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リベラルな価値観は時代遅れか――プーチン発言から考える

六辻彰二国際政治学者
G20大阪サミットでのプーチン大統領。隣は文在寅大統領(2019.6.28)(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
  • プーチン大統領は「リベラルな価値観は時代遅れ」と断定した
  • しかし、ロシアはともかく先進国では、リベラルな価値観は保守を自認する多くの人々にも共有される「当たり前」のものになっている
  • それにもかかわらず、政治勢力としてのリベラルが衰退した最大の要因は、保守派と比べてアップデートに遅れたことにある

ロシアは最先端?

 プーチン大統領は6月27日、インタビューで「リベラルな価値観は時代遅れ」と断じた。そのうえで、欧米諸国で移民や難民の権利が過度に認められ、これが多くの国民に拒絶されていると指摘。リベラルな価値観の衰退と入れ違いに伝統的な価値観がこれまで以上に重要になっているとも述べた。

 プーチン氏の見解が正しいとすれば、ネット規制が強化され、政府への批判が違法化され、スカート着用で化粧をして出勤した女性社員に報奨金を出す会社もあるロシアは、むしろ世界の最先端を行くらしい。

 皮肉はさておき、少なくとも西側先進国の現状をみれば、プーチン氏の発言は正鵠を射ているように映る。

 トランプ大統領に代表されるように、移民・難民の受け入れを拒絶するエネルギーは各国で強まっている。先進国に限ってみれば、リベラルと目される政府はカナダのトルドー政権などに限られる。一昔前、欧米諸国でリベラル政権が珍しくなかったことからすると、隔世の感がある。

 ただし、それでもプーチン発言を真に受けることはできない。ロシアはともかく、少なくとも先進国ではリベラルな価値観の多くは時代遅れというより「当たり前」になったからである。

「当たり前」になったリベラル

 そもそも「リベラルな価値観とは何か」だけで大著を著す必要があるが、ここでは簡単に「性別や出自などの属性にかかわらず、個人に対等の権利を認めるべきと捉える立場」と考えたい。

 本来リベラルな価値観は、階級、性別、民族などの属性が偏った支配によって抑圧された個人を解放するイデオロギーとして登場した。

 これに対して、保守と呼ばれる立場は、多かれ少なかれ属性の違いを理由に権利の格差を容認する(「女性は土俵にあがるべきでない」など)といえる。

 それが行き過ぎればヘイトスピーチと呼ばれるが、当事者たちはこれを「表現の自由」や「思想信条の自由」で正当化する。ただし、ここで注意すべきは、「表現の自由」や「思想信条の自由」が18世紀イギリスのジョン・ロックに遡るリベラルの系譜のなかで発達した観念であることだ。

 つまり、保守を自認する多くの人々もリベラルの遺産によって立っていることになる。それはリベラルの価値観がそれだけ浸透していることを象徴する。

リベラルな価値観を吸収した極右

 プーチン氏がとりわけ強調した移民問題でも、それは同じだ。

 欧米諸国で広がる白人至上主義は、そのネーミングから「白人が一番偉い、有色人種は劣った存在」という、ナチスの優生学を思わせる主張をしていると誤解されやすい。しかし、内心はともかく、白人至上主義者たちの多くは「自分たちは他の文化を尊重している」と主張する。

 その主張がなぜ移民排斥につながるか。ヨーロッパ極右の草分け、フランスの国民戦線の主張を要約すれば「自分たちが彼らの文化を尊重するのだから、彼らも我々の文化を尊重すべきで、彼らの存在で我々の文化が壊される以上、彼らは我々の国から出て行くべき」となる。

 「文化の間に優劣はない」という考え方は文化相対主義と呼ばれ、植民地支配が衰退した第二次世界大戦後に生まれたリベラルな立場だ。白人至上主義者はこの思想を取り込んで理論武装することで、保守とリベラルの中間にいる有権者に幅広い支持を広げたのである(山口定・高橋進編『ヨーロッパ新右翼』)。

政治勢力としてのリベラルはなぜ衰退したか

 こうしてみたとき、リベラルな価値観は時代遅れどころか、その根幹にある思想は先進国では当たり前すぎて保守派も無視できないものだ。

 だとすれば、なぜ政治勢力としてのリベラルは多くの国で衰退したのだろうか。

 リベラルの一部が教条化し、少しでも差別的とみなされる言動に集中砲火を浴びせる様子がニュートラルな人々の拒絶を招いたことなど、理由はいくつも考えられる。しかし、より根本的な理由としては、弱者の救世主であったはずのリベラルが特権階級の代理人とみなされやすくなったことがあげられる。

 リベラルな価値観の浸透にともない、とりわけ1990年代以降、弱者に特別な配慮をする制度は、国によって程度の差はあっても普及してきた。そのなかには難民や不法移民にも最低限の権利を保障することや、議員などの女性枠の確保(アファーマティブ・アクション)、貧困層への各種支援、一定以上の規模の事業所での障がい者雇用枠などが含まれる。そこには、20世紀後半にリベラルな価値観を再構築し、あらゆる人が自分の属性を抜きに考えれば「最も条件の悪い人に最優先に対応すること」に同意できるはずと説いた、アメリカの哲学者ジョン・ロールズの影響をうかがえる。

 ともあれ、これらの措置はもともとハンディのある人に「ゲタを履かせる」もので、当初から「逆差別」という批判もあったが、社会の中核を占める中間層(特に男性)に余裕があった間は、総じて大きな火種にならなかった。

 ところが、どこの国でも格差が拡大し続け、中間層の没落が鮮明になるにつれ、その余裕は失われた。

 これまで強者とみなされてきた中間層に「弱者になりかねない危機感」が蔓延しても、そのほとんどはいわゆる弱者と異なり、特別な保護の対象になっていない。こうした「弱者予備軍」からみて、あくまで弱者にゲタを履かせる支援や改革を求めるリベラルは、自分たちを置いてけぼりにするものと映りやすい

 だとすれば、むしろ「普通の国民の利益」を強調する保守派に弱者予備軍が流れるのも不思議ではない。2016年大統領選挙でトランプ氏を支持した勢力のなかに、ラストベルトと呼ばれる重厚長大型の工業地帯の労働者が含まれていたことは、この文脈からも理解できる。

 つまり、リベラルの用語や理論を吸収して理論武装し、無党派層を引きつけてきた保守派と比べて、アップデートに遅れたことが、リベラルな政治勢力を衰退させたとみてよい。その自己反省の上に立った再構築なしに、リベラルの復調はないといえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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