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なぜウクライナで欧米とロシアが対立? 経緯や今後は…知っておきたい基礎知識5選

六辻彰二国際政治学者
セバストポリで演説するプーチン大統領(2021.11.4)(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 ウクライナをめぐる欧米とロシアの対立はエスカレートする一方で、収束の見込みは立ってない。なぜウクライナが発火点になるのか。以下ではいまさら聞けないウクライナ情勢の基礎知識を5点に絞ってまとめる。

(1)ウクライナはいつからロシアのナワバリか?

 今でこそ欧米とロシアのナワバリ争いの場になっているウクライナだが、18世紀にロシア帝国が編入して以来、基本的にロシアのナワバリだった。

 ロシア帝国は17世紀以来、いわゆる不凍港を求めて南下したが、そのなかで手に入れたウクライナには死活的な重要性があった。クリミア半島の港湾都市セバストポリが黒海から地中海に抜ける拠点になったからだ

 セバストポリは19世紀半ば、やはり黒海周辺への進出を目指していた英仏とロシア帝国の間で戦われたクリミア戦争(1853-56)で主戦場になるなど、大国間の争点にもなった。

 ロシアでは1917年、ロシア革命で世界初の共産主義国家ソビエト連邦が誕生したが、その後もクリミア半島の重要性は変わらなかった。

 セバストポリをはじめウクライナ東部にはソ連時代、数多くのロシア人が移住し、1954年にはクリミア半島が「友好の証」としてウクライナに移譲されたが、ロシアとウクライナがともにソ連の一部であった間、これは大きな火種にもならなかった。

クリミア危機直後のセバストポリにおけるロシア海軍艦船(2014.7.27)
クリミア危機直後のセバストポリにおけるロシア海軍艦船(2014.7.27)写真:ロイター/アフロ

 しかし、この移譲とロシア人移住が、21世紀に大きな問題として浮上することになる。

(2)なぜロシアはウクライナにこだわるか?

 ウクライナで欧米との綱引きが本格化した大きな転機は、東西冷戦の終結(1989)とソ連崩壊(1991)だった。「鉄のカーテン」が取り払われたことをきっかけに、ロシアのナワバリだった東欧や旧ソ連圏に欧米企業が大挙して進出したのだ。

 それにともない、東欧や旧ソ連圏の国からは西側の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)への加盟申請が相次ぐことになった。

 もっとも、欧米は当初、東欧や旧ソ連圏を陣営に組み込むことに消極的だった。その大きな理由は、NATOやEUの「東方拡大」がロシアを刺激するからだった。

会見で握手する米国ブッシュ大統領とソ連ゴルバチョフ大統領(1991.7.31)。この年の暮れ、ソ連は音を立てて崩れることになった。
会見で握手する米国ブッシュ大統領とソ連ゴルバチョフ大統領(1991.7.31)。この年の暮れ、ソ連は音を立てて崩れることになった。写真:ロイター/アフロ

 欧米がロシアを信用しないように、ロシアにも欧米に対する歴史的な不信感がある。だからこそ、冷戦末期にアメリカなどは「冷戦終結後もNATOの東方拡大はない」とソ連を説得した経緯がある

 しかし、やがて1990年代末頃からNATOとEUは、東欧や旧ソ連圏からの加盟申請をなし崩し的に受け入れるようになった。これが欧米に対するロシアの警戒感と反感を高めたことは不思議でないが、とりわけ問題になったのがウクライナのNATO加盟申請だった。

 旧ソ連圏のなかでも経済、人口ともに最大のウクライナはロシアにとって、欧米の「東方拡大」に対するいわば最終防衛ラインだ

 それは欧米も承知している。そのため、NATOのリーダーであるアメリカは、ウクライナ軍との合同軍事演習を1996年から実施しながらも、ウクライナの加盟申請を事実上放置し続けるなど、「味方だが仲間にはしない」グレーな対応に終始したのである。

(3)どのように対立はエスカレートしたか?

 ウクライナをめぐる欧米とロシアの冷たい対立が表面化したのが、2004年の「オレンジ革命」だった。

 ウクライナでは西部に親欧米派が多く、東部に親ロシア派が多い。そのため選挙結果は常に揺れ動き、どちらが勝利してももう一方から強い反発が出やすい。

 2004年大統領選挙の期間中、野党の親欧米派ユシチェンコ候補の顔が種痘だらけになり、「与党陣営による毒攻撃」のウワサが飛び交った。こうしたなか、親ロシア派ヤヌコービチ候補勝利の選挙結果が報じられたことをきっかけに親欧米派市民の抗議デモが拡大し、最終的に選挙結果がひっくり返ってユシチェンコが大統領に就任したのである。

 このオレンジ革命でアメリカの下院議員の一団が現地で抗議デモを支援したことは、結果的にロシアをさらに煽ることになった。その直後、親欧米派の政権が発足したウクライナに、天然ガス供給を停止するなど、ロシアはより強硬な姿勢をみせるようになった。

ウクライナ大統領選挙のやり直し投票直前のユシチェンコ(2004.12.4)。顔面の種痘が痛々しい。
ウクライナ大統領選挙のやり直し投票直前のユシチェンコ(2004.12.4)。顔面の種痘が痛々しい。写真:ロイター/アフロ

 この関係が決定的に悪化した転機は、2013年からのEUと旧ソ連圏6カ国との間で持ち上がった「東方パートナーシップ首脳会合」だった。これはEUが旧ソ連圏にまでメンバーを拡大しようとするもので、2010年選挙で改めて大統領に選ばれた親ロシア派ヤヌコービチは、一度は会合出席の方針を示したが、ロシアの強い反発を受けてこれを撤回したのだ。

 これに激怒した親欧米派市民の抗議デモが徐々に拡大し、翌年にかけて各地で政府庁舎が占拠されるといった無政府状態になった。その混乱のなか、2014年3月にロシア軍が「ロシア系人の保護」を名目にクリミア半島に侵攻を開始したのである

 これが第二次世界大戦後のヨーロッパで最も緊張が高まったといわれるクリミア危機の発端だった。

 ロシア軍が掌握したクリミア半島では住民投票が行われ、その結果に基づいてウクライナからの分離とロシアへの編入が決定された。これは国際法的に違法だが、その後もクリミア半島は事実上ロシアの統治下にある。

クリミア半島に進駐したロシア軍(2014.3.1)
クリミア半島に進駐したロシア軍(2014.3.1)写真:ロイター/アフロ

 つまり、ロシアはウクライナのなかでも特に重要なクリミア半島を優先的に確保したわけだが、デリケートな状態にあったウクライナに手を伸ばした欧米の無遠慮さと、なりふり構わずナワバリを守ろうとするロシアの拒絶反応が、この危機を呼んだといえる。

(4)今回の危機のきっかけは?

 クリミア危機直後に発足したウクライナの親欧米派政権は、ドイツとフランスの仲介のもと、ロシアとの間で2014年9月、外国軍隊の駐留禁止や緊張緩和などを確認した(ミンスク合意)。しかし、その後もウクライナでは騒乱が絶えなかった。

 特にロシア系人の多い東部ドネツクでは、親ロシア派の過激派と政府軍の衝突が続いた。彼らはクリミア半島のようにウクライナからの分離とロシア編入を求めており、ウクライナ政府はこれを「テロ組織」と呼び、ロシアが支援していると批判してきた。

 その一方で、ウクライナ西部を拠点とする過激な民族主義者は、政府を支持して東部の分離主義者への攻撃をエスカレートさせたが、民間人の無差別殺傷といった戦争犯罪も指摘されてきた。それでも、欧米は東部の分離主義者に対するロシアの支援を批判する一方、西部の民族主義過激派を支援してきた

政府軍と衝突するドネツクの分離主義者(2014.5.14)
政府軍と衝突するドネツクの分離主義者(2014.5.14)写真:ロイター/アフロ

 こうした水面下の争いが続く一方、「ウクライナに協力するがNATO加盟は棚上げにする」欧米のグレーな対応は基本的に維持された。ところが、2021 年にアメリカがウクライナ支援に軸足を移したことで、事態は急展開した。

 その一つの象徴は、9月末から10月初旬にかけて行われた、アメリカ軍とウクライナによる合同軍事演習だった。この軍事演習は1996年から行われてきたが、2021年のそれは15カ国から6000人の兵員が参加する、近年にない大規模なものだった。

 さらに10月23日アメリカはウクライナに180基のジャベリンミサイルからなる対戦車ミサイルシステムを配備した

 このミサイル提供は2017年、当時のトランプ政権が打ち出した方針だったが、その後なかなか実現しなかった。ロシアとの融和的な姿勢を国内で批判されたトランプ政権がとりあえず約束したものの、実際にミサイルを提供すればロシアとの緊張を嫌でもエスカレートさせることは目に見えていたからだ。

 ところが、中国だけでなくロシアに対しても対抗姿勢を鮮明にするバイデン政権は、実際にジャベリンを提供した。

アフガニスタンでジャベリンミサイルを発射する米軍兵士(2015.1.1)
アフガニスタンでジャベリンミサイルを発射する米軍兵士(2015.1.1)写真:ロイター/アフロ

 対戦車ミサイルであるジャベリンには、ロシア本土を狙うほどの能力はない。しかし、アメリカによる既成事実の積み上げにロシアは敏感に反応し、ジャベリン展開の1週間後の10月末、ウクライナ国境付近に部隊を移動させ始めた。

 プーチンはNATOに「レッドラインを超えるな」と警告し、国境に展開する部隊の規模を年末までに10万人にまで増やしただけでなく、1月中旬には極超音速ミサイル「イスカンデル」をウクライナに向けて配備し、首都キエフまでも射程に収めた。

 こうした過剰ともいえる反応に欧米はロシア批判を強めているが、基本的な構図は2014年のクリミア危機に近いものがある。

(5)今後の焦点は?

 対立の行方は予断を許さない。

 プーチンは戦争をするつもりがないと強調する一方、ウクライナ政府が「反ロシア的な過激派に影響されている」とも主張しており、アメリカに対して改めて「ウクライナのNATO加盟を認めないこと」を求めている。

 ロシアと全面衝突してでもウクライナを守るほどの意思や利益がアメリカにあるかは疑問だ。しかし、これまでテコ入れしてきた以上、簡単に見捨てれば他の国からの信用にも関わるし、「ロシアの脅しに簡単に屈した」とみられれば国内外からの支持も失いかねない。

ウクライナを訪問し、当時のポロシェンコ大統領と握手する副大統領時代のバイデン(2015.6.7)。この頃からバイデンはウクライナと密接な関係を築いてきた。
ウクライナを訪問し、当時のポロシェンコ大統領と握手する副大統領時代のバイデン(2015.6.7)。この頃からバイデンはウクライナと密接な関係を築いてきた。写真:ロイター/アフロ

 このデッドロックのなか、バイデンは12月8日のプーチンとの会談で緊張のエスカレートに反対する一方、「ロシア軍が動いてもアメリカの部隊をウクライナには派遣しない」とも述べた。

 しかし、これではウクライナからの反発もあるため、その直後に300人の軍事顧問団を派遣してウクライナ軍の訓練を開始した。これはいわば「お茶を濁した」格好だ。

 その一方で、1月26日にはドイツ、フランスがロシア、ウクライナとの四者会合を再開させた。この会合が今後につながる合意をもたらすことへの期待はアメリカ内にもある。アメリカはロシアとのチキンレースを簡単に降りられないが、これをヨーロッパ勢がどこまでアシストできるかが、対立の行方を大きく左右する焦点になるといえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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