囲碁名人戦の舞台裏話 19歳の挑戦者・初めての挑戦手合

名人戦第1局2日目。打ち下ろす芝野八段。左は張名人。2019年8月28日筆者撮影

碁を打つことは同じでも、挑戦手合はふだんの試合とは違う。

打つ場所や食事、対局中に睡眠をとるなど、滅多にない体験が多い。

挑戦者に初めてなった芝野虎丸八段の体験を通して、挑戦手合の舞台を見ていこう。

対局場

ふだんの対局は、日本棋院会館などの所属本部で打たれるが、七番勝負となると、ホテルや料亭旅館が対局場となる。

1局を2日にわたって打つので、食事の提供ができる宿泊施設である必要があるのだ。

検分

対局前日には「検分」があって、盤や石、空調、トイレなどの場所などの確認がある。

多くの挑戦者は、記録係や解説者などで七番勝負の現場を経験していることが多いが、芝野八段は史上最速で挑戦者になったため、全く初めての状態で対局者となった

分からないことが多いと思うが、芝野八段はにこやかに堂々としている。

前夜祭

前日のイベントとしてもうひとつ、前夜祭がある。

ファンの前で、挨拶し抱負を述べる。

「自分が囲碁を始めたころ、張栩名人は活躍していました。まさか自分が相手になるとは思ってもみなくて、不思議な感じです。2日制もタイトル戦も初めてで分からないことが多いと思うけれど、いい棋譜が残せるよう頑張りたい」と芝野八段は語った。

張栩名人は「芝野さんは素晴らしく、実力もあり、魅力的な碁を打つ。打つのが楽しみでもあります。必ず盛り上がるシリーズにするよう、自分らしい碁を打っていたい」と述べた。

このあと両対局者は自室に戻って、食事をとり就寝。

対局1日目

対局室の前で、対局者はスマートフォン、タブレットなどの電子機器をスタッフに預ける。対局終了まで返してもらえない

8時54分に名人、56分に芝野八段が入室し、盤の前に座る。

将棋では、駒を盤上に並べておく準備があるので、かなり早くから両対局者が揃うというが、囲碁は5分前くらいがふつうだ。

9時ぴったりに、立会人の「時間になりました」の合図で対局が始まる。

黒白1手ずつ打ったところで、報道陣は退席。

12時、自室に戻ってお昼ごはん。

芝野八段はふだんの対局ではお母さん手作りの弁当を食べている。

今回選んだ勝負めしは、鉄火丼だった。

張栩名人は、きつねそば。 

芝野八段が注文した鉄火丼
芝野八段が注文した鉄火丼

13時 対局再開。

15時、おやつが運ばれる。

芝野八段はショートケーキとウーロン茶。

名人はホットミルクティーとフルーツ盛り合わせ。

このころ、AIの評価は、芝野八段の勝率90%と示した

大きく優勢の碁をどうまとめていくかが焦点となった。

17時43分。

17時半を過ぎたので、手番だった芝野八段が、2日制独特の「封じ手」を行った

2日制の碁では、手番のほうが一晩考えられるのは不公平になるので、最後の一手は盤上に打たずに碁罫紙に記入し、誰にも見られないように封筒に入れておく。これを封じ手という。

封じ手はホテルの金庫に一晩入れられる。

白番の芝野八段は、赤のペンで書き込むのが通例だが、「封じ手部屋」に持って行ったペンが黒番を示す青だった。「まずい」と思ったものの、そのまま青ペンで書き込んだ。

どこに打つかが分かればいいので、大きな問題ではない。

封じ手が終わると、盤上の石を片付けて、1日目が終わる。

封じ手と封筒。左下のあたりに芝野八段が記入した青色の丸印がある。本当は赤で書くところだった。
封じ手と封筒。左下のあたりに芝野八段が記入した青色の丸印がある。本当は赤で書くところだった。

封じた手が、まずかった場合は一晩悩むことになるので、封じたくない棋士も少なくない。

芝野は「部屋に戻ってそのあとを考えようとしたけれど、頭の中がもやもやして、考えてもしょうがないと思ってやめました」。

若い芝野八段にとってスマートフォンのない夜は珍しいだろう。

ふだんどおり11時に就寝。枕が違ってもよく眠れたという。

対局2日目

9時 前日までの局面まで並べ直す。もちろん、両者何も見ず淡々と87手までを5分ほどで並べた

封じ手を立会人が開封し、芝野八段がその場所に打って対局が再開された。

12時 昼食。

芝野八段は温かいうどん。

張栩名人は冷たいそば。特製で好物の油揚げが添えられた。

このあたりまで大優勢で進めてきた芝野八段だったが、構想にミスがあり苦しくなっていく

張栩名人の勝負手が功を奏しつつある。

15時 おやつ。

芝野八段の注文は チーズケーキ、アイスコーヒー、ミルク。

張栩名人は フルーツの盛り合わせとホットコーヒーを選んだ。

形勢ははっきり名人に傾く。

18時14分、終局。230手まで黒番張栩名人の6目半勝ちが確認された。

芝野八段にとって、大逆転の負けとなった

解説役の山下敬吾九段は「時間があるので、ふだん迷わないところで迷ったのか。それとも2日目で疲れがあったのか」と芝野を慮った。

2日間、対局中はずっと正座で過ごした芝野八段

「つらくなかった?」と質問されると、「座布団が柔らかかったので大丈夫でした」と笑わせた。

芝野「この碁は残念だったけれど、はっきり押されたとかはなかったので、また切り替えて頑張りたいと思います」

第2局は9月10日から張栩名人の故郷、台湾で打たれる。

囲碁観戦記者・囲碁ライター。神奈川県平塚市出身。1966年生。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。お茶の水女子大学囲碁部OG。会社員を経て現職。朝日新聞紙上で「囲碁名人戦」観戦記を担当。「週刊碁」「NHK囲碁講座」「囲碁研究」等に随時、観戦記、取材記事、エッセイ等執筆。囲碁将棋チャンネル「本因坊家特集」「竜星戦ダイジェスト」等にレギュラー出演。棋士の世界や囲碁の魅力を発信し続けている。著書に『囲碁ライバル物語』(マイナビ出版)、『井山裕太の碁 強くなる考え方』(池田書店)、『それも一局 弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ』(水曜社)等。囲碁ライター協会役員、東日本大学OBOG囲碁会役員。

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