書くためには「書き続けること」である!?

「どのようにしたら、文章が書けるのでしょうか?」

こういう質問を、よく学生さんから、受けることがあります。 

小生、しょーもないネタでブログを書いていたり、一応、論文・専門書を書くこともありますので、きっと、そういうご質問をいただくのだと思います。

うーん、そうだねぇ。。。難しいねぇ。

僕は、文章は全然うまくないですし、ライティングの専門家ではないので、助言者として適当だとは1ミリも思わないのですが、ひとつだけ「非専門家的なアドバイス」をするのだとすると、こうでしょうか。

「書くためには、書き続けることだ」

は、なんじゃ、そら?

と「ハニワ顔」になっている方も多々いらっしゃると思うのですが、すみません、僕にとっては、そのくらいしか、アドバイスがありません(笑)。

でもね、実感としては、こうなんです。

「書くためには書き続ける」

もう少し言葉を補うと、「どんなものであってもよいので、書き続けてさえいれば、いざ書く段には、スラスラと書けるようになっていくよ」ということです。

逆にいうと、「書き続けていないと、なかなか言葉やセンテンスが浮かばず、いざ書こうと思っても、苦労するよ」ということです。

たとえば、今、あなたが、仮に、論文を書かなければならないといたします。日々、あなたが、何か短いものでも書き物をしていれば、最初の書き出し、接続詞の選択などで、そうでない場合に比べて、あまり悩まないのです。少なくとも僕はそうです。

しかし、少し、そうだな、一ヶ月くらい、書き物から遠ざかっていたとします。そうすると、一番最初にかかる負荷が、とてつもなく大きい。なかなか筆が進まない事態が生まれます。

僕はこれを「初動回転理論」と呼んでいます。

どんなものでも、継続(回転)さえしていれば「初動回転に必要な力」は少なくて済む。

しかし、いったん、辞めてしまうと、こりゃ大変。「そろそろ始めますかいのー」と思っても、初動回転に必要な力は、とてつもなく大きい(大きく感じる)。

実は、これ、TAKUZOの自転車の練習を見ていて、思いついたんですけれどもね。ペダルをなかなか安定的に「こぐ」ことができず、なかなか前に進まない様子を、イライラと見ていてね。

「オマエ、もう、プール教室に遅れるっちゅうねん」と思いながら、初動回転理論を思いつきました。

「TAKUZO、ペダルから足を離すな、力を抜くな。いったん、止まると、最初に、ペダルを踏み出す初動は、大きいぞ」

小生は、小学生の頃から、文章を書くのがとても苦手で、いつも、作文が嫌でした。「ウソでしょ」と言われるかもしれないけど、これ、本当のことです。

小学生の絵日記の文章なんか、いつも「今日は、味噌汁飲みました。おいしかったです」くらいしか書けませんでした(笑)。国語の点数はそれほど悪くはなかったですが、とにかく作文が嫌いでした。

だけれど、大学になったくらいからでしょうか、様々な小説やら論文やらを読むようになって、自分も「書くように」なった。

僕が、大学に入った当時は、ちょうど、インターネットが出てきた頃で、学部時代の僕は、授業にあまり行かず、学部一年生・二年生のほとんどを、駒場の情報処理南棟(パソコンがたくさんあるとこ)で、Webをつくることに費やしました。

タイトルは忘れちゃったけど、たぶん「ナカハラ王国」みたいな、よくわかんないWebをつくっていた(笑)。そこに日記を書いたり、記事書いたりして遊んでた。

そしたら、不思議なことに、だんだんと書けるようになってきたのです。「ナカハラ王国」にあるような、フザけたコンテンツだけど、書き続ければ、書けるようになる。以前よりも、スラスラ、言葉やセンテンスがでてくる。

書き続けていれば、自然と「読者」も生まれる。こうなったら、しめたもの。「読んでくれる誰かのために、書き続け、書き続けるから書けるようになる」という可能性が開かれます。

というわけで、「書くためには、書き続けること」です。できるならば、おすすめは、「信頼できる他者のまなざし」の届く場所で。

この答え、最初の問いの「答え」として「適当」であるとは1ミリも思わないけど、僕はそう思います。まぁ、これは「書くこと」だけにあてはまるわけではないと思うけど。