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ガソリン高騰をさらに煽るウクライナ危機――プーチンの二重の賭け

六辻彰二国際政治学者
ブラジルのガソリンスタンド(2021.9.9)(写真:ロイター/アフロ)
  • ガソリン高騰にはいくつかの背景があるが、世界屈指の天然ガス輸出国ロシアが関わるウクライナ危機も深く関係している。
  • 戦闘が実際に発生しなくても、「戦争があるかも」という観測そのものがエネルギー市場に資金を引き寄せる呼び水となっている。
  • 原油高はロシアの景気振興になるのと同時に、さらなる高騰のリスクがアメリカへの圧力になっているが、そこにはロシア自身にとってのリスクもある。

 ウクライナ危機は安全保障上のリスクであるだけでなく、すでに高騰しているガソリン価格をさらに押し上げかねない。ロシアが世界第二の天然ガス輸出国だからだ。

ヨーロッパ発の石油危機になるか

 世界全体の原油価格の目安となるWTI原油先物は2月4日7年ぶりに90ドルを突破した。原油の高騰は、今後さらに進む可能性が大きい。

 エネルギー関連テクノロジー企業ガスバディは昨年暮れの段階ですでに、ガソリン価格が2022年中に2021年よりさらに値上がりする懸念を示していた。その大きな要因として指摘されるのがウクライナ危機だ。

 世界全体の原油輸出に占めるロシアの割合は12.5%(2019)で、サウジアラビア(14.7%)に次ぐ第2位である。

 そのため、ロシアがウクライナをめぐって欧米と対立する状況が長期化すれば、主にヨーロッパ向け輸出にブレーキがかかりかねない。この警戒から、例えば東欧ハンガリーのオルバン首相は1月31日、クレムリンでプーチン大統領と会談し、地域の安定やエネルギーの安定供給について協議している。

 とはいえ、影響はヨーロッパに止まらない。たとえロシアから原油を直接輸入していなくとも、ロシア産原油の供給が滞れば、グローバル市場での需給も影響を受ける。

 1970年代の二度の石油危機は第四次中東戦争(1973)、イラン・イスラーム革命(1979)といった中東の変動をきっかけにしたが、今度はヨーロッパがその震源地になりかねない。

戦闘に至らなければ問題ないか

 注意すべきは、ウクライナで戦闘が実際に発生するかしないかは、あまり関係ないということだ。

 もともとエネルギー価格は流動的な資金によって左右される傾向がある。世界的な好景気に沸いていた2008年(その直後にリーマンショックがやってきた)、原油価格は1バレル160ドル以上という歴史的な高値をつけたが、この前後に世界最大の原油輸出国サウジアラビアは再三「原油の供給量は十分」と表明していた。

 つまり、世界的なカネ余りのもとで資金がエネルギー市場に過剰に流入した結果、価格が実態としての需要を上回る水準になったと、サウジ政府は投機的資金への警戒を促していたのである。

 これは現代も基本的に変わらない。

(出所)markets businessinsiders.comから作成.
(出所)markets businessinsiders.comから作成.

 2021年以降、世界各国の経済はコロナ禍から徐々に立ち直ってきたが、その一方で物流には大きなブレーキがかかったままだ。そのため、原油の需要は高まっても供給が追いつかない。リーマンショック直前の2008年と現代で異なるのは、この供給不足だ。

 しかし、多すぎる資金が市場に流れ込み、価格をさらに引き上げる点では同じだ。実際、昨年春頃からエネルギー産業が機関投資家の関心を集めてきたが、ウクライナで緊張が高まり始めた昨年秋から、火の手が上がっていなくとも、原油価格はさらに段階的に上がったのである。

 ウクライナ国境に10万人の兵力を集め、極超音速ミサイル「イスカンデル」を配備するといったロシアの軍事行動は「戦争が起こるかも」という観測を強めたが、その観測によって原油価格のさらなる高騰を見込んだ投機的な資金がエネルギー市場にそれまで以上に引き寄せられ、さらなる高騰に繋がってきたといえる。

 この構図は、今後も当面続くとみた方がよいだろう。

ウクライナ国境付近に展開するロシア軍戦車(2022.2.3)
ウクライナ国境付近に展開するロシア軍戦車(2022.2.3)写真:ロイター/アフロ

プーチンの賭け

 その意味で、ウクライナ危機は原油高騰の最後の一押しになったといえるが、これがどこまでロシア政府の計算だったかは不透明だ。ウクライナ危機には根深い歴史的背景があり、プーチンが原油価格をつり上げるためだけに危機を演出したと断定するだけの根拠はない。

 その一方で、政府収入の約43%をエネルギー収入が占めるロシアにとって、少なくとも結果的に、原油高騰が主力産業のテコ入れになっていることは確かだ。

 ただし、原油高はロシア経済にとって一種の劇薬でもある

 本格的な戦闘になればロシアの生産能力が打撃を受けることは容易に想像されるが、それ以前にコロナ感染拡大による高インフレ率やルーブル安などでロシア経済の土台はもともと大きく揺らいでいる。そのため、国際通貨基金(IMF)はロシアのGDP成長率が2021年の4.5%から2022年には2.8%にまで落ち込むと予測している。

 つまり、危機のエスカレートは原油高による利益を増加させる一方、海外からのロシア向け投資を増やすことでさらなるインフレ圧力になるとみられるのだ。その意味で、プーチンにとってウクライナ危機は大きな賭けといえる。

原油高と緊張エスカレートの悪循環

 これに加えて、ウクライナ危機にともなう原油高はプーチンにとって、もう一つの賭けでもある。原油高がアメリカを追い詰める一つの圧力になるとしても、それが結果的に世界市場に占めるロシアのシェアを落とすことにもなりかねないからだ。

 クリミア危機が発生した2014年以降、アメリカはロシアに数々の制裁を実施してきたが、ロシア産原油の輸入は続けており、その量は2021年11月段階で1785万バレルにのぼった。「戦争になれば原油の破壊的高騰をもたらす」という暗黙の脅しを受けるバイデン政権は、ウクライナのために本格的な対立を演じることには消極的で、実際に今のところロシアからの原油輸入を止めていない

 その一方で、バイデンは1月31日、カタールのシェイク・タミーム首長をホワイトハウスに招いて会談し、カタールを「良き友人で頼れるパートナー」と持ち上げた。

 中東のカタールは天然ガス生産量で世界第6位(2020)を誇る。オミクロン株が蔓延するこのタイミングで、リモート会議ではなく、わざわざホワイトハウスでタミーム首長と対面したこと自体、「エネルギー供給源を分散させることでロシアとの対決が不可能でなくなる」というメッセージをモスクワに送るものといえる。

 1970年代の石油危機でアラブ諸国による禁輸に直面したアメリカは、メキシコなど石油輸出国機構(OPEC)加盟国以外からの原油輸入を増やした。つまり、石油を武器にしたアラブ諸国は、結果的に新興産油国の成長を促し、自分で自分のライバルを育ててしまったともいえる。

 これに照らすと、ロシアが原油高を背景にアメリカに迫ることは、それ以外の輸出国を活性化させる契機にもなりかねない。アメリカがエネルギー供給源をこれまで以上に多角化することは、ロシアへの強気の姿勢をとりやすくする一因となる。

 その意味でもプーチンにとってウクライナ危機は賭けなのであり、ウクライナをめぐる米ロのチキンレースは、原油によって加熱し、さらに原油価格を高騰させるという悪循環に陥っているといえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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