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科学者に寄りかかった政治――安倍政権「緊急事態宣言延長」の曖昧さ

六辻彰二国際政治学者
緊急事態宣言を発出する安倍首相と尾身・専門家会議副座長(2020.4.17)(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
  • すでにロックダウンを段階的に緩和し始めている各国では「再生産数1以下」といった分かりやすい基準を設けている
  • しかし、こうした「分かりやすさ」は「科学的な厳密さ」とイコールとはいえない
  • 「科学的に誤りのない決定」に縛られた日本政府は、緊急事態宣言の延長と5月末で解除されるかについて、明確な基準を示せていない

 政府が緊急事態宣言の延長を決定したことは、状況が変化するなかで流れに身を任せがちな日本的リーダーシップの典型といえる。

どうなれば解除されるのか

 安倍首相は5月4日、緊急事態宣言を5月31日まで延長すると正式に発表した。

 事前告知があったこともあり、その意味では驚きもないが、安倍首相の演説を聞いていて分からなかったのは、「どうなれば次回は延長しないのか(あるいはどうなればまた延長するのか)」だった。

 演説のなかで安倍首相は延長の理由として

・「感染者の減り方が十分でない」、

・「まだ1万人以上の重症患者が治療中」、

・「重症患者の治療に力を入れるために新規感染者を減らす必要がある」、

・「毎日100人以上が退院・回復しているがそれを下回るまで新規感染者を減らす必要がある」、

と述べ、一段の協力を国民に求めた。

 しかし、それでは1日あたりの退院・回復者が新規感染者を上回れば、あるいは1日当たりの新規感染者が100人を下回れば、危機が(終息とはいわなくとも)一段落就いたとみなして緊急事態宣言を終わらせるのか? そこについては何も明言しなかった。

 日本の場合、欧米とは異なる、いわばソフト・ロックダウンともいうべき自粛だが、政府の支援の遅さと手薄さも手伝って、それでも経済状況は加速度的に悪化しており、例えば東京商工リサーチによると「新型コロナ経営破綻」は4月24日までに全国で93件にものぼっている。

 この状況のなか、感染拡大を防ぐ必要があることは勿論だが、緊急事態宣言終了の基準が示されず、ゴール設定が分からないまま「協力をお願いします」といわれても、先行きへの不安は払しょくされない。

海外でのロックダウン緩和基準

 すでにロックダウンを段階的に解除し始めた国はいくつもあるが、このうち例えば物理学の学位をもつメルケル首相が率いるドイツの場合、「再生産数1以下」を基準にした。1人の患者がウイルスを感染させる人数を1以下にすれば、感染は収束に向かうというのだ。

 「再生産数1以下」は国際的なトレンドとして認知されつつあり、メルケル首相の方針は「科学的」との評価も高い。

 一方、経済再開に前のめりのトランプ大統領のやり方は、もっとラフなものだ。4月16日、トランプ大統領は再生産数などにはほとんど触れず、「新規感染者の減少」だけをほぼ唯一の理由として「ピークは過ぎた」と断言。経済再開に向けたガイドラインの策定に着手した。

 こうしてみると、メルケル首相とトランプ大統領の方針は、トーンは全く別物だが、「状況がどうなれば緊急事態宣言に区切りをつけるか」に関して、国民に分かりやすい基準を提示した点ではほぼ共通する

「総合的な判断」の怪

 この点からすると、日本政府の方針はとにかく分かりにくい。

 安倍首相は5月4日の演説で「新規感染者は減少し、再生産数は1を下回っている」と認めた。しかし、「それでもまだ十分ではない」と述べ、緊急事態宣言の延長に理解を求めた。

 「では、どこまでいけば十分というのか」と聞きたくもなるが、何度も言うようにそこは明言されなかった。

 安倍首相の演説に先立って、西村担当大臣は4日、衆議院議院運営委員会で緊急事態宣言の解除の判断基準として、

・「直近2~3週間の新規感染者の数」、

・「感染経路が特定できていない感染者の比率」、

・「PCR検査が適切に行われているか」、

・「医療提供態勢が十分か」、

・「近隣の都道府県の感染状況」、

 などをあげたうえで、それらを踏まえて「総合的に判断していく」と述べた。

 安倍首相の演説よりは具体的だが、最終的に「総合的な判断」といわれてしまえば、結局は分かりにくいままだ。「総合的な判断」とは、要するに「いろいろな要素を加味して考える」ということだが、どの要素をどの程度考慮するかは決定者がその都度、判断するものだからだ。

科学に寄りかかった決定

 端的にいえば、「緊急事態宣言延期」は結論を先延ばしにしたものといえるだろう。

 初期対応に出遅れた安倍政権は、それを挽回するように2月末、唐突に学校休校を打ち出して不興をかった。さらに一般受けを狙ったはずのアベノマスクや「星野源事件」でますます墓穴を掘り、求心力を低下させるなか、業を煮やして世論に直接発信する専門家会議に唯々諾々とついていかざるを得ない構図が定着している。

 科学者からすれば「国民に分かりやすい基準」より「確実な基準」が重要なのは間違いない。日本でも再生産数を重視する論者は少なくないが、ロックダウンの緩和そのものが現在進行形でその効果も測定中であるため、特定の基準を絶対的なものとして扱えるかは専門家の間でも議論がある。例えば、ハーバード大学公衆衛生学部のキャロライン・バッキー博士は「確実なエビデンスがない以上、いつ『戻る』のかについての科学的な根拠に基づく判断は難しい」と述べている。

 つまり、安倍首相や西村大臣が示した、複数の項目を盛り込んだ判断基準は、科学者にとってはごく当然のものかもしれないが、それが結果的に出口の見えにくい「緊急事態宣言延期」になったといえる。それは科学を尊重しているというより、特定の科学者に寄りかかった決定であり、政治家としての独立性が疑わしくさえある。

 安倍首相や西村大臣だけではない。加藤厚労大臣は4月30日、「PCR検査が少なすぎるのではないか」という批判を受けて安倍首相が4月6日に「PCR検査を1日2万件にする」と述べていたことを参議院予算委員会で問われ、「PCR検査を2万件やるとは申しあげていない」とひっくり返した。

 これも「PCR検査よりクラスター対策」という専門家会議の方針に沿ったものだが、どちらの対策の方が科学的に正しいかはここでの問題ではない。重要なのは、行きがかりはともかく、最高責任者が発した言葉が専門家会議の方針と異なる場合、これをこともなげに覆い隠そうとする姿勢だ。

 トランプ大統領やメルケル首相の場合、その趣旨は全く異なるが、「科学的な知見は科学的な知見として、政治的な決定はそれを踏まえて、政治家が責任をもって行うべき」という姿勢で共通する。そこには、周囲の状況を受け止め、それを意志で変化させようとする覚悟があるといえる。

 科学者にただ付き従うだけなら、それは政治家の主体性の喪失を意味する。科学者に寄りかかった決定を繰り返す日本政府には、流れに身を任せることをよしとする受動性しか見いだせないのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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