Yahoo!ニュース

「国家のため国民が戦う」が当たり前でなくなる日――ウクライナ侵攻の歴史的意味

六辻彰二国際政治学者
対独勝利記念パレードでのロシア軍兵士(2010.6.5)(写真:ロイター/アフロ)
  • ロシアでは強制的な徴兵への警戒感が広がっているが、ロシア軍は外国人のリクルートで兵員の不足を補っている。
  • 一方のウクライナでも、とりわけ若年層に兵役への拒絶反応があり、「義勇兵」の徴募はその穴埋めともいえる。
  • 「国家のため国民が戦う」が当たり前でなくなりつつあるなか、外国人に頼ることはむしろグローバルな潮流に沿ったものでもある。

 「国家のため国民が戦う」。いわば当たり前だったこの考え方は、時代とともに変化している。ウクライナ侵攻は図らずもこれを浮き彫りにしたといえる。

ロシアの「良心的兵役拒否」

 ウクライナ侵攻後、ロシア各地で反戦デモが広がっているが、その中心は若者で、年長者との年代ギャップが鮮明になっている。

 家族内でも議論が分かれることは珍しくないようで、ドイツメディアDWの取材に対して29歳のロシア人男性は「両親は国営TVから主に情報を得ていて、政府の説明を鵜呑みにしてウクライナ侵攻を支持している」「友人と一緒になって説明したので、父親は政府支持を止めて自分たちと一緒に抗議デモに参加するようになったが、母親は頑として譲らない」と嘆いている。

 こうしたロシアでは今、若者を中心に国外脱出を目指す動きが広がっており、その数はすでに20万人を超えたといわれる。その原因には経済破綻への恐怖だけでなく、強制的に徴兵されかねないことへの危惧がある。

 戦争の大義を信用できない若者が兵役を拒絶する状況は、1960-70年代のアメリカでベトナム戦争への反対から広がった「良心的兵役拒否」を想起させる。

 ともあれ、プーチンに背を向けるロシアの若者の姿からは「国家のため国民が戦う」ことへの拒絶の広がりがうかがえる。

兵員のアウトソーシング

 これと並行して、ロシアは外国人で兵員の不足を補っている。

 ロシア政府系の傭兵集団「ワーグナー・グループ」は、2014年のクリミア危機後、ウクライナ東部のドンバス地方で活動してきたが、ここには多くの外国人が含まれる。

 しかし、こうした「影の部隊」だけでなく、正規のロシア軍も外国人ぬきに成立しなくなっている

 プーチン大統領は2015年、ロシア軍に外国人を受け入れることを認める法律に署名した。ロシア語を話せること、犯罪歴のないこと、などの条件を満たし、5年間勤務すればロシア市民権の申請がしやすくなる(情報部門は除外)。最低給与は月額約480ドル で、これはロシアの平均月収約450ドルを上回る。

 情報の不透明さから規模や出身国、編成などについては不明だが、モスクワ・タイムズによると、貧困層の多いインドやアフリカからだけでなく欧米からも応募者があるという。その任務には戦闘への参加も含まれる。

 後述するように、一般的に外国人兵士には条件の悪い任務が当てられる。そのため、今回ウクライナに向かう10万人のロシア軍のなかに少なくない外国人が投入されていても不思議ではない。

逃げられないウクライナ男性

 これに対して、「国家のため国民が戦う」が当たり前でないことは、侵攻された側のウクライナでも大きな差はないとみられる。

 ロシアによる侵攻をきっかけにウクライナ政府は国民に抵抗を呼びかけ、これに呼応する動きもある。海外メディアには「レジスタンス」を賞賛する論調も珍しくない。

 もちろん、祖国のための献身は尊いが、国民の多くが自発的に協力しているかは別問題だ。

 ウクライナからはすでに300万人以上が難民として国外に逃れているが、そのほとんどは女性や子ども、高齢者で、成人男性はほとんどいない。ロシアの侵攻を受け、ウクライナ政府は18-60歳の男性が国外に出るのを禁じ、軍事作戦に協力することを命じているからだ

 つまり、成人男性は望むと望まざるとにかかわらず、ロシア軍に立ち向かわざるを得ないのだ。そのため、国境まで逃れながら国外に脱出できなかったウクライナ人男性の嘆きはSNSに溢れている。

 裏を返せば、成人男性が無理にでも止められなければ、難民はもっと多かったことになる(戦時下とはいえ強制的に軍務につかせることは国際法違反である可能性もある)。

「どこに行けば安全か」

 予備役を含む職業軍人はともかく、ウクライナ人の多くがもともと戦う意志をもっていたとはいえない。

 昨年末に行われたキエフ社会学国際研究所の世論調査によると、「ロシアの軍事侵攻があった場合にどうするか」という質問に対して、個別の回答では「武器を手にとる」が33.3%と最も多かった。

 しかし、戦う意志を持つ人は必ずしも多数派ではなかった。同じ調査では「国内の安全な場所に逃れる(14.8%)」、「海外に逃れる(9.3%)」、「何もしない(18.6%)」の合計が42.7%だったからだ。

 とりわけ若い世代ほどこの傾向は顕著で、18-29歳のうち「海外へ逃れる」は22.5%、「国内の安全な場所に逃れる」は28.0%だった。ウクライナ侵攻直前の2月初旬、アルジャズィーラの取材に18歳の若者は「僕らの…半分は、どこに行けば安全かを話し合っている」と応えていた。

 こうした男性の多くは現在、望まないままに軍務に就かざるを得ないとみられる。少なくとも、多くのウクライナ人が「国家のために戦う」ことを当たり前と考えているわけではない。

外国人に頼るのは珍しくない

 その一方で、ウクライナ政府は海外に「義勇兵」を呼びかけている。外国人で戦力を補うという意味で、ウクライナとロシアに大きな違いはない。

 もっとも、戦争で外国人に頼ることは、むしろグローバルな潮流ともいえる

 例えば、アメリカではベトナム戦争をきっかけに徴兵制が事実上停止しているが、2000年代から永住権の保持者を対象に外国人をリクルートしており、ロシアと同じく一定期間の軍務と引き換えに市民権を手に入れやすくなる。現在、メキシコやフィリピンの出身者を中心に約6万9000人がいて、これは全兵員の約5%に当たる。

コンゴに派遣されたフランス軍の外国人部隊(1997.6.14)
コンゴに派遣されたフランス軍の外国人部隊(1997.6.14)写真:ロイター/アフロ

 ヨーロッパに目を向けると、例えばフランスは1789年の革命をきっかけに「国民皆兵」が早期に成立した国の一つだが、この分野でも歴史が古く、映画などで名高いフランス外国人部隊は1831年に創設された。現代でもフランス人の嫌がる過酷な環境ほど配備されやすく、筆者もアフリカなどで調査した際、フランス軍の現地担当者ということで会ってみたら外国人兵だった経験がある。

 また、イギリスもやはり20世紀前半から中東やアフリカなどで兵員を募ってきたが、現在でも多くはやはり海外勤務に当てられる。

 近年は英仏以外の小国でも、一定期間その国に居住した経験がある、言語に支障がないなどの条件のもと、他のEU加盟国出身者などから兵員を受け入れている。このうちスペインでは外国人が全兵員の約10%を占めるに至っている。

 欧米以外でも、実際に戦火の絶えないリビアやシリアなど、中東やアフリカでは国民ではなく外国人が戦闘で大きな役割を果たす状況が、すでに珍しくなくない。

「国民が戦う」はいつから当たり前か

 「国家のため国民が戦う」のを当たり前と考えないことには、様々な意見があり得るだろう。しかし、その良し悪しはともかく、「自分の生命が大事」と思えば、「戦争があれば避難する」という選択は、ほとんどの人にとってむしろ合理的かもしれない。

 ただ、従来は戦火を嫌っても、ほとんどの人にとって母国を離れることが難しかった。それがグローバル化にともなう交通手段の発達、国をまたいだ移住システムの普及などで可能な時代になったから目立つようになっただけ、といった方がいいだろう

 もともと「国家のため国民が戦う」という考え方は、近代国家が成立するまで一般的でなく、それまでは基本的に戦士階級と傭兵だけが行なうものだった。

 「国民主権」の下、国民が名目上国家の主人となったことは、封建的な貴族やキリスト教会の支配から抜け出すことを意味した。だから、国民にとっても、国家のために戦い、国家の一員であることを証明することは、それまでの従属的な立場から解放されるために必要な道だった。

ポール・ドラローシュの「フォンテーヌブローのナポレオン」。英露連合軍に敗れて皇帝退位を余儀なくされたナポレオンを描いたものといわれる。
ポール・ドラローシュの「フォンテーヌブローのナポレオン」。英露連合軍に敗れて皇帝退位を余儀なくされたナポレオンを描いたものといわれる。写真:ロイター/アフロ

 ナポレオン時代のフランス軍が圧倒的な強さを誇った一因は、ほぼ無尽蔵に兵員を供給できる「国民皆兵」のシステムが他のヨーロッパ諸国にまだなかったことにあった。

21世紀的な戦争

 しかし、第二次世界大戦後、普通選挙の普及と社会保障の発達もあって、国家の一員であることはむしろ当たり前になった。さらに冷戦終結後、人権意識が発達し、国家に何かを強制されることへの拒絶反応は強くなった。

 そのうえ、どの国でも貧困や格差が蔓延し、多くの国民が困窮するなか、そもそも国家に対する信頼や一体感は損なわれている(コロナ対策への拒否反応はその象徴だ)。

 その結果、何がなんでも徴兵に応じなければならないという義務感は衰退し、その裏返しで外国人への依存度が高まっている。各国政府にとっても、国民の抵抗が大きい徴兵制を採用して危険な任務を課すより、その意志をもつ外国人を受け入れる方が政治的コストは安くあがる。

 こうした見た時、人手不足を外国人で穴埋めする構図は、多くの産業分野と同じく、国防や安全保障でも珍しくないといえる。これは単に「たるんでいる」という話ではなく、世の中全体の変化を反映したものとみた方が良い。

 ウクライナ侵攻は土地の奪い合いという極めて古典的な戦争である一方、外国人ぬきに成り立たないという意味で極めて21世紀的な戦争でもあるのだ。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事