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シリア内戦「最後の激戦地」に集結する反体制派―300万人の民間人に迫る化学兵器の脅威

六辻彰二国際政治学者
化学兵器の使用に備えて手作りのガスマスクを試すイドリブの少年(2018.9.3)(写真:ロイター/アフロ)
  • シリア北西部イドリブでの攻防戦は、シリア内戦最後の激戦地になるとみられる
  • 300万人の住民がいるなかで化学兵器が使用される公算が高いことから、「21世紀最悪の人道的破局」が懸念されている
  • その行方はロシアとトルコの外交交渉によって左右される

 シリアでは各地を追われた反体制派が北西部イドリブに集結するなか、アサド政権が化学兵器を使用する公算が高くなっている。反体制派の最後の拠点となったイドリブには約300万人の住民が取り残されており、国連は「21世紀最悪の人道的破局」を警告している。

化学兵器の脅威

 2011年に始まったシリア内戦は、最終盤を迎えてさらなる悲劇を産もうとしている。

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 アサド政権によって各地を追われたイスラーム過激派や世俗派の反体制武装勢力はイドリブに集結。反体制派の最後の拠点になったこの地で、アサド政権が化学兵器を用いる懸念が高まっているのだ。

 シリア内戦ではこれまで、首都ダマスカス近郊のグータ、東グータ、ドゥーマーなどで化学兵器が使用され、いずれの場合も欧米諸国はアサド政権によるものと断定してきた。一方、アサド政権やこれを支援するロシアやイランは、これを否定している。

 イドリブにはもともとこの地に暮らしてきた住民や、他の街からやってきた避難民など、300万人以上の民間人が足止めされているとみられ、化学兵器が用いられれば、大きな被害が出ることは疑いない。

 反体制派は市内にトンネルを縦横に掘っているといわれる。東グータなど他の要衝でも、アサド政権は空爆を繰り返してきた。兵力に劣る反体制派にとって、トンネルは空爆を回避するとともに、予想外のところから攻撃するための手段でもある。

 逆に言えば、アサド政権にとってイドリブ攻略のためにトンネルへの対応は欠かせない。だからこそ、東グータなどと同様にイドリブでも、目視できない敵をも殺傷できる化学兵器の使用が懸念されているのだ。

アメリカの事実上の退場

 アサド政権にとって、イドリブに立てこもる反体制派を排除できれば、全土をほぼ奪還したことになる。7年半におよぶ内戦を終結させる目処が立つのであれば、これまで以上にアサド政権が化学兵器の使用を含む強硬な手段を選択しやすくなって不思議でない。

 これに対して、トランプ大頭領は3日、アサド政権に「無謀な攻撃」をやめるよう警告している。

 とはいえ、仮に化学兵器が使用された場合でも、アメリカが踏み込んだ対応をとる可能性は大きくない。アメリカは今年4月に東グータでの「アサド政権による化学兵器の使用」を批判した際も、シリア軍施設などへの空爆にとどめ、それ以上の介入をみせなかった。

 欧米諸国はシリア内戦を機に、(それ以前から対立してきた)アサド政権の退陣が、あらゆる勢力を糾合した新体制の発足と内戦終結に欠かせないと主張し、アサド政権と対立してきたクルド人に軍事援助を提供してきた。

 しかし、シリア内戦の趨勢がロシアとイランに支援されるアサド有利に傾き、さらにシリアがもともと「自分の縄張り」でない以上、アメリカは「大量破壊兵器の使用は認めない」という政治的な意思表示を超える関与を避けてきた。そのため、たとえイドリブで化学兵器が使用されても、アメリカが「火中の栗を拾う」見込みは小さい。

イドリブ攻略を押しとどめるトルコ

 この背景のもと、アサド政権を押しとどめる役割は、いまやアメリカではなくトルコによって担われている。トルコのエルドアン大統領は9月7日、テヘランで開催されたプーチン大統領、ロウハニ大統領との会合で「我々はイドリブが大量殺戮の舞台になることを望んでいない」と述べ、早期のイドリブ攻略を目指すアサド政権を支持するロシア、イランに異を唱えた。

 ただし、トルコの方針は、人道的な配慮というより自国の利害に沿ったものといえる。

 トルコはNATO加盟国だが、シリア内戦でアメリカがクルド人勢力を支援したことは、トルコ国内でのクルド人の分離独立運動に神経をとがらせるエルドアン政権の反感を招いてきた。そのうえ、トルコは欧米諸国よりはるかに多い350万人以上のシリア難民を受け入れており、「シリア内戦の終結」を優先させたい点で、欧米諸国よりはるかに切迫している

 その結果、トルコは国際法や人道への配慮などから軍事介入に消極的な欧米諸国より、たとえ多くの犠牲者を出してもアサド政権中心の秩序を回復させることを優先させるロシアやイランに接近。2016年末からこれら二カ国とともに、シリア内戦の終結に向け、当事者間の交渉を取り持つ会議を行うなど、トルコはアメリカとは一線を画してシリア内戦に臨んできたのである。

トルコの誤算

 その一環としてトルコは、主にクルド人勢力の制圧を目的に、シリア国内のいくつかの勢力に軍事援助を行ってきたが、その一部は反アサドの最後の牙城イドリブに流入している。

 イドリブに集まった反体制派には、大きく二つのグループがある。

 一方には、アルカイダのシリア支部だったヌスラ戦線が、アルカイダの衰退とともに独自路線に転じて改称したタハリール・アル・シャーム機構(HTS)がある。もう一方には、トルコに支援された世俗派やイスラーム組織の連合体である国民解放戦線(NFL)がある。両者はそれぞれ数万人のメンバーを抱えているとみられる。

 このうち、アルカイダにルーツをもつHTSはともかく、部分的とはいえアサド政権と利害を共有するトルコが支援する勢力がイドリブに立てこもったのは、トルコにとって誤算だったといえる。

 先述のように、トルコは主にクルド人勢力を標的にするため、シリアの各勢力を支援してきたが、当のクルド人勢力の間からは、アサド政権との全面衝突の限界に直面するなかで軌道修正し、イドリブ攻略でシリア軍に協力する部隊が続出。これは結果的に、「クルド人を抑え込むために」トルコが支援してきた民兵を、イドリブに籠城させる一因ともなっている。

 いずれにせよ、一刻も早くシリア内戦を終わらせることはトルコ自身にとって重要な課題だが、かといってこれまで支援してきた勢力を露骨に見限れば、イスラーム圏の大国としての立場に関わる。そのため、トルコは先週からイドリブに向かうトルコ南部の国境沿いに3万人の部隊を新たに展開させ、シリア軍をけん制してきた。

 ロシアやイランとしても、アメリカとの緩衝材としてトルコを味方に引きつけておく必要があるため、その主張を無視できない。その結果、「大量殺戮」の懸念すらあるイドリブ攻略は、現状においてトルコによって押しとどめられているのである。

「完全な勝利」の旗のもとに

 こうして全面的な攻略が引き延ばされているものの、イドリブ攻略が始まれば多くの犠牲者を出すのは疑いない。住民の一人はイギリスメディアのインタビューに対して「我々はただ死ぬのを待つだけだ」と応えている。

 国際的な関心の高まりを受けて、17日にはロシアとトルコの緊急会合が行われるが、ロシアがイドリブ攻略を放棄する可能性は、限りなく小さい。

 ロシアにとって重要なことは、シリアにアサド政権中心の秩序を回復させることで、そのためには「完全な勝利」が欠かせない。イランに関しても、ほぼ同様である。

 これまでのパターンからすると、アサド政権は内戦終結のための軍事行動を常に優先させてきた。イドリブの場合、アサド政権が全面的な攻略に動き出さないのは、重要なパートナーであるロシアやイランがトルコへの配慮からゴーサインを出していないからに過ぎない。

 一方、トルコにとっては、トランプ政権との貿易戦争に直面し、これまで以上にロシアやイランとの結びつきを強めたい状況で、いつまでもイドリブ攻略に反対し続けられない。

 つまり、遅かれ早かれこれら三ヵ国は(例えばトルコが支援する勢力や民間人だけ退去させるなど)イドリブ攻略を前提とする何らかの合意に達する公算が高い。その場合、最終盤を迎えたシリア内戦で大量殺戮が発生することは避けられない。たとえアサド政権によるイドリブ攻略が成功したとしても、その代償は大きなものになるとみられるのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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