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アジアの重石になった日本――「中国包囲網の‘穴’」であることの意味

六辻彰二国際政治学者
アメリカ海軍の原子力潜水艦「イリノイ」(2016.10.29)(写真:ロイター/アフロ)
  • 領土問題などを除くと、日本は中国に厳しく対応しているとはいえない。
  • むしろ、経済や人権問題で、日本はアメリカ主導の中国包囲網の「穴」になっている。
  • それは日本政府の意図とは無関係に、日本をアジアの重石にしてきた。

 米中対立が深刻化するアジアで、日本にはどっちつかずの方針が目立つが、これは少なくとも結果的に、全体のバランスが大きく崩れるのを防ぐ役割を果たしている。

核不拡散のグレーゾーン

 9月15日、アメリカはイギリス、オーストラリアとともに、インド太平洋における新たな安全保障協力の枠組みAUKUSを発足させ、それにともなってオーストラリアには原子力潜水艦の技術が提供されることになった。機密性の高いこの技術の供与は極めて稀で、アメリカにとって初めてのことだ

 中国を念頭においたこの合意に関して、米英豪の3カ国は「原潜の駆動系に関する技術供与で、オーストラリアが核武装するわけではない」と強調している。核兵器の移転を禁じた核不拡散条約で、原潜はグレーゾーンにあるからだ。

 極めてセンシティブな技術の供与は、アメリカがオーストラリアを安全保障上のパートナーとしていかに重視しているかを象徴する。AUKUSはこの他、軍事分野で重要性を増すAIやサイバー分野での協力強化も目指している。

 こうしたAUKUS発足は、米中対立のステージがさらに上がったことを意味する。そのため、日本で「これを機に日本もますますアメリカと協力を深めるべき」といった論調があることは不思議ではない。

中国包囲網の‘穴’

 とはいえ、日本がAUKUSのように踏み込んだ安全保障協力に向かうか、あるいはアメリカがそこまで期待しているかは疑わしい。アメリカ主導の中国包囲網において、日本はいわば大きな「穴」になってきたからだ

 日本はアメリカ、オーストラリア、インドとともにQUAD(日米豪印戦略対話)の一員であり、昨年からインド洋での合同軍事演習を行なっている他、中国と領土問題を抱えるベトナムやフィリピンに武装可能な船舶を提供するなど支援を強化してきた。

 しかし、領土問題を除けば、日本の態度は決して厳しいものではない。それはとりわけ経済分野で鮮明だ。

 アメリカがデカップリングを叫ぶ現在でも、中国は日本にとって最大の貿易相手国である。

 それだけでなく、日本政府は昨年11月アメリカが中国包囲網を加速させるのと入れ違いのように、中国や韓国、東南アジア諸国、オーストラリアやニュージーランドなど15カ国からなる新たな自由貿易協定RCEPに署名し、今年4月にはこれが国会で批准された。やはり中国と領土問題を抱えるインドが途中でRCEP交渉を離脱し、オーストラリアがいまだに批准していないにもかかわらず、日本が署名・批准したことは、その穏当さを象徴する。

ジョー・ヨシ狂想曲

 こうした温度差は、今年4月の日米首脳会談でも浮き彫りになった。

 菅総理とバイデン大統領の初めての会談では、中国が最も神経を尖らせるテーマの一つである台湾問題が取り上げられ、日本ではそのこと自体が大きく報道された。

 ただし、メディアの大騒ぎとは裏腹に、日本政府の態度は極めて微温的だったといえる。アメリカが台湾支援の強化を目指しているにもかかわらず、日米間で合意できた内容が「台湾問題の平和的解決」にすぎなかったからだ

 これは1979年の米中国交正常化で中国自身が受け入れた文言であり、目新しいものでも、踏み込んだ内容でもない。そのため、この内容しか合意できなかったことが、アメリカにとって不満の大きいものだったことは疑いない。

 日本がどっちつかずであるという見方は、アメリカだけのものではない。台湾にある国立政治大学の黃奎博教授は「日本政府はタカ派の発言を薄めるように努めているようだ」と指摘し、「有事には台湾を助けるべき」という麻生副総理の発言の実行性を疑問視している。

 これに加えて、アメリカが中国批判のテコとして重視する、香港や新疆ウイグル自治区などでの人権問題に関しても、日本政府は「懸念」以上のコメントを控えてきた。

 要するに、米中対立が本格化するなか、日本は基本的にアメリカ側に立ち、中国の台頭に要所要所でクギを刺しながらも、必要以上の摩擦を避けてきたといえる。

「穴」をどう評価するか

 ワシントンと北京に両股をかけるスタンスは冷戦時代からのものだが、これがどこまで計算づくかは微妙なところだ。

 一般的に政府の決定に首尾一貫性を想定すること自体、非現実的であることは、アメリカの政治学者G.アリソンが1971年に名著『決定の本質』で明らかにしたことだが、近年の日本政府・自民党に関してみても、日本全体のどっちつかずの方針は、アメリカ寄りの安倍-麻生ラインと、中国との関係を重視する二階幹事長や経済界との間の綱引き、あるいは中国脅威論と経済合理性の間の綱引きの結果ともいえる。

 ともあれ、たとえ結果的にであっても、米中に両股をかけているとすれば、「同盟国アメリカに協力しないのはけしからん」という意見もあり得るだろう。また、経済関係を重視して人権問題に及び腰であることも、名誉な話ではない。

 ただし、外交面に限っていえば、日本がアメリカに全面的に協力しない(あるいは日本自身の都合によってできない)ことは、日本にとって一定の合理性を見出せる。中国と明確に対決しないことは、中国の目を日本に向けさせる効果があるからだ。

 これまで中国はアメリカとの関係が悪くなるたび、日本に接近してきた。それによって中国は、日本をよりどころに「国際的に孤立していない」イメージを確保できる。

 それは日本にとって、中国に恩を売るまたとない機会となる。だとすれば、中国と全面的に対立するリスクと、どっちつかずである外交的利益を天秤にかけた場合、国内の反中世論を意識して表向きは威勢のいいことを言いつつも、政府・自民党の大勢が、よりコストパフォーマンスの高い手段として後者に向かっても不思議ではない

アジアの重石

 その一方で、日本がどっちつかずであることには、アジアの安定にとっての意味も見出せる。

 日本が中国包囲網に全面的に参加すれば、中国をさらに追い詰めることは可能かもしれない。しかし、それは同時に、アジアの緊張をこれまでになくエスカレートさせることも間違いない。

 アメリカの中国包囲網はすでに周辺国の懸念を招いている。AUKUS発足を受けて、東南アジア諸国からは「原潜配備はオーストラリアの固有の権利だが、AUKUSは地域の緊張を高める」という批判が上がった。そのなかには中国と領土問題を抱えるフィリピンや、オーストラリアの有力パートナーであるシンガポールまで含まれる。

 これは東南アジアに広がる「中国の覇権主義に警戒すべきだが、アメリカの過剰な行動にも警戒すべきだ」という危機感を象徴する。

 例えば、深謀遠慮で知られるシンガポールのリー・シェンロン首相は、米中対立が本格化しつつあった2019年10月、アメリカメディアのインタビューで「アメリカと中国のどちらかを選ぶことは‘とても難しい’」と述べ、二者択一を迫られることを暗に拒絶した(シンガポール政府系TVが報じたこの部分は、アメリカではほとんどカットされた)。

 この文脈を踏まえれば、同じ頃に訪日したリー首相が日本商工会議所の会合で「RCEPにおける日本の役割は非常に重要」と述べたことには、リップサービス以上の意味を見出せる。

 つまり、日本がアメリカに全面的につきあわないことは、中国を追い詰めすぎて暴発することにブレーキをかける効果がある。言い換えると、日本のどっちつかずは米中対立を和らげることまではできないが、アジアのバランスを大きく崩さない一助にはなる。

 その意味で、日本は好むと好まざるとにかかわらず、「敵か味方か」ではない余地をもたらすことで、アジア全体の重石になったといえる。

 日本で現在行われている自民党総裁選は、コロナ対策など内政が大きな争点だが、この観点からも重要である。次期首相の方針、とりわけ中国との距離感は、今後の米中対立にも少なからず影響を及ぼすからだ。自民党総裁選は単なる「コップのなかの嵐」ではなく、アジア全体を暴風雨にさらすかどうかの節目にもなり得るのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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