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子ども兵だった者を裁判にかけることは正義か―アフリカの子どもに銃をとらせる世界(6)ウガンダ

六辻彰二国際政治学者
ICCの法廷に座るオングウェン被告(2016.1.21)(写真:ロイター/アフロ)
  • 国際刑事裁判所ではウガンダの元子ども兵ドミニク・オングウェン被告の審理が続いている。
  • 一般的に元子ども兵は処罰より社会復帰を優先され、オングウェン裁判は異例である。そこには欧米諸国との関係に基づく、ウガンダ政府の戦略を見出せる。
  • オングウェン裁判はウガンダ内戦における非人道的行為の責任を全て反体制派に負わせるものになりかねず、真実の究明に資するかは疑問である。

 子どもの頃に誘拐され、殺人を強いられた者を裁くことは、正義なのか。オランダ、ハーグの国際刑事裁判所(ICC)で9月18日に行われた、ウガンダの元子ども兵ドミニク・オングウェン被告の被告人弁論は、この問題を改めて提起するものだった。

オングウェン裁判で何が裁かれるか

 オングウェン被告はウガンダの武装組織「神の抵抗軍(LRA)」の元子ども兵で、成人後は幹部として戦闘の指揮の一翼を担っていたが、2015年に投降した。投降の理由は、LRAの指導者ジョセフ・コニー司令官との関係が悪化し、生命の危険を覚えるようになったからという。

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 オングウェン被告が移送されたICCは、1999年のローマ規程で発足した国際的な裁判所で、人道に対する罪や戦争犯罪などの責任者を裁くことを目的とする。その捜査の対象には、少なくとも20万人以上が死亡したダルフール紛争で虐殺に加担したと疑われるスーダンのバシール大統領など、独立国家の要人も含まれる。

 しかし、一般的に子ども兵だった者は「善悪の判断ができない年代に、恐怖で支配されて戦闘に駆り出された」とみなされ、国際機関や各国政府は処罰より教育や社会復帰を優先させてきた。そこには、破壊と殺戮しか知らない者を生産活動に誘導することが国家や社会の安定にとって欠かせないという判断もあった。

 そのため、ICCでも元子ども兵が裁かれることはそれまでなかったが、オングウェン被告に関しては、成人後にLRA幹部として果たした責任が特に重大と判断されたため、2016年1月に始まった裁判は「元子ども兵を裁く」最初のケースになったのだ。

加害者? それとも被害者?

 オングウェン裁判では、無差別の殺傷、集団レイプ、子どもを戦闘に用いたことなど、70にのぼる罪状が審理の対象になっている。

 これに対して、オングウェン被告は当初からコニー司令官に強制されたと主張してきた。9月18日の弁論でも、弁護士はオングウェン被告を9歳(誘拐された時の正確な年齢は定かでなく、9~14歳とみられている)の時にLRAに誘拐され、洗脳され、非人道的行為を強要された「犠牲者」と強調し、罪に問うことの不当性を力説した。

 ウガンダでも見解は分かれており、裁判に賛成する者がある一方、LRAの元子ども兵の間からもオングウェン被告を「犠牲者」とみなし、裁判に反対する意見もある。

 先述のように、ICCはオングウェン被告の責任が一般の元子ども兵と比べて重いと判断している。そのこと自体は確かで、すでに40歳前後とみられる(正確な年齢は誰にもわからない)オングウェン被告に社会復帰の可能性が低いことも、処罰が優先される一因だろう。

 ただし、どこまでやれば「責任が重い」と言えるのか、その基準は不明確なままだ。LRAメンバーの30パーセントはキャンプで生まれ育った「第二世代の子ども兵」とみられ、成人後に指揮する立場になった元子ども兵はオングウェン被告だけではない。つまり、「責任が重い」というだけでは、なぜオングウェン被告に限って裁判にかけられるのかの説明として不十分である。

なぜオングウェン被告は罪に問われたか

 むしろ、オングウェン被告に限って処罰が重視される一因としては、ICCのプロセスがあげられる。

 ICCの手続きは、以下の3つの方法のいずれかで開始される。

  • ローマ規定の締約国の要請
  • 安全保障理事会の要請
  • ICC検察官のイニシアティブ

 オングウェン被告を含むLRA幹部の場合、ICCはウガンダ政府の要請に沿って2005年に逮捕状を発行した。ウガンダ政府にとってLRAは宿敵ともいえる。ウガンダ政府の要請が起点となったことは、異例ともいえるオングウェン裁判が動き始めた一因になった。

LRAとは

 ここで、LRAとウガンダ政府の関係をみておこう。

 ウガンダで1987年から台頭したLRAは、北部の少数派アチョリ人を中心に構成され、民族の自治や民主化を求めていたが、その一方で聖書にある「12の軍団」に自らをなぞらえるなど、キリスト教過激派としての顔も持つ。

 最盛期には数万人の規模を誇ったLRAとヨウェリ・ムセベニ大統領率いる多数派バカンガ人中心のウガンダ軍との戦闘は約30年に及び、アフリカ最長の内戦の一つとなった。しかし、アメリカ軍の協力を受けたウガンダ軍により、徐々に追い詰められたLRAは近隣のスーダン、中央アフリカ、コンゴ民主共和国などに逃れた。

 コニー司令官は今も南スーダンに潜伏しているとみられるものの、戦闘員は100人以下にまで減ったといわれる。昨年4月、ウガンダ軍は「もはやLRAは脅威ではない」と声明を出し、掃討作戦を終了させている。

ムセベニとコニー

 戦闘と並行して、先述のようにムセベニ政権はコニー司令官らの訴追を求め、これに基づいてICCは逮捕状を発行したが、これは宿敵LRAを「悪役」に位置づけるイメージ戦略でもあった。

 LRAは子ども兵を約30年間で6万~10万人以上用いたとみられており、さらに10万人以上を殺害するなど、人道に対する罪も数多く報告されている。

 ただし、その一方で、ムセベニ軍も内戦中に子ども兵を数多く徴用し、特に北部で無差別の殺傷を繰り返したことは、公然の秘密としてある。トロント大学のマーク・カーステン教授は、特に北部ではLRAだけでなく政府への調査を望む人も多いと指摘する。

 つまり、ウガンダ政府による訴追の要請は、ウガンダ内戦における蛮行が全てLRA幹部の責任であるかのようなイメージを国際的に流布させる一つの手段になったといえる。

正義を判断するのは誰か

 これに拍車をかけたのは、ムセベニ政権と欧米諸国の関係である。

 ICCの専門職スタッフ444人のうち、欧米諸国出身者は262人を占め、アフリカ出身者は74人にとどまる(2017年)。彼らは各国政府から派遣されるわけでなく、個人の資格で勤務するが、その人数比に象徴されるように欧米諸国の一般的な世論がICCの方針に影響を与えやすい。

 ムセベニ政権は同性愛者の取り締まりや北朝鮮との軍事協力などで西側と対立することもあるが、その一方で金融や投資の規制緩和など欧米諸国が好む経済改革には積極的に取り組んできた。政治・経済的に安定したパートナーとして、欧米諸国から一目置かれる存在となったウガンダからの要請を、ICCが無視できなかったとしても、不思議ではない。

 さらに、2012年にアメリカで発表されたドキュメンタリー映画「Kony 2012」は、ウガンダにおける子ども兵の問題をもっぱらLRA批判の視点から描き、YouTubeで1億回以上視聴され、コニー司令官を2012年までに逮捕することを目指す世論を喚起する原動力ともなったが、これは結果的に、ムセベニ政権の言い分に沿った視点の拡散を手助けしたといえる(逆に、この映画はウガンダでは「実情を描いていない」と拒絶された)。

オングウェン裁判の教訓とは

 こうしてみたとき、オングウェン被告の罪は消えないだろうが、ICCがオングウェン被告を裁くことには疑問が残る。

 ワシントン・アンド・リー大学のマーク・ドランブル教授は、子ども兵の徴用が広がる中、その実態の一端を解明することにオングウェン裁判の意義を見出している。その重要性は確かに認めるべきだが、刑罰を前提にした審理では、かえって被告が本当のことを語らなくなる危険性もある

 オングウェン被告にウガンダ内戦の真実を語らせるなら、人種隔離政策(アパルトヘイト)後の南アフリカで導入され、その後シエラレオネなど全面的な内戦を経験した国のいくつかで立ち上げられた真実和解委員会のように、刑罰のない審問の方が効果的と思われるが、ウガンダ政府をはじめ各国からそういった意見はほとんど聞こえない。

 むしろ、議論の余地の大きいオングウェン裁判が進められること自体、「欧米諸国との関係次第で善玉か悪玉かが決められる」という教訓を残すことになる。それはかえって、国際的な正義の信ぴょう性を疑わしくするだけでなく、子ども兵の徴用の実態解明を遠のかせることにさえなりかねないのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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