• アフリカ中部のカメルーンでは、イスラーム過激派のテロ、分離独立運動、政府への抗議デモが重なり、97万人以上が避難民になっている
  • しかし、アフリカ屈指の産油国で、さらに欧米とも良好な関係を維持するカメルーンに対して、各国からは目立った批判や制裁はない
  • 世界の片隅で無視される危機の深刻化は、難民の増加を通じて海外にも小さくないインパクトを秘めている

 アフリカ中部のカメルーンで広がる騒乱と抗議デモは「世界で最も無視される危機」とも呼ばれるが、世界の片隅での危機はたとえ間接的であってもその影響は先進国にも及びかねない。

「世界で最も無視される危機」

 ノルウェー難民理事会は今年6月、「世界で無視される10の危機」をリストアップしたが、そのうち9つまでがアフリカのものだった。なかでも「最も無視される危機」と評されたのが、カメルーンのものである

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 2002年の日韓共催サッカーW杯で選手団がホストタウン大分県中津江村に本来の予定を大幅に遅刻して到着して以来、日本ではカメルーンがなんとなくのどかなイメージで記憶されがちかもしれない。しかし、この国は今や軍事衝突とデモの巷と化しており、今年4月までに97万人以上が国内避難民になっている。

 カメルーンの危機はさまざまな要因が絡み合ったもので、そこには主に以下の3つのものがある。

・北部に隣国ナイジェリアからイスラーム過激派ボコ・ハラムが流入

・西部で分離独立運動が激しくなり、軍との衝突が激化

・「アフリカ最長の独裁者」の一人ポール・ビヤ大統領への抗議デモが活発化

 こうした状況に、各国の反応は鈍い。

 例えば、香港や新疆ウイグル自治区での人権侵害を理由に中国への制裁を叫ぶアメリカは、事態の悪化を受けてカメルーン製品(多くは石油)への貿易上の優遇措置を停止し、事実上関税を引き上げたが、すでに各国に対してトランプ大統領が関税を引き上げできたことを考えると、とりわけ強い制裁でもない。

生活のためのテロリストの増加

 世界の片隅で大きな関心を集めることもなく進むカメルーン危機のうち、イスラーム過激派ボコ・ハラムの活動は、2013年頃から深刻化してきた。

 ボコ・ハラムは2000年代末頃からナイジェリアで治安部隊との衝突を繰り返し、それと並行して近隣の国でテロ活動を活発化させてきた。カメルーン北部はムスリムが多いが、この土地に流入したボコ・ハラムにより昨年一年間だけで275人が殺害されたとみられる。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、度重なる襲撃や誘拐に避難する人が続出した結果、3000人ほどあった人口が約100人にまで減少した村さえある

 ボコ・ハラムはイスラーム過激派といっても、生活に行き詰まった若者を吸収して肥大化した集団で、その活動は教義や大義に基づくというより、人質をとって金品をせしめたり、憂さ晴らしのような殺戮やレイプを繰り返したりするなど、野盗とほとんど変わらない。貧困が蔓延するアフリカでは、テロが生活の手段にする、いわば「生活のためのテロリスト」が後を絶たないのだ。

 しかし、中東と異なり、アフリカで広がるテロに対する国際的な反応は鈍い。カメルーン政府もテロ対策への協力を求めているが、欧米諸国は人権侵害を理由にアフリカへの武器供与を控えている。人種侵害なら中東も同じのはずだが、アメリカはサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)をはじめ中東諸国への武器輸出はむしろ増加させている。

植民地支配の後遺症

 この騒乱に拍車をかけているのが、カメルーン西部の分離独立運動だ。

 カメルーン西部は2017年9月、アンバゾニアとして分離独立を宣言。これに対して、カメルーン政府は軍隊を動員し、衝突が激化した。その結果、西部では今年6月までに3000人以上の死者が出たといわれる。

 この問題は植民地支配の後遺症ともいえる。カメルーンはかつてドイツの植民地だったが、第一次世界大戦でドイツが敗れた結果、フランスとイギリスの植民地に分割された。その結果、イギリス領だった西部では英語が普及しており、その他の地域ではフランス語が主流になっている。

 独立後、二つのカメルーンは一つに統合されたが、人口で少数派の英語圏は常にフランス語圏の風下に立たされてきたため、1990年代からは自治権の拡大を求める動きが活発化。これが中央に抑圧されたことで、分離独立を叫ぶ声はさらに大きくなり、アンバゾニア独立宣言に至ったのである。

 ところが、ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、西部に派遣された軍隊は住民への無差別の殺害やレイプなど、むしろ騒乱を加熱させている。さらに、商店などの掠奪も報じられている。

 この状況を、歴史的に因縁の深いフランス政府も無視できなくなっており、2月にはマクロン大統領が英語圏住民への弾圧を公式に批判した。フランス政府は多くの場合、自国の支持基盤である政府の人権侵害には沈黙しがちで、その意味でこの批判は珍しいが、実際にはこれといった制裁などは検討されていない。

冷戦時代からの「独裁者」への抗議

 最後に、ビヤ大統領への抗議デモの活発化が、カメルーン危機に拍車をかけている。

 1982に大統領に就任したビヤは、その在任期間でアフリカ最長の「独裁者」の一人だ。1990年以降、形式的に選挙が行われているものの、選挙管理委員会が今もないことに象徴されるように、カメルーンでの選挙は出来レースに他ならない。

 しかし、それでも国内でのビヤ大統領への抗議は、これまで英語圏など一部に限られていた。カメルーンはアフリカ屈指の産油国で、その石油収入によって多くの公務員や国営企業職員を雇用することで、政府は支持基盤を固めてきたからだ。

 ところが、2014年に原油価格が急落。そこに治安の悪化やコロナも加わり、カメルーンの市民生活は急激に悪化している。その結果、これまで封じられできた政府批判が噴出しているのである。

 カメルーン政府はデモ隊を「秩序を乱す者」とみなして軍事力で封殺しており、野党カメルーン・ルネサンス運動の指導者で、2018年選挙の不正を主張して抗議活動を呼びかけるモーリス・カント氏の自宅は治安部隊に包囲され、事実上の軟禁状態にある。

アフリカの危機が促す分断とは

 コロナと異なり、カメルーン危機は世界経済に及ぼす影響は小さい。また、米中対立と異なり、日本や主要国への関わりは限定的だろう。

 しかし、カメルーンをはじめとするアフリカの「無視される危機」は、人道的な問題であると同時に、海外にとっても無関係ではない。

 危機が深刻化するアフリカでは難民が増えているが、その多くはアフリカ内部で吸収されている。カメルーンには、それ以前から周辺の中央アフリカ共和国やナイジェリアから約30万人の難民が流入していたが、これが社会の不安定化を促す一因にもなってきた。

 そのカメルーンからは、この1年間で4000人以上がヨーロッパで難民申請を行っている。この1年間にヨーロッパで難民申請を行った約53万人のうち、人数の多い10カ国の半分はシリア、イラクなど中東からが占めていたが、カメルーンを含むアフリカの状況がさらに悪化すれば、先進国に押し寄せるアフリカからの難民はさらに増加すると見込まれる。

 玉突きのように広がる難民危機は、これまで以上に欧米で内向き志向を強め、ミニ・トランプとも呼ぶべきポピュリストの台頭を加速させかねない。それは世界をさらに分断する原動力ともなり得る。カメルーン危機はその一つの導火線といえるだろう。