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長期化が懸念されるウクライナ侵攻の展望――停戦協議はなぜ進まないか

六辻彰二国際政治学者
ウクライナ東部ルガンスク州に着弾した不発弾(2022.6.10)(写真:ロイター/アフロ)
  • ウクライナ侵攻が長期化するなか、停戦をめぐるウクライナとロシアの主張には変化がみられる。
  • ただし、とりわけウクライナ側には現状での交渉が不利という判断が働きやすく、現状での停戦協議に難色を示している。
  • ウクライナの警戒心は、停戦協議を働きかける西側先進国にも向かっている。

 世界の政治・経済に大きなインパクトを与えたウクライナ侵攻が始まって3カ月以上が経過し、長期化も懸念されている。ロシアとウクライナはこれまでに停戦協議を断続的に行ったものの、大きな進展を見せていない。果たしてウクライナ侵攻は今後どうなるのか。停戦の可能性について考える。

停戦協議の動き

 まず、これまでの停戦協議について確認しておこう。停戦に向けたロシアとウクライナの間の協議は、侵攻が始まった翌3月に早くも始まった。この停戦協議には二つのルートがある。

 一方には、2月28日からベラルーシで断続的に行われた会談があり、これはそれぞれの大統領直属のチームによるものだった。

トルコのイスタンブールを訪問したウクライナ代表団(2022.3.29)
トルコのイスタンブールを訪問したウクライナ代表団(2022.3.29)写真:ロイター/アフロ

 もう一方には、それぞれの外務大臣による協議があり、3月末にイスタンブールで行われた。こちらのルートは開催地トルコの他、イスラエルなどいくつかの国によって仲介されている。

 これらの協議の具体的テーマについては不明だが、英フィナンシャル・タイムズはベラルーシでの協議開始に先立って、複数の関係者の証言として15項目が話し合われていると報じた。

 そのなかには、ロシアが2014年に併合したクリミア半島やロシアが攻勢を強める東部ドンバス地方の扱い、ウクライナの将来的な安全の確保といった、両国間の長期的な関係にかかわるテーマだけでなく、捕虜の交換や人道支援物資の供給ルート確保といった、より実務的な問題も協議されているとみられる。

 ただし、これらの協議はこれまでのところ、具体的な合意にほとんどたどりついていない。両国の言い分に隔たりが大きいためで、とりわけ停戦の前提条件となる、ロシア占領地の扱いやウクライナと西側の関係については、着地点を見つけることが難しい。

ウクライナ東部ドネツク州でロシア軍を攻撃するウクライナ兵(2022.6.9)
ウクライナ東部ドネツク州でロシア軍を攻撃するウクライナ兵(2022.6.9)写真:ロイター/アフロ

ウクライナの優先順位のシフト

 とはいえ、注意するべきは、戦争が長期化するなかでウクライナ、ロシア双方の主張がシフトしていることだ。つまり、それぞれの言い分の全てを実現することが難しいなか、両国とも優先事項を徐々に絞り始めているのである。

 ウクライナに関していうと、ゼレンスキー大統領は当初、主に以下のポイントを強調していた。

  • ウクライナの領土・主権の保全
  • ロシアによる侵攻が始まった2月24日以前の状態に戻すこと
  • 将来にわたる安全の保証

 これらのうち、ロシアが2014年に編入したクリミア半島に関して、ウクライナ政府は3月のイスタンブールでの協議でロシア側と「15年間かけて協議することに合意した」と発表した。この問題はじっくり時間をかけて話し合うことにして、当面の優先課題から外した、というのだ。

東部ドネツク州を視察して兵士と言葉を交わすゼレンスキー大統領(2022.6.5)
東部ドネツク州を視察して兵士と言葉を交わすゼレンスキー大統領(2022.6.5)提供:Ukrainian Presidential Press Service/ロイター/アフロ

 また、ゼレンスキーはベラルーシでの協議が不調に終わった後の3月初旬、「もはやNATO加盟を強く求めることはない」と発言をトーンダウンさせている。そこには、ロシアに対するNATO加盟国間の温度差(後述)を受け、すぐさま加盟することは困難という現状認識があったとみられる。

 その結果、ウクライナの要求は、ロシア軍の撤退と、親ロシア派が実効的に支配する東部ドンバス地方の扱いに集中してくる。つまり、これらからロシアの影響力を排除することが優先課題になっているといえる。

 実際、侵攻開始から3カ月の節目に、ゼレンスキーは「領土を(侵攻が始まった)2月24日以前に戻したうえでロシアと交渉のテーブルにつく」と発言している。

ロシアの優先順位は?

 これに対して、ロシアもまた優先順位を絞り始めている。

 当初、ロシアは主に以下の要求をしているとみられていた。

  • ウクライナの「中立化」(NATOやEUなどに加盟しないこと)
  • ウクライナの「非軍事化」(外国軍隊を駐留させないこと)
  • ウクライナの「非ナチ化」(アゾフ連隊などの極右勢力をゼレンスキー政権から排除すること)

ロシア国営TV「ロシア1」のインタビューを受けるプーチン大統領(2022.6.1)
ロシア国営TV「ロシア1」のインタビューを受けるプーチン大統領(2022.6.1)写真:ロイター/アフロ

 これらのうち、とりわけNATO加盟を阻止するため、ロシアはウクライナ憲法に「中立」を盛り込むことを求めるなど、過剰なまでの要求を突きつけていたが、そのトーンは最近、弱まっている。ウクライナ政府の加盟要求に対するNATO加盟国間の温度差を見てとったロシアは、「中立化」が事実上達成されたと判断したのかもしれない。

 これに加えて、イスタンブールでの協議直前頃からロシア政府は「非ナチ化」についてもほとんど触れなくなった。これはウクライナが「NATO加盟」のトーンを弱めることとの取引だったという見方もある。

 いずれにせよ、その一方でロシア政府は、ウクライナ国内のロシア系人の多い土地について、他の条件以上に譲らない姿勢を鮮明にしている

 例えば、ロシアのラブロフ外相は4月、3月末のイスタンブールでの協議でウクライナ政府がクリミア半島の帰属に関して将来もロシアのものと認めたのに、その後になって「今後の協議案件」と発表したことは受け入れられないと表明した。

訪ロしたマリ外相と会談するラブロフ外相(2022.5.20)
訪ロしたマリ外相と会談するラブロフ外相(2022.5.20)写真:代表撮影/ロイター/アフロ

 秘密協議であるため、どちらの言い分が正しいかは藪の中だが、確かなことはロシアがクリミア半島をウクライナに戻すつもりがないことだ。

 これに加えて、4月にウクライナの首都キーウ(キエフ)の制圧に失敗した後、ロシアはそれまで以上に「主要目標はドンバスの解放」と強調するようになっている。

 ロシアはこの地域の歴史的領有権を主張しており、第二次世界大戦の戦勝記念日に当たる5月9日の演説でプーチンは「‘特別軍事作戦’が唯一の選択肢だった」と正当化しただけでなく、「ロシアはドンバスの‘母なる大地’のために戦っている」と強調した。

 さらに、「ドンバスでロシア系人が虐殺されている」と主張しており、これを防ぐためとしてその兵力を東部に集中させ、親ロシア派武装組織を支援している。

停戦協議は進むか

 このようにドンバスの取り扱いが最大の焦点となっているわけだが、それではウクライナとロシアの停戦協議は進むかというと、その公算は高くない。

 一般的に外交交渉は当事者が「何を得て何を放棄するか」を明らかにするプロセスといえる。この場合、ウクライナ、ロシアの双方がドンバス領有を最優先にするのであれば、それ以外で妥協して合意にたどり着くことはできない。

ウクライナの首都キーウ(キエフ)に対するロシアのミサイル攻撃(2022.6.5)
ウクライナの首都キーウ(キエフ)に対するロシアのミサイル攻撃(2022.6.5)写真:ロイター/アフロ

 ロシア政府は5月末から、しばしば交渉の再開を口にしているが、基本的にドンバスの取り扱いなどで譲歩するつもりはないとみられる。だからこそ、ウクライナ側は停戦協議の再開を拒否し続けている。

 ドンバスで親ロシア派が実質的な支配を強化しているなか、「即時停戦」を優先させれば、ウクライナはドンバスを諦めざるを得なくなりかねないからだ。ロシアの提案は、ウクライナが拒否することを織り込み済みの、「交渉する意志がある」というポーズに過ぎないとみられる。

 これに加えて、激戦が続くセベロドネツクなどウクライナ軍の善戦もあって戦局が一進一退を繰り返し、どちらも明白な優位を確立できていないことは、どちらにとっても交渉に向かう決定的な状況を生み出しにくくしている。

 そのため、ウクライナにとっては有利な立場で停戦協議に臨むためにも、軍事的な成果をあげ、「勝っている」という状況を作り出す必要がある。

 その意味では、ゼレンスキーが「戦争の終結は外交によってのみ可能」と強調しながらも、ウクライナ政府高官からしばしば「ウクライナの領土と主権の保全こそ我々の勝利」という声明が出され、東部などでの軍事的勝利を重視する姿勢が打ち出されることには一貫性がある。つまり、「停戦協議のためにも勝利が必要」という論理で、という意味でだ。

ウクライナのもう一つの懸念

 そのウクライナにとっては、ロシアだけでなく欧米の動向も懸念材料といえる。欧米はウクライナ支援では一致していても、その内実には温度差がある。

 イギリスの他、旧ソ連時代から因縁のあるポーランドやバルト三国などは、反ロシアの急先鋒として武器支援などを積極的に行なっている。これに対して、EUの中心を占めるフランスやドイツなどは、むしろ戦闘がもたらすダメージを軽減するため、即時停戦を重視している。

 さらに、NATO加盟国であるトルコは、ウクライナ侵攻を公式には批判しているが、その一方でロシアとウクライナの仲介にも動いている。

 こうしたなか、アメリカは武器供与を拡大しながらも、しばしばウクライナに停戦協議への復帰を呼びかけてきた。バイデン政権は、アメリカ自身が戦争に全面的に巻き込まれることを避けつつ、ロシアを撤退させる一つの手段として、停戦協議を捉えているとみられる。

 こうした「地政学的な取引」に対して、ウクライナ政府は不信感を隠さない

 5月21日、ウクライナのポドリアック大統領補佐官は停戦協議を求める意見を批判した上で、「停戦協議はロシアがウクライナから出て行った後からでだけ可能」「ロシアとの妥協は平和への道ではない」と強調した。そのうえで、ウクライナ政府は西側先進国に対して、これまで以上の武器支援やロシアとの取引制限などを求めている。

 こうした欧米とウクライナの関係は、ロシアとの戦局とともに、停戦協議が始まるかを左右するとみられる。ウクライナにとって注意すべき対象は、ロシアだけではないのである。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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