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スー・チー拘束でも国際社会がミャンマー政変を「クーデタ」と認めたくない理由

六辻彰二国際政治学者
ミャンマーの最高責任者スー・チー(2015.11.5)(写真:ロイター/アフロ)

  • 各国にはミャンマーのクーデタを「クーデタ」と認めたくない事情がある
  • 制裁がミャンマーを中国側に押しやることになるからだ
  • しかし、事実上の軍事政権のもとで少数民族の迫害がエスカレートする公算は高い

 スー・チーらミャンマー政府要人が相次いで軍に拘束されたが、各国がこれを「クーデタ」と認めることにはハードルが高い。そこには中国の影がある。

民主化の逆流

 2月1日早朝、ミャンマーの事実上の最高責任者アウン・サン・スー・チーら政府要人が軍によって拘束された。首都ネピドー周辺では電話、インターネット回線も遮断されていると報じられている。

 軍は以前から、クーデタに向かう可能性を示唆していた。その理由は、昨年11月の総選挙でスー・チー率いる国民民主同盟(NLD)が、上院224議席中135議席、下院440議席中255議席を獲得し、この圧倒的な勝利によって単独政権を発足できるようになったことだった。

 ミャンマーでは1988年にやはりクーデタで軍事政権が発足したが、2010年に民主政に移管した歴史がある。ただし、その後も軍人が議会の4分の1を占めるなど、軍が大きな政治的発言力を握ってきた。

 ところが、昨年11月の選挙では、軍が支援する連邦団結発展党(USDP)は上院で11議席、下院で30議席と圧倒的な少数派に転落した。これは民主主義がミャンマーで定着しつつあることを示したが、政治・経済に根をはった既得権益層である軍の警戒感を募らせることにもなった

 その結果、軍は「選挙での不正」を訴え、「政治危機を克服するための介入」を示唆するようになった。1月27日、軍の最高実力者ともいわれるミン・アウン・フライン将軍は「憲法がないがしろにされている」と気勢をあげた。その5日後、新政権の閣僚が初めて議会に着席する予定だった2月1日、ついにクーデタが発生したのだ。

クーデタは「クーデタ」になるか

 ミャンマー軍は1年間の緊急事態宣言を発令し、この間軍による直接統治が行われるとみられる。今後の展開については予断を許さないが、軍がUSDPを通じて実質的に支配する構図ができるとみるのが順当だろう。その場合、スー・チーらNLD幹部を厳罰に処せば国民からの反動が大きいため、自宅軟禁などで拘束する公算が大きい。

 いずれにせよ、実質的な軍事政権が復活すれば、国民の政治活動を規制しながら経済成長に注力する、良くいえば実務的な、悪くいえば開発独裁的な統治になるだろう。

 その時、対応を迫られるのは先進国だ。1988年のクーデタの際、日本はミャンマー向け援助をわずかながらも続けた。「相手国の内政に立ち入らない」のが日本政府の立場だからだ。

 しかし、ほとんどの欧米諸国はミャンマーに経済制裁を実施した。アメリカなどでは、クーデタで権力を握った政権への援助を禁じる法律があるからだ。

 もっとも、こうした原理・原則はケース・バイ・ケースでもある。実際、エジプトで2013年にイスラーム勢力が握る政府を軍が打倒し、実質的な軍事政権が発足した際、アメリカはこれを「クーデタ」と認定せず、援助を続けた。つまり、相手次第ではうやむやになるのであり、「クーデタ」の認定そのものが政治的ともいえる。

 それでは、今回の場合、ミャンマーのクーデタは国際的に「クーデタ」と扱われ、何らかの制裁が行われるのだろうか。

中国の影

 1988年の場合と比べて、今回アメリカなどがミャンマーのクーデタを「クーデタ」と認定するハードルは高い。そこには中国の存在があるからだ。

 欧米諸国が経済制裁を実施していた1980年代後半から2000年代後半までの20年間、いわば「空き家」に近かったミャンマーに急速に進出したのは、中国、インド、タイなどの新興国だった。なかでも中国にとってミャンマーは天然ガスやルビーの生産国であるだけでなく、陸路でインド洋に抜けるルート上にもあるため、積極的な進出を進めた。

 2010年の民主化と前後して制裁は解除され、ミャンマーは再び大手を振って先進国とも取引できるようになった。それ以来、ミャンマーは「東南アジア最後のフロンティア」として先進国からの投資が相次ぐようになった。

 それでも、中国の存在感は圧倒的に大きい。国際通貨基金(IMF)の統計によると、2018年段階で中国の対ミャンマー貿易額は約118億ドルにのぼり、その金額は世界1位で、2位のタイ(約57億ドル)以下を大きく引き離している。

 つまり、ここで欧米諸国が制裁を行なえば、ミャンマーをより中国側へ押しやることにもなりかねない。それはミャンマーを「一帯一路」により深く食い込ませることになるため、「中国包囲網」の形成を目指すバイデン政権にとって頭の痛いところだ。

 恐らくミャンマー軍幹部はこの先進国の立場を理解し、「介入はない」と判断したうえでクーデタに向かったものとみられる。

少数民族迫害がエスカレートする恐れ

 その一方で、事実上の軍事政権が復活した場合、ミャンマーでは少数民族の迫害がエスカレートする公算が高い。なかでも2017年から注目されることが多いロヒンギャ問題への懸念は大きい。

 ミャンマーの少数民族ロヒンギャは、そのほとんどがムスリムだが、仏教ナショナリズムを掲げる僧侶などによって家屋が焼かれたり、暴行・殺害されたりしたため、現在では隣国バングラデシュなどに70万人以上が難民として逃れている。

 この問題では、最高責任者であるはずのスー・チーも、ロヒンギャ迫害を積極的に取り締まらないと批判されてきた。民主化に尽力し、ノーベル平和賞も受賞したスー・チーがロヒンギャ問題で冷淡とさえいえる態度を見せ続けた最大の理由は、ミャンマー軍がこの蛮行に加担していたからだ。

 もともとミャンマーでは軍事政権時代から、少数民族の土地を取り上げ、そこに人口の70%を占める仏教徒のビルマ人を移住させる「ビルマ化政策」が進められてきた。これは民主化後も軍の大きな影響力の下で続き、ロヒンギャ問題でも兵士の関与が頻繁に報告されてきた。

 すでにクーデタの機運が高まっていた1月初旬には、強制居住区から逃れようとしたロヒンギャ100人が当局に逮捕されている。

 事実上の軍事政権の復活は、こうした少数民族弾圧を構造化させるきっかけにもなりかねない。各国の利害関係の影で弱い者ほど泣きを見る構図は、ここでもみられるのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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