悩める親のための読書感想文にわか指導法:長い文章には「糊しろ」が必要である!?

(写真:アフロ)

昨夜は、愚息・TAKUZOが、「夏の風物詩」ともいうべき、読書感想文の宿題に取り組んでいました(この記事は2014年8月28日に執筆されました。中原の個人ブログからの再掲です)。

読書感想文については、僕自身、ルサンチマン(怨念感情?)があり、これまでにも、何度かこのブログで論じて参りました。僕は、子どもの頃、読書感想文が死ぬほど苦手だったのです。

読書感想文とは、いったい「何」で、どのように書いたらよいのか?http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20140828-00038635/

嗚呼・・・それにしても、やっぱり「カエルの子はカエル」。古の人々は、間違ったことは諺に残さないものです。

TAKUZOの感想文の執筆を傍目で見ていて、その文章にクラクラと目眩がしてきました。

愚息の恥をさらすようで何なのですが、やや戯画的に、その状況を描き出すと、彼はこんな文章を書いているのです。

クララは、車いすから立ちあがったことに僕は感動しました。

あと、クララは、味噌汁が好きでした。僕も好きです。

トホホ。。。

要するに「複数の文をつなげで、ものを書くということが、全くわかっていない」のです。文と文がつながっていないがな。要するに、何のつながりもない文章が羅列されているだけです。

このままでは埒があかないので、「にわか文章指導」をすることにします。「読書感想文」は、このさい、一切忘れてよろしい。それ以前のレベルから、即席、にわか指導です。やむなく・・・。

考えるべきは、そもそも「文をつなげて書くとは何か?」

あまりよい喩えでもないのですが、敢えて断言するなら、それは

「糊しろをつくりながら、折り紙を貼り合わせていく作業」

に似ています。

この場合、まず、文章とは「いろんな色の折り紙」である。

今、君は、たくさんある折り紙の中から、「似ている色同志」を貼り合わせていきたい。つまりは「文章の前後には、必ず、似ている文章がくる=似ている色同志の折り紙」。

そして、それをつなげるときには、必ず「糊しろ」がいる。一般的に、前後の文章の中には「共通するワンワード=糊しろ」が入る場合が多い。それが「糊しろ」である。

だから、先ほどの文章、

【文1】

クララは、車いすから立ちあがったことに僕は感動しました。

【文2】

あと、クララは、味噌汁が好きでした。僕も好きです。

は【文1】と【文2】のあいだがぶっ飛びすぎている。【文1】のあと【文2】には、【文1】の中にあるワードを説明したり、つけたしたりするワードがこないと、文章同士が、なかなかつながらない。

たとえば、

【文1】

クララは、車いすから立ちあがったことに僕は感動しました。

【文2】

長い間、車いすで生活していたクララが、「思い切って立ち上がること」が、どんなに勇気のいることか、と感じたのです。

とかなら、ありえるでしょう。

この場合「車いす」とか「立ち上がる」というワードが、文1と文2に共通する「糊しろ」になります。

僕がTAKUZOにした説明は、こんな感じでした。あんまりうまい説明ではないとは思いますが、とりあえず、少しは理解してもらえた気がします。もっとよい喩えがあったら、ぜひ教えていただきたいのですが、とりあえずは、これで逃げ切りました。

そのレベルかよ、という感じですが、お恥ずかしながら、「そのレベル」なんです。そして、僕自身も小学生の頃はそうでした。

悲しむべきは、字数はいまだ300文字。

制限文字数の800文字には、まだ500文字にもあるのですが・・・。

でもね、どんなに文章が長くっても、要するに、この繰り返しなのです。のりしろをつくって貼り付ける。似た文章を、いわば折り紙のように貼り付けていく。文壇のようなところで活躍するすごい文章なら別でしょうけど、少なくとも、僕らがふだん目にする文章というものは、この繰り返しだと思います。

以前もFacebookでボヤきましたが、最近、僕は

「いったい、人は、書くことをどのように学んでいるのか」

ということに、とても興味をもっています。研究的関心というよりは、子育て的関心から(笑)。

先だっては、アメリカのワークブックを書店で見つけて読んでみました。文章の「ジャンル=書き方の作法」を、かなり早い学齢から教えているのが印象的でした。

(米国の教育を万歳称揚する、僕には全く気はありませんし、本当にそう思っていません。しかし、そこには今後の日本が学ぶべきところがあると思っています。僕の子どもの世代、次世代がさらによりよく学ぶことができるためには、貪欲によいものを取り入れる姿勢を持ちたいと思っています)

僕自身は国語教育とか作文教育とかは全くのドシロウトで、かつ、その領域の研究をすることはありませんので「無責任」に「独断」と「偏見」で言い放ちますが、本日に限らず、愚息TAKUZOの作文の様子を見ていると、「ホンマにこれでえーんかいな」という思いがフツフツとわいてきます。

えーわけないわな(笑)

クララは、車いすから立ちあがったことに僕は感動しました。

あと、クララは、味噌汁が好きでした。僕も好きです。

じゃ(泣)。

要するに読書感想文とか、それ以前。

「文章をつくること」に関して、あまりに「学んでいない」のです(これは愚息が悪いと思います)。

だから「思ったことを、自由にのびのび書け」「感じたことを、自由にそのまま書け」といわれても、彼は書けません。

「自由に書く」ためには、「書き方」や「方法論」が必要です。しかし、そうしたツールや枠組みをTAKUZOは全く学んでいません。

これには批判もあることでしょう。いっけん「ツールや枠組みを渡すこと」は「自由にそのまま書くこと」を阻害すると考えられがちだからです。

しかし、僕はそうは思いません。

「自由にそのまま書くこと」は「ツールや枠組みを渡すこと」とトレードオフではないはずです。子どもの頃、僕もTAKUZOと同じ苦い経験をしました。だから、僕はそれを渡そうと思います。

ひるがえって考えるに、ホワイトカラーの仕事とは「文章」とは切り離して考えることは難しい場合が多いものです。

最近、文章が書けない、文章表現が苦手な経験の浅い社員がいるとのお問い合わせも、よくいただくようになってきました。

少しこういう視点から、いずれ、経営学習論(大人の学び)のフィールド、すなわち自分の研究でも、何か面白いことができないかな、と考えています。

そして人生は続く