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メイ首相の辞任―イギリスを凋落させる有権者の「有力感」とは

六辻彰二国際政治学者
EU離脱をめぐって閣僚辞任が相次ぎ記者会見を開くメイ首相(2018.11.15)(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
  • メイ首相が昨年11月にEUと交わした離脱条件は、イギリスが今の立場で望める最大限の利益を確保するという意味で、現実的だったといえる
  • しかし、それぞれの主張を全く譲ろうとしない離脱派と残留派の挟撃は、メイ首相を辞任に追いやった
  • 党派的イデオロギーが合理的な妥協をはねつける状況は、民主主義の模範とみなされてきたイギリスの凋落を物語る

 メイ首相の辞任はEU離脱をめぐる混乱だけでなく、「民主主義の模範」とみなされてきたイギリスの凋落を象徴する。そこには「国民が主人公」という有権者の「有力感」に潜む落とし穴を見出せる。

「合意なき離脱」へのキックオフか

 イギリスのメイ首相は5月24日、6月7日をもって与党・保守党の党首を辞任すると発表した。

 メイ首相の辞任は、本来4月12日が期限だったイギリスのEU離脱が実現できなかった時点で、ほぼ避けられなかったといえる。

 昨年11月、メイ首相はEUとの間で離脱条件に合意した。

 しかし、メイ首相が「最善で唯一可能な合意」と呼んだ交渉結果に、もともと離脱に反対の野党・労働党だけでなく、離脱を推してきた保守党からもアイルランドとの国境管理などをめぐって「ソフトすぎる」と批判が噴出。議会は離脱条件を承認できなかった。

 その結果、メイ首相はこれまで否定してきた離脱の賛否を問う二度目の国民投票にまで言及したが、混乱を収束できず、辞任に至ったのである。

 誰が新首相になったとしても、この分断と対立を克服することは難しい。そのため、ジョンソン元外相など強硬な離脱派が首相に就任した場合、最も混乱が予想される「合意なき離脱」すら現実味を帯びてくる。

合理的な妥協より党派的イデオロギー

 メイ首相の辞任はイギリスでの党派的対立の深刻化を象徴する。

 メイ首相がEUとの間で取りまとめた離脱条件は、「国民投票の結果を踏まえれば離脱せざるを得ない」イギリスの現在の立場で得られる最大の利益を確保するという意味で現実的、常識的なものだったと評してよい。

 しかし、離脱に反対する立場を1ミリも動かさない野党だけでなく、「離脱はするが、負担なしにEU市場にアクセスもする」とムシのいい主張を繰り返す保守党の急進的離脱派も、これをはね付けた。そこからは、党派的イデオロギーが合理性を押し流すあり様をみてとれる。

「見習うべき模範」なき世界

 党派対立で国内が分断され、国家としての団結すら危ぶまれる状況は、イギリスだけでなく、トランプ政権発足後のアメリカも同じといえる。

 こうした状況は、歴史の大きな転換点を示す。イギリスとアメリカをはじめとする英語圏はこれまで「民主主義の模範」とみなされてきたからだ。

 1930年代、全体主義の嵐が世界を吹き抜けていた時代も、イギリスとアメリカは議会制民主主義を保った。その結果、第二次世界大戦後の世界では、主要戦勝国となったイギリスやアメリカは「見習うべき国」と位置付けられてきた。

 例えば、日本でもいまだにイギリスやアメリカのような二大政党制を民主主義の理想と考える人は少なくない。

 実際には二大政党制は英語圏に特有のもので、欧米全体でみれば少数派にすぎない。それでも暗黙のうちにイギリスやアメリカを「到達点」、それ以外の国を「その途中」と捉える見方は政治学者にも珍しくない。

英語圏の政治文化

 古典的な例をあげれば、スタンフォード大学教授などを歴任したガブリエル・アーモンドは1963年の『現代市民の政治文化』で、イギリス、アメリカ、ドイツ、イタリア、メキシコでの意識調査の結果に基づいて、英語圏2カ国をすぐれた民主主義の国として描き出した。

 後の政治学に大きな影響を及ぼしたアーモンドらの研究を簡単に紹介すると、彼らは市民の政治への関心度に基づき、その政治文化を未分化型、臣民型、参加型の3つに分類する

 このうち「未分化型」とは、政府の決定や政策だけでなく、政治への参加にも関心が乏しいタイプで、調査対象のうちイタリアとメキシコでこれが目立った。政治家を信用せず、社会より自分の生活に関心を集中させる、いわゆるラテン的な文化ともいえる。

 次に「臣民型」とは、政府の決定に注意を払っても、主体的に参加する意志に欠けるタイプで、5カ国のうちドイツで目立った。権威に弱く、ルールに従順な文化は、ドイツでナチスが台頭する一因になった。

 そして、「参加型」は政府の決定や政策にも、政治への参加にも関心を持つタイプで、これが多かったのがイギリスとアメリカだった。この意識調査に基づく科学的な研究は、民主主義の成功例としての英語圏のイメージを補強したのだ。

「有力感」の落とし穴

 しかし、そうしたイメージは現在のイギリスやアメリカには見る影もなく、むしろ臣民型の典型とされたドイツの方がよほど安定している。

 なぜ、英語圏は民主主義の模範でなくなったか。一つの仮説として、参加型の文化が強くなりすぎたことがあげられる。

 政府の決定だけでなく政治への参加にも関心をもつ参加型は政治への「有力感」が強くなりやすい。「国民が主人公」という思いは権利意識の高まりや情報化によって世界的に強まっているとみてよいが、もともと強い英語圏でとりわけ強くても不思議ではない。

 ところが、有力感が強いほど、期待に少しでも反すれば、有力感が無力感に転換しやすく、受け入れにくくなる

 この観点からイギリスをみると、EU離脱の賛否を問う国民投票は1回限りだったはずだが、強硬な残留派はその結果を受け入れられず、2回目の国民投票を求めている。一方、急進的な離脱派は「離脱しても利益は損なわれない」という当初の主張に反するEUとの妥協を受け入れられない。

 これらはいずれも、メイ首相が示した「離脱に向かわざるを得ない状況でいかに利益を確保するか」という現実的な判断を「期待に反する」と拒絶した点で共通する。

過ぎたるは及ばざるがごとし

 ところで、有力感に満ちた有権者は、政治家の行動をしばることにもなる。

 本来、有権者の種々雑多の要請を一つの政策に取りまとめることこそ政治家の役割のはずだが、立場にかかわらず有力感の強い有権者が林立すれば、政治家は手っ取り早く支持を固めるため、特定の勢力に偏った立場をとりやすくなる。

 近年、振り切れた意見を吐く政治家が目立つことは、その意味では合理的かもしれない。しかし、そうした政治家にとって、政治家の本来のウデの見せ所であるはずの妥協や修正は難しい。

 つまり、強すぎる有力感は、かえって民主的な政治の足をひっぱりかねないのだ

 この点で注意すべきは、先述のアーモンドらは参加型の重要性を強調したが、未分化型や臣民型を全否定したわけでないことだ。アーモンドらによれば、そうしたタイプが一定数いることは「政治活動の激しさにやわらぎを与える」ことで民主主義の安定に貢献してきた。

 だとすれば、英語圏では参加型の文化が強くなりすぎ、過剰になった民主主義が民主主義の模範の凋落を招いたとみられるのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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