「責任を取らされる」プレッシャーやストレスとうまく付き合う自己管理法

リーダーの立場にある人はなぜ、自分を追い込み、「疲れ切って」しまうのか?

春には景気回復が喧伝されていたのとは対照的に、今夏の商戦は大幅な売上減に終わった企業が多いというニュースをよく見かけます。この流れをうけ、「後半戦は9月からが勝負だぞ!」と上司にお尻を叩かれている人も多いのではないでしょうか。

私の周りでも、最近ではチームやプロジェクトの再構築について、アドバイスを求められることが多くなってきました。しかし、後半戦に向けて体制を立て直し、これまでの不振をなんとか挽回しようというやる気がある一方で、その重責に苦しんでいるリーダーたちも数多く見受けられます。

彼らの様子を見ていて、私はある根本的な疑問を持つようになりました。それは、「リーダーの立場にある人は、なぜ、自分を追い込みやすくなってしまうのか」ということです。

ひと月ほど前のことになりますが、理研の笹井副センター長が自殺で亡くなったことがニュースになりました。今年の上半期において世間を大いに騒がせたSTAP論文事件の中でも、とりわけショッキングなニュースの一つだったように思います。事件の詳細を調べたわけではないので、彼の周辺で実際にどのようなことが起こっていたのかは推測の域を出ませんが、私が気にかかったのは、彼が遺書に書き残していたように「疲れきってしまった」という理由で、プロジェクトのリーダーが自ら命を断つという状況がなぜ起こってしまうのかということです。

責任を「果たす」のではなく、「取る」ことに偏重してしまう日本型マネジメントの歪み

職場などの公式な場において、「責任」について語られる時、「責任を取る」という文脈で語られる場面を多く見かけます。「引責辞任」がその最たる例ですが、「責任」という言葉が持ち出された時、なぜかほとんどの場合、「腹を切る」という意味合いをはらんでいるような気がしてなりません。

本来であれば、「責任をいかに果たせるか?」に焦点をあて、知恵を絞ることに労力をかけるべきところに、なぜか、「誰が責任をとるのか?誰を切るのか?」ということに意識が向けられてしまうのは、本末転倒であると言えます。

冷静に考えてみると、仮に何かの失敗をしたとしても、法を犯して死刑宣告されるようなケースを除いては、「命で償う」ことが社会的に求められるようなことはほとんどありえません。そして、引責辞任をしなければいけない場面すらもかなり稀です。

社長という最終責任者の立場であったとしても、解任させられることはあっても、自ら辞めなければいけないルールはありません。つまり、法を犯さない範囲において、どれだけ失敗を犯したとしても、解任されるまで社長の座に居座ることはできます。

従って、「引責辞任」は利害関係者の間で、感情的におさまりがつかなくなったように見える時や、おさまりがつかなくなるだろうという推測が立った時に、手打ち策として行われるだけのものがほとんどと言えます。

それ以外においては、失敗によるペナルティを誰が負うかに限定されるものであり、それは報酬減か、降格、昇格のおあずけ、もしくは「左遷」という言葉で代表される花形ではない部署への異動以上のものは基本的に生じないはずです。

つまり、「損をした」という程度のことはあったとしても、すべてを失うということは起こそうにもなかなか起こりえないのです。

にもかかわらず、「責任」という言葉が後ろ暗く感じ、「腹を切る」イメージが付きまとってしまうのはなぜなのでしょうか?

「責任」のイメージを後ろ暗くさせる4つの想定

それは、責任を全うできなかった時に、以下のような事態が生じうることを想定しているからだと考えられます。

1. 責任範囲の拡大による業務量・負担の増加

2. 周りから非難される。恥をかく

3. 社会的合意である評判の低下

4. ペナルティによる損失

特に組織規模が大きくなると、責任が不明瞭になりやすく、自分一人の問題ではないにも関わらず、不当にペナルティを負わされることも起こりえます。それが、評判や犯人捜しによって左右されることもあることから、自然と政治的な動きになり、「責任の擦り付け合い」が生じます。

こうした事態への想定は、心理的な抵抗を生み、時に妄想となって逃げ場がなく感じ、自分で自分を追い込んでしまいます。

これらの想定やそこから生じる抵抗や恐れが集団の中で常識化してしまい、「責任範囲なんて拡大するもんじゃないよね・・・」という暗黙的な合意になってしまうと、「責任」に対するネガティブなイメージが蔓延し、ひいては「責任逃れ」の姿勢を加速させていきます。

責任を負うことは確かに労を要し、上記のような事態が生じるリスクはありますが、一方で、その責任を引き受けることによる充実感や、それを達成することでのチャンスの広がりもあります。もっと言えば、責任の範囲を拡大し、責任を果たそうとする時にこそ、イノベーションが生まれます。

「責任」のプレッシャーを引き受け、「責任」と前向きに向き合う4つのステップ

そうした「責任」のマイナス面に囚われず、プラス面に目を向け集中するためには、以下のようなステップで自分自身と向き合うことが効果的です。

ステップ1:責任に伴う自分の反応に気づく

責任範囲が拡大する機会に遭遇したり、責任を「取らされる」と直感したりした時に、何かしらの心理的な反応が生じる可能性があります。その反応が生じた時、自分の中で揺らぎが生じ、囚われはじめます。つまり、平常心を損なっている状態なのですが、心理的な抵抗が大きければ大きいほど、囚われが大きくなり、自分を見失ってしまいます。そうした反応をゼロにするのには相当な精神修行を伴うので、まずは自分自身が反応していることに気づくことが大切です。

ステップ2:どんなマイナス面に囚われているのかを特定する

責任にまつわる自分の反応に気づけるようになったら、自分が責任を全うできなかった時に、どんな事態になりうるかを想定し、自分が何に抵抗しているのかを明確にします。

先述した「責任を全うできなかった時に生じうる事態」を参考にしていただくとよいでしょう。どんな事態が生じうると想定しているのか、その時々によって違ってきますし、どれもが実際に起こりうる可能性が高いこともありえます。逆に、単なる妄想になっているケースもあります。いずれにしても、自分が何に抵抗し、恐れているのかを明確にすることで、それを具体的に取り扱えるようになります。

ステップ3:マイナス面の事態に備える、もしくは、腹をくくる

責任を全うできなかった時に生じうる事態が単なる妄想に過ぎなかったとしたら、ステップ2によって、自分の中で整理をするだけで、「そんなに気にすることはないか」と落ち着けるかもしれません。しかし、実際にその事態が何かしら起こりうる可能性がある場合、三つの対処法があります。

一つ目は、その事態が生じないように前もって対策を練ることです。これは自分一人で答えを出そうとしなくても、周囲に相談をすることで協力を得ることも可能です。

二つ目は、その事態が実際に生じた時に、周囲からサポートしてもらえるようにバックアップ体制を築くことです。その際、自分がその責任を引き受けた時に、どんな事態に遭遇することを気がかりに思っているのかを率直に明かし、協力をしてもらえるように明確に依頼することが大切です。

三つ目は、どんな対策を練ろうとも、その事態から免れられないと思っているのだとしたら、後はその結末を引き受けるように腹をくくるしかありません。

その時には「命まで取られるわけではない」と自分に言い聞かせることも有効です。

ステップ4:自分が本当に大切にしたいこと、成し遂げたいことは何かを掘り下げ、軸に据える

責任を全うできなかった時に生じうる事態は、基本的に誰にとっても嬉しいものではなく、できれば避けたいものである事には変わりありません。

だからといって、マイナス面を避けて生き続けていくことも、本当の自分がしたいことでもないはずです。なぜなら、そうした事態を恐れて逃げてしまえば、逃げてしまうほど、自尊心を損なってしまうからです。

仮に、マイナス面の事態に陥ったとしても、それでもいいと覚悟し続ける上で、自分が本当に大切にしたいことは何か、自分が本当に何を成し遂げたいと願っているのかを掘り下げることは有効です。

その掘り下げが深ければ深いほど、「誰に何と言われようと、自分はこれで生きていくのだ!」と自然に思えるようになり、腹が据わってきます。

そうした軸のある状態であればあるほど、周りに安心感を与え、協力を得やすくなります。

さらに言えば、その大切にしていること、成し遂げたいことをしっかりと言葉として表明すればするほど、周りの共感を得て、力を結集することが可能になります。

自分らしく、自然体なリーダーシップが組織の創造性を引き出す

「責任を取らねばならぬ」ことに囚われている時、周りにどう思われるのかに振り回され、その立場の人間として「せねばならぬ」ことができるかどうかに縛られます。しかし、自分が本当に大切にしたいこと、本当に成し遂げたいことに集中できている時、「責任を果たそう」とする情熱と共に、ただ、ひたすらベストを尽くそうとする自分であり続けられます。

結果は時に、「神のみぞ知る」ことはありますが、結果はどうであれ、それでもベストを尽くし続けているそのプロセスこそが、充実感をもたらし、自分自身への自信を深めてくれます。

そうした自分らしく、自然体なリーダーシップが今、まさに求められているのではないかと思います。

リーダーシップについて語られるとき、メンバーも、またリーダー本人さえも「重圧に潰されるような人はそもそもリーダーになるべきではない」と考えている向きがあります。

実際に、組織を率いていく上では、リーダーの腹の座り具合は重要な側面であることには間違いはありません。しかし、それは単なる資質の有る、無しに留まる話ではなく、訓練によって開発することは可能です。それぞれのリーダーがあるがままの自分を受け入れ、自然体でいることができるようになれば、自然と腹が据わり、「その人らしく」組織の創造性を引き出すことが可能になります。

そして、「答えを出しにくい」現代であるからこそ、一人一人の創造性を引き出すことが求められます。そうした組織の創造性を引き出すリーダーシップを体現する人が増えていったとき、責任は「取る」ものではなく、「果たす」ものに変わっていくのではないかと考えています。