説得技法であり、酒のちからを借りて困った問題に蓋をして思考停止を誘う営為」です。それは問題を言挙げしません。問題をなかったことにします。

これからのマネジャーは酒の力を借りて「饒舌」でなくてもいいのかもしれません。しかし、様々な異なる背景をもつ人々と向き合い、聴くこと。ひとつひとつ言葉を選ぶこと。場合によっては、相手の言葉を引き出すこと。

これからさらに求められていくのは、そうした「地に足のついた言葉」であるような気がします。

今日は「ことば」について、子育て、サッカー、マネジメントの側面から書きました。僕には、それらが密接につながる問題であるように感じます。皆さんはいかがでしょうか?

そして人生は続く

(本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」の 2015年4月30日の記事の再掲です)