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イスラーム・テロに代わって広がる「過激派イデオロギーの衝突」-極右と極左に共通する「自警主義」とは

六辻彰二国際政治学者
ドイツ東部ザクセン州ケムニッツに集まった極右グループ(2018.8.27)(写真:ロイター/アフロ)
  • ドイツをはじめ欧米諸国では極右と極左の過激派イデオロギーの衝突が広がっている
  • 極右と極左は主張内容に大きな違いがあっても、国家を信頼せず、自分たちで権利を守り、正義を執行しようとする「自警主義lで共通する
  • 自警主義の蔓延は、法によって守られる自由や民主主義を骨抜きにするだけでなく、国家そのものを空洞化させかねない

 欧米諸国では、警戒の強化によってイスラーム過激派によるテロが一時ほど目立たなくなったのと入れ違いに、移民排斥などを叫ぶ極右のデモとこれに抗議する極左がぶつかり、場合によっては死傷者も出す「過激派イデオロギーの衝突」が急増している。伝統的に秩序や法を重んじる国とみなされてきたドイツもこの例外ではなく、8月27日に東部ザクセン州ケムニッツで警官を含む総勢1万人近くの大乱闘が発生した。

 「過激派イデオロギーの衝突」は、自分の権利や安全を自分たちで守ろうとする自警主義が極右と極左のいずれにも広がることで拡大しているとみられる。

ケムニッツ暴動の顛末

 ドイツ東部のケムニッツでは8月27日、6000人以上の極右勢力がデモを行い、約1500人の極左グループ、アンティファ(アンチ・ファシストの略)と衝突。600人の警官隊が出動し、数十人が病院に搬送される事態となった。

 ことの発端は8月25日、キューバ系ドイツ人の35歳の男性が、イラクとシリアからきた二人の難民と口論の挙句に刺殺されたことだった。多くの報道で「被害者はドイツ人」と強調された結果、極右グループが集結し、「市民の安全を守ること」を求めるデモに発展したのだ。

 ところが、「被害者がもう一人いる」といったフェイクニュースが出回り、(人種差別的な言動で試合観戦を禁止されている)地元サッカーチームの約1000人のフーリガンも「我々の街、我々のルール」を叫んで極右グループに合流したことでデモは無軌道になり、「(肌の色、髪の色、体格、服装などが)ドイツ人らしくない」とみなされる人々が見境なく暴行を加えられるなど事態はエスカレートした。

 これに対して、警官隊が催涙弾で鎮圧に乗り出しただけでなく、各地で極右の集会やデモへの襲撃を繰り返してきたアンティファも集まったことで、普段は静かなケムニッツの街が騒乱の舞台となったのである。

過激派イデオロギーの衝突

 ケムニッツ暴動ほどの規模でないにせよ、極右と極左の衝突はドイツで特に目立つが、それ以外の欧米諸国でも珍しくなくなりつつある。

 イギリスでは2017年4月にロンドンの中心地で、「テロ対策の強化」のために移民・難民の排斥を叫ぶ極右「イングランド防衛連盟(EDL)」のデモ隊と、人種差別に反対する極左「ファシズムに対抗する結束(UAF)」がもみ合いになり、警官隊が出動する事態になった。2017年8月にはアメリカのバージニア州シャーロッツビルで、南北戦争の南軍司令官リー将軍の銅像の撤去に反対する白人至上主義者とこれに抗議するアンチファが衝突し、州兵2人を含む3人が死亡した。

 こうした衝突の核心部分には、テロとの戦いや移民・難民問題をめぐり、国民としての一体性、社会の秩序、表現の自由などを重視する立場と、多様性、社会的弱者の人権、公正さなどを強調する立場の間のイデオロギー的な争いがあるといえる。

自警主義とは

 ただし、極右と極左は「あるべき社会の姿」をめぐって対照的な主張を掲げているものの、共通点もある。

 ケムニッツ暴動に関して、ドイツ警察組合の責任者オリヴァー・マルヒョー氏は極右の間に「自警主義(vigilantism)」が広がっているとコメントしている。ここでいう自警主義とは、自分の安全や権利を、公的機関などを通じないで自ら守ろうとする考え方である。言い換えると、正義の判断と執行を国家に委ねず、自ら行おうとする立場といえる。

 もともと無政府主義に近い極左には、警察や裁判所を含めて国家への信頼度が低く、自警主義が珍しくなかった。

 これに対して、(政府に縛られない開拓民の伝統をくむ米国の極右と異なり)ヨーロッパ極右は本来、国家権力を称揚する立場だったが、マルヒョー氏のみならずドイツ政府は極右の間にも自警主義が広がっているとみている。バーレイ法務相は「執拗に人々を追いかけ回す行為や自警主義」を二度と起こさせないと発言している。

 この観点からすると、ケムニッツ暴動で極右グループが「自分たちのルール」にのっとり「ドイツ人らしくない」とみなす人々を見境なく襲撃したことは、(トラブルを持ち込む外国人にも権利や安全を保護する)国家の法や制度を待たない「自衛措置」となる。実際、例えばドイツの極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」のマルクス・フローンメイヤー議員は「もし国家が市民を守れないのであれば、人々は通りに出て、自分たちを守る。至極単純なことだ」とツイートし、公党の議員でありながら自警主義を認めている。

 極右の間にも自警主義が広がっているとすれば、極左と同様、極右にも国家への不信感が募り、法によって守られていない権利を自分自身で守ろうとする傾向が生まれていることになる。

自警主義はなぜ拡大するか

 左右にかかわらず、なぜ過激派の間に自警主義が広がるのか。

 アイルランドのコラムニスト、ディビッド・クイン氏は、過激派イデオロギーの衝突が既存の政党への支持の衰退と連動すると指摘する。つまり、(性別、年代、宗派、民族などの属性ごとの主張を展開する)アイデンティティ政治の発達によって、特定の人々の主張を反映させるという意味で政治への期待そのものが大きくなっている一方で、どの候補者あるいはどの政党に投票しても、格差の拡大や増税、移民・難民問題、グローバル化にともなう雇用機会の流出などが大きく改善されない現実のなかで、「自分たちの声が政治に顧みられない」と感じる人々は増えている。このギャップが国民の代表たる議会や政党への不信感を強め、自分で権利を守り、正義を執行しようとする動きを加速させ、ひいては過激派イデオロギーの台頭と衝突を呼んでいる、というのだ。

 極右からすれば、政府が「ポリティカル・コレクトネス」を強調することは社会の多数派(白人キリスト教徒)の文化を損ない、「人権」の名の下に政府がムスリム系市民を野放しにすることはテロを誘発させる。だから、政府がそれを行わないなら、自分たちで移民・難民を排除しようとする。

 これに対して、極左からすれば、政府は「表現の自由」を盾にヘイトスピーチを繰り返す白人至上主義者を積極的に取り締まろうとしないばかりか、同じく「市民」であってもムスリム系やアフリカ系は警察の不当な監視下に置かれている。だから、公権力が躊躇しがちな極右への取り締まりを自分たちで行う、となる。

 政治への期待が大きいほど期待が外れた時の失望感は大きく、原則への信頼度が高いほど実態とのギャップに幻滅を覚えやすい。この観点からすれば、伝統的に秩序と法を重んじてきたからこそ、他のヨーロッパ諸国の国民以上に、ドイツ人の間に秩序と法が脅かされる状況に国家への不信感が募りやすく、その結果として自警主義に傾いた過激派イデオロギー同士の衝突が目立ったとしても、不思議ではない(以前よりかなり目立つとはいえ、日本で欧米諸国ほど過激派イデオロギーが浸透していない一つの理由は、政治への期待や原則への信頼度がそもそも低いのかもしれない)。

過激派イデオロギーの衝突で笑う者

 ただし、国家の法や制度を無視して自警主義に傾いた過激派イデオロギーは、自由や民主主義を骨抜きにするだけでなく、我々の日常生活そのものを脅かしかねない。いかに不十分であっても、正義の判断と執行を国家に委ねることで、人間社会は安定を確保してきた。これを個々人に委ねることは、絶え間ない報復の連鎖になりかねない。

 一方で、過激派イデオロギーの衝突で笑う者もある。欧米的な民主主義を嫌い、その破壊を公言してきたイスラーム過激派にしてみれば、テロとの戦いや難民危機でヨーロッパが動揺し、人権や自由で覆い隠されていた人種差別主義があらわになっただけでなく、イデオロギーの衝突が混乱をもたらす状況は、大きな成果となる。また、中国やロシアの国家主義的な支配者たちにとっても、「秩序」を最優先にする自分たちの支配を正当化する有利な条件になる。

 冷戦終結後の世界では自由と民主主義がグローバル・スタンダードとなり、欧米諸国はその「本家」として大きな影響力を持ってきた。その意味で、自由と民主主義のネガティブな側面をあらわにする過激派イデオロギーの衝突の広がりは、欧米中心の世界が傾く一つの兆候を示唆するといえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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