他人の「行動」を変えようとしたときに起こる3つの反応!?:ファイト、フライト、フリーズ

(写真:アフロ)

他人の行動をあなたが変えたいと思ったときに、相手が示してくる反応には「3F」があると言われています。人材開発業界では、よく知られている用語です。

もちろん、あのー「3F」っていっても「3階」じゃないですよ(笑)。

「3F」とは

Fight(ファイト)

Flight(フライト)

Freeze(フリーズ)

の頭文字「F」をとったものです。

要するに

Fight(ファイト)=闘う

Flight(フライト)=逃げる

Freeze(フリーズ)=貝になる(固まっちゃう)

ということですね。

これは、「第三者が、ある個人・対象に対して外部から変革・変化を求めた場合」に、典型的に、その個人・対象にあらわれる反応のことです。もう少し砕いて申し上げますと、「赤の他人から、変われ!と言われたときに、人がとっちゃう反応のこと」を「3F」と形容しているのです。

1.Fight(ファイト)=闘う

外部から「変わること」を求められ、追い詰められ「闘争モード」に入ってしまう。オラオラオラ、オレは変わりたくねーんだよ。ふざけんじゃねー。

2.Flight(フライト)=逃げる

外部から「変革」を求められ、徹底的に「逃げること」を決め込んでしまう。逃げるが勝ちよ、スーパーロータリー(北海道人にしかたぶんわからない。正確には滑るが負けよ、スーパーロータリーですね)。

'''

3.Freeze(フリーズ)=貝になる'''

外部から「このままじゃいけないよ」と言われても、全く聞く耳をもたずに「わたしは貝になりたい」と「固まって」しまう。

ワンワードで、これら3つの現象の「共通点」をさぐるとすると、要するに

「変わらない=変化ゼロです」

ということです。

闘って、逃げて、固まって、結局、内部は「変わらない」。

ここで知性的な私たちは、ひとつの究極の結論に気づかざるをえません。それは、

他人を外部から無理矢理「変えること」は不可能であることの方が多い

ということです。

結局、

人が「変わる」ときには、自分から「変わろう」とするときだけ

ともいえるかもしれません。

だとすれば、わたしたちが可能なのは、「自ら変わらなきゃならないかも」という内発的動機を「くすぐったり」、「マキをくべたり」、空気を送ることくらいです。

火をつけようと思うのは「自分」。マッチをもつのは「自分」です。

つまり、私たちは、

他人を「変えること」はできませんが「変わろうとする人」を「支援」することならできます。

少し望みがでてきました。

しかし、ここに一縷の望みも存在します。それは、人間という生き物は、まことに「ソーシャルな生き物」であるという事実です。

「超越的な自我」というものが存在し、他人には全く影響されず、「独立独歩、唯我独尊!」というのなら話は別ですが、事実は、その逆であることの方が多いものです。

20世紀の人文社会科学の諸知見が明らかにしたように、わたしたちの知覚、行動、動機といったものは、近代という時代が想定したほど「個」「自我」によって支配されるものではありません。

私たちの「見ているもの」「動き」、そして「やる気」などといった「わたしたちが所有していると考えられているもの」は、自らが所属する社会集団、周囲にいる他者の影響を受けます。

(なんちゃってではあるものの、小生、一応、大学教員のはしくれとしては、こういう一銭の役にもたたないことを、ぜひ、学生のみなさんには、学部時代に勉強していただきたいな、と思います。ぜひ、学んでいただきたいことのひとつは「そもそも、人をどのような存在として見るか」ということだったり、「そもそも言葉とは何か?」ということだったりします。社会にでれば、多くの場合、こうした一銭の役にも立たないことは、学ぶ機会が限られます。もう一度、僕も、ゼロから学び直したいです)

私たちは「自ら見ているつもり」でも、実際は、周囲の社会集団によって「見せられていること」が多々あります。

同様に、「自ら動機をもって動いているつもり」でも、周囲の「ソーシャルなもの」に影響され、「自ら動いているつもり」になっていること」そして「自ら動いているつもり」になっていることが多々あるのです。

ここに至って、知性を信じるわたしたちは、先ほどの結論を一部修正する自由が認められます。

私たちは、他人を「変えること」はできませんが、

人を「その気」にする「環境」をつくることはできます。

それに加えて、

「変わろうとする人」を「支援」することができるのです。

どうでしょうか?

少しは望みがありそうですね

今日は3つのFの話から、

第三者が「赤の他人」を変えることができるか?

ということを考えてみました。

一見、このような関心をもつ人々にとって、3つのFとは「絶望の詩」のように聞こえます。

しかし、わたしたちの「個」などというものは、まことにフラジャイルでソーシャルなものです。無理矢理は変わりにくいのが他人であるけれど、その気にすることは可能だし、その気になった人を支援することなら可能です。

この人間の弱さでもあり、柔軟性が、歴史をひもとけば、それが人類にとって「ポジティブな出来事」を生み出した反面、「悲惨な出来事」をも生み出したわけですが。

あなたは他人を変えようとして、その相手からFight(ファイト)、Flight(フライト)Freeze(フリーズ)されていませんか?

そして人生は続く

(本記事は、中原の個人ブログNAKAHARA-LABに2015/02/12に掲載された記事の再掲です)