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香港に迫る中国のもう一つの軍隊、人民武装警察とは何か

六辻彰二国際政治学者
人民武装警察の部隊(2007.3.4)(写真:Reuters/AFLO)
  • 拡大する香港デモに対して、中国当局は人民武装警察を周辺地域に展開させている
  • 人民武装警察はテロ対策などを専門とする部隊で、習近平体制のもとで指揮命令系統などが改革され、「共産党体制の番人」としての地位を名実ともに確立した
  • これまでより集権化した人民武装警察が介入した場合、天安門事件以上の鎮圧が行われる可能性すらある

 香港でデモ隊が空港を占拠するなど混乱が拡大するなか、本土との境界付近で中国の準軍事組織、人民武装警察が移動している。人民武装警察はテロ対策などを専門にする独立した部隊で、これが動き始めたことは、香港でのデモが拡大し続ける状況に中国当局が容赦なく取り締まる意思を示したものとみられる。

もう一つの軍隊

 米国防総省傘下のナショナル・ディフェンス大学などは人民武装警察を「中国のもう一つの軍隊」と呼ぶ。「準軍事組織」とも呼ばれるように、人民武装警察は軍隊と警察の中間に位置するもので、日本など先進国ではこれに該当するものがほとんど見当たらない。

 主な任務は国内の治安対策、海上警備、戦時における人民解放軍の支援の3つで、これにあたる人員は現在約150万人にのぼる。

 その装備には催涙弾やゴム弾など一般の警察でも使用されるものの他、自動小銃、火炎放射器、迫撃砲、装甲車なども含まれる。また、『ミリタリー・バランス』によると、近年では無人機など諜報のための新技術の導入も進められている。

 中国の一般的な警察官が青い制服を着ているのに対して、人民武装警察の制服は軍隊式のオリーブグリーンで、天安門広場など重要拠点で警備にあたる姿は外国人の目に触れる機会も多い。

共産党体制の番人

 2009年に中国公安部は人民武装警察の存在意義を「国家安全保障の番人」であると明言している。しかし、一党制国家の中国において、党は国家に優越するため、実際の人民武装警察の役割は「国家の安全を守ること」ではなく「共産党体制の安定を図ること」にあるといえる。

 実際、人民武装警察はこれまで共産党体制を脅かす者を各地で鎮圧してきた。それは漢人以外の少数民族が多い土地で特に目立つ。

 例えば、分離独立を求めるチベット自治区で2008年に発生した暴動では、人民武装警察が「自衛のため」発砲し、当局の発表だけで21人が死亡し、数百人が負傷した(実際はもっと多くても不思議ではない)。これに関して、人民武装警察は「過激派の鎮圧は国内法および国際法に照らして適法」と言明している。

 また、イスラーム系のウイグル人が多い新疆ウイグル自治区では、「分離主義者によるテロ」への対策として、約1万人の人民武装警察が駐留し、抗議活動などを押さえ込む主体ともなっている。

習近平体制のもとの再編

 このように人民武装警察は共産党体制の番人としての認知を得ているが、これが名実ともに確立されたのはごく最近のことである。

 もともと人民武装警察のルーツは、1949年の建国直後に発足した「人民公安部隊」にある。これは中国政府公安部の管轄下に置かれた部隊だったが、「共産党の軍隊」である人民解放軍からの影響も大きかった。

 そのため、数度の組織改編を経て、1982年に正式に発足した人民武装警察は、それ以前の権力闘争を反映して、共産党中央軍事委員会と国務院の二重の指揮を受ける点に大きな特徴があった。

 ところが、2018年にこの指揮命令系統は中央軍事委員会のみに一本化された。治安機関が複数の指揮権のもとにあること自体、異例のことであり、この改革は近代国家としては当然のことだが、実際には中国国内の縄張り争いの結果として実現した。

 二重の指揮に服していた時代、各地の省政府などにも人民武装警察の指揮権は与えられていた。しかし、集権化を進める習近平体制のもと、権力闘争のなかで習氏と異なる派閥に属する各省の共産党トップが収賄などの容疑で相次いで拘束されるなか、「人民武装警察が北京に敵対し得る」という懸念が共産党に生まれた。

 その結果、人民武装警察は共産党中央軍事委員会の直属となり、これによって人民武装警察はそれ以前にも増して「共産党体制を守るための組織」になったといえる。言い換えると、人民武装警察の改革は、習近平体制の集権化の一つの象徴でもあるのだ。

天安門事件以上の鎮圧はあるか

 この変化は、香港での治安対策にも変化をもたらすとみられる。

 複数の指揮命令系統があった時代、人民武装警察は人民解放軍と異なり、必ずしも共産党の意向に沿った活動を行わないことがしばしばあった。

 例えば、1989年の天安門事件の際、北京に駐留し、郊外に向かう幹線道路などの警備に当たっていた人民武装警察のいくつかの部隊は、中央軍事委員会からの命令にもかかわらず、民主化運動を行う学生のデモ隊を鎮圧することを拒んだといわれる。そのため、二重の指揮命令系統が共産党からみて「非効率」と映ったとしての不思議ではない。

 これを受けて、1995年に中央軍事委員会と国務院は人民武装警察の人事権を中央軍事委員会に集中させるという政令を発表し、集権化を図った。しかし、それでも省政府の幹部らは人民武装警察を展開する権限を手放すことに消極的だった。

 先述の指揮権の一元化は、こうした「非効率」をなくすものだ。それは言い換えると、香港デモに人民武装警察が介入すれば、共産党の指示に忠実にデモ隊の鎮圧に臨むことを意味する。

 1989年当時と比べて大国としての存在感を増す中国が、しかも世界の目が集まる香港に、人民武装警察を実際に投入するかは予断を許さない。しかし、もし中国当局が国際的な批判を覚悟で介入する場合、天安門事件以上に徹底した弾圧になる可能性さえあるといえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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