『アナと雪の女王』のように「ありのまま」で生きても職場で浮かないのか?

映画『アナと雪の女王』は、『ハリー・ポッターと賢者の石』を抜き、日本歴代興行収入3位になりました。

大ヒットを後押ししているのは、「Let It Go~ありのままで~」という曲の存在であると言えるでしょう。

英語の原曲も去ることながら、松たか子が歌う日本語訳の曲も共感を得ていることが注目に値します。

特に本来、「怒りや不安でさいなまれている人に、そんなことは忘れてしまいなさい」と呼びかける意味である"Let It Go"の部分が、「ありのままで」と意訳されているにも関わらず、ここまでの共感と支持を得ているのが、「ありのままに」、「自分らしく」生きたいと願う世相を表していると言えるのではないでしょうか。

「ありのまま」を生きることは「わがまま」にはならないのか?

誰かの期待に応えなければいけない毎日を送っていれば送っているほど、「ありのまま」という言葉の持つ響きが取り繕ったり、肩ひじ張ったりせずに生きていく感覚を覚えさせ、切望したくなる気持ちはわからなくはありません。

しかし、ここで根本的な疑問にぶつかります。

「ありのまま」に生きていると、周りからは「わがままだ」、「KYだ」と思われて浮いてしまうのではないでしょうか?

特に、職場においては、空気が読めること、気が利くことが求められていることもあり、自分勝手に傍若無人に振舞おうものなら、厄介者されるばかりか、誰も自分に積極的に関わってくれなくなり、余計に職場にいるのが息苦しくなるだけなのではないかと思います。

ここに最大のジレンマがあり、矛盾が潜んでいます。

私たちは、一般的に自分が「ありのまま」で生きたいと願い、「ありのまま」の自分を受け入れてほしいと切望する割には、他人が自分勝手に振舞って自分の領域を侵すことになかなか許可を与えることが出来ません。

つまり、「私がありのままでいることを受け入れなさいよ!」と相手に無理を強いて、相手が「ありのまま」であることは認めないのです。

実際の職場においていえば、「自分らしくいたいので、今日は遅刻することにしました。」とか、人手不足のために職場のみんなが残業をしてでもなんとか乗り越えようとしている最中に、その人自身の仕事も終わっていないのに終業時間になったらさっさと自分だけ家に帰られることを繰り返された上に、それが原因で迷惑をこうむっているのだとしたら、その人にキレるなという方が無理な注文です。

こうしたオトナの事情が「私たちは社会の中で生きている以上、ありのままで生きることなんて、そんなに簡単にできるものではない。ましてや、職場なんてもってのほか」という思いに至らせてもおかしくはありません。

「ありのまま」に生きることは、「行為」の領域の話ではない

この「ありのまま」に生きる方程式が成り立たないように見えてしまうのは、根本的に視点がずれていることに原因があります。

それは「ありのままに生きる」ということが「行為」の領域の問題になってしまっているということです。

「ありのままを生きる」ということは、自分勝手に反社会的な行動をすることではありません。

それは、「あり方」や「あり様」と言われるその人の内側の領域の問題なのです。

日本語ではわかりづらいですが、英語では行為や振る舞いの領域を"Do"や"Doing"と呼ぶのに対して、あり方やあり様の領域は"Be"や"Being"と呼ばれています。

"I have a pen."であれば、ペンを「持つ」というDoingの表現になりますが、"I am happy."や、"I am a challenger."であれば、"Being"の表現となります。

幸せ(happy)は「行為」ではなく、「心のあり様」であることはお分かりいただけるのではないかと思います。一方で、たとえばボクシングにおいて、挑戦者(challenger)は、チャンピオンに挑む立場という意味で「挑戦者」と名付けられていることから、その人が客観的に置かれている立場、役割とも言えますが、ここで着目したいのは、「挑戦者で"ある"」という挑戦者が心に決めている「あり様」のことを指しているものと考えてください。

茶道などの達人や、超一流のホテルマンなどは、傍若無人に振舞うどころか、一挙手一投足まで気配りが行き届いていて、ホスピタリティの塊といっても過言ではありません。

だからと言って彼らは、相手に媚びているわけではなく、まさに自然体で自分らしく「ありのまま」の姿を見せてくれています。

この"Be"や"Being"の領域こそが、「ありのまま」の本質であるのと共に、「ありのまま」を生きながらも、反社会的にならず、むしろ相手への貢献と共に生きるための道筋を照らしてくれます。

「ありのまま」で「ある」ことを可能にする鍵は?

リーダーシップ研究やリーダーシップトレーニングに何かしら関わっている人であれば、この"Being"という話を知らない人を探す方が難しいほど有名な概念です。

しかしながら、この"Being"を高めるというのは、言葉でいうのは簡単で、実現するのはとても難しいのです。

ボディービルダーの人にとって身体を鍛えることに終わりがないように、"Being"を高めていくことにも終わりはありません。

『アナと雪の女王』のエルザにとって、人の目を気にして雪山で一人生きることを決意したことが始まりだったように、「ありのまま」で生きる旅は一度で終わるわけではないのです。

ただ、前進すればするほど、歌詞で表現されているように「悩んでいたことが嘘みたい」であり、「すべてが小さく見える(英語歌詞)」ようになり、「ありのまま」で生きられている感覚はどんどん拡大していきます。

では、いったいどのようにしたら、「ありのまま」で生きられている感覚を拡大することが出来るのでしょうか?

そのヒントがまさに曲のタイトルである"Let It Go"にあります。

"Let It Go"を可能にするテクノロジー「U理論」

冒頭で"Let It Go"の本来の意味は、「怒りや不安でさいなまれている人に、そんなことは忘れてしまいなさい」と呼びかけることであるとお伝えしました。

これは、英会話で使われる文脈としては一般的なのだとは思いますが、リーダーシップ研究の文脈では意味合いが少し異なってきます。

"Let It Go"は、執着そのものを手放すこと、もっと正確に言えばIdentify(アイデンティファイ:自己同一視)した対象から、自己同一視を引き離すことを意味しています。

去年くらいまでをピークに「片付け」や「断捨離」がブームになりましたが、これまで何らかの執着をしていた物質的な物を捨てるというのは、"Let It Go"の一つのやり方です。

過去の自分がしがみついていた物質的な物を捨てることで、過去の自分と決別し、他の何かや誰かに振り回されるのではなく、「ありのまま」の自分を手に入れられるというのが、これらのやり方の到達点の一つでもあります。

"Let It Go"は、そうした物質的な何かを捨てることだけはなく、過去の自分の思考パターンや、否定的なセルフイメージ、「周りからどう見られるのか?」といった心理的な恐れなどからも離れることも含まれます。

それらのプロセスをマサチューセッツ工科大学 上級講師であるオットーシャーマー博士は、「U理論」と名付けた理論の中で体系化しています。

この理論は、オットー博士がグローバルな戦略コンサルティングファームであるマッキンゼー&カンパニーとの合同プロジェクトの過程を通して見出されたものです。

そのプロジェクトは、リーダーシップ、組織、戦略について、世界中のトップクラスの思想家にインタビューをするというもので、学者、起業家、ビジネスパーソン、発明家、科学者、教育者、芸術家など約130人の革新的なリーダーに対して実施されました。

超一流の人たちが行っているプロセスを明示したのがこのU理論になりますが、特徴的なのは彼らの行動だけに着目しているわけではないという点にあります。

その人たちが共通して行っていることは、ただ「やり方」を洗練するだけではなく、自分自身の内側の状態すなわち、「あり方」"Being"の質を高めることを重視しているということがわかったのです。

しかも、これまで抽象的な言葉のまま、語られていたものが、意識変容のプロセスとして表現されていることもあり、他の人たちにとって実践のヒントとなるものになっています。

恐れを乗り越えると「ありのまま」の自分に出会うことが出来る

U理論はモデル図がアルファベットのUの字で表現されており、全部で7つのステップから構成されていますが、詳しくは入門書などがありますのでそちらを参照いただくとして、ここではポイントを絞ってご紹介させていただきます。

U理論はモデル図で表現されているアルファベットのUの字の底で、「プレゼンシング(Presensing)」という状態に到達しますが、これが過去の延長線上にはない全く新しい未来が生まれる転換点になることをオットー博士は着目しています。

このプレゼンシングの状態に至った時、まったく新しいインスピレーションやチームにおける一体感などが現れると言われていますが、個人を対象として見た場合、「オーセンティック セルフ(Authentic Self:直訳すると真正の自己)」というものにたどり着けることがU理論の中では示唆されています。

このオーセンティックという状態こそが、「ありのまま」の状態であり、「オーセンティックセルフ」こそが「ありのまま」の姿でいる自分そのものになります。

先ほどのモデル図をご覧いただくと、プレゼンシングに入る手前に、「手放す(Letting Go)」と書かれていることにお気づきいただけるのではないかと思います。

Letting Go(Let It Go) こそが、ありのままの自分に至るための入り口であり、関門であるのです。

では、何を手放す(Let It Go)ことが求められているのでしょうか?

それこそが、物事を自己同一視していることから生じる執着であり、恐れということになります。

オットー博士は、プレゼンシングに至る最後の関門として、「恐れの声」があると指摘しています。この「恐れの声」を乗り越えて、虚空に一歩踏み出すことで、まったく新しい未来が迎え入れられる(Letting come)と言っています。

超一流のリーダー達は、この法則を体感的に知っていることで、恐れを乗り越え腹をくくって前進することを大切にしています。

『アナと雪の女王』の中でエルザ(雪の女王)は、物事を凍りつかせてしまう自分の力を恐れるのと共に、それが自分の妹や国中の人たちに悟られることを恐れて、部屋の中にこもって生きていました。

「Let It Go~ありのままで~」の曲の中で、エルザはまさにその恐れを手放し、自分らしく生きていくことを選択します。

その選択をしたところから、氷の城を創るくらいの力を解放し、新しい未来が迎え入れ(Letting come)ています。

この映画で表現されているエルザが氷の城を創る様子は、もちろん、ファンタジーではありますが、ありのままの自分が持つ力を迎え入れられるという意味で、的確なメタファーであるといえます。

そして、Uプロセスは一度で完結するわけではなく、何度もプレゼンシングに到達していくという人間成長の旅路そのものです。

何度もプレゼンシングに到達すれば、するほど、「ありのまま」の自分に至るのと共に、不思議とそこから湧き上がるものは、純粋な貢献意欲となっていきます。

「ありのまま」であれば、あるほど、「ただ、人の役に立ちたい」というまるで、小さな子供が親を喜ばせることに夢中になるような純粋無垢な貢献意欲だけが残っていきます。

それこそが、"Being"を高めることの本質であるのと共に、手放す(Let It Go)がリーダーシップと関係するといわれる所以(ゆえん)でもあります。

「ありのまま」の自分に至れば至るほど、職場で浮くどころか、自分らしい場への貢献を生み出すリーダーとしての素質が呼びさまされるのです。映画の結末で見せてくれるエルザの姿は、「ありのまま」でいることと、「人に貢献して生きること」の両立は可能であることを私たちに示してくれているといえるでしょう。