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【アメリカ】泥沼のアフガニスタンからの「名誉ある撤退」は可能か―タリバンとの交渉の落とし穴

六辻彰二国際政治学者
アフガニスタン、ローガル州を歩くアメリカ兵(2018.8.4)(写真:ロイター/アフロ)
  • 泥沼のアフガニスタンからの撤退を目指し、トランプ政権はタリバンとの交渉を始めた
  • 交渉をスムーズに進めるため、アメリカはアフガニスタン政府ぬきにタリバンと一対一で協議している
  • アフガニスタン政府ぬきの交渉は、アメリカの「名誉ある撤退」だけでなく、この地の和平の実現をも危うくしかねない

 17年間に及ぶアフガニスタンでの泥沼の戦闘から、アメリカ軍が撤退する可能性がでてきた。トランプ政権は7月、これまで戦闘を続けてきた、この地のイスラーム武装勢力タリバンとの交渉を開始した。

 アフガニスタンでの戦闘の収束は、地域一帯の安定にとっても重要な意味をもつ。

 ただし、アメリカとタリバンの交渉が仮に成功しても、それがアフガニスタン和平の実現につながるかは不透明だ。

 トランプ政権は、これまで支援してきたアフガニスタン政府を蚊帳の外に置いたまま、タリバンとの交渉に向かっている。重要な当事者であるアフガン政府をぬきにタリバンと交渉し、アメリカが撤退すれば、この地の混沌がかえって大きくなる危険性すらある。

泥沼でもがくアメリカ

 ニューヨークタイムズをはじめ欧米諸国の主要メディアは7月28日、トランプ政権とタリバンの交渉開始を報じた。報道によると、アメリカ国務省のアリス・ウェルス副長官補らがカタールにあるタリバン代表部を訪問したという。これに関して、ホワイトハウスは明言を避けている。

 アフガニスタン政府は2015年7月から、やはりカタールでタリバンと断続的に会談してきた。オバマ政権はこれと並行してタリバンとの交渉を模索したが、報道が正しければ、トランプ政権はその加速を目指していることになる。

 その場合、アメリカ軍の撤退と引き換えに、タリバンによる軍事活動の停止が焦点になると考えられる。これはアメリカにとって、アフガニスタンから抜け出すための方策といえる。

トランプ政権にとっての「撤退」

 アフガニスタンはアメリカにとって、ベトナム以来の泥沼と呼べる。

 9.11後のアフガニスタン戦争で、それまでアフガニスタンを支配していたタリバンを首都カブールから駆逐して以来、アメリカ軍はこの地に駐留してきた。その任務はアフガニスタン軍の訓練や物資の提供にとどまらず、タリバンをはじめ反体制派の掃討なども含まれる。

 しかし、長期にわたる戦闘はアメリカに大きな負担としてのしかかってきた。2001年以降、アフガニスタンで死亡したアメリカ軍兵士は、2018年8月3日までに2350名にのぼる。

 また、膨らむ戦費もアメリカにとっての負担だ。アメリカのシンクタンク、戦略国際問題研究所によると、2001年から2016年までにアメリカがアフガニスタンに投入した資金は1153億ドルにのぼり、これは同じ期間にアメリカが世界中で展開した軍事活動費の約16パーセントにおよぶ。

 戦闘が泥沼化するにつれ、9.11直後の報復感情に満ちたアメリカの世論は、厭戦感情に支配されるようになった。これを巧みにすくいあげたのがトランプ氏だった。

 大統領選挙に出馬する以前の2012年8月12日、トランプ氏はツイッターでアフガン派兵を「全く無駄」と切り捨て、「今すぐ戻るべき」と撤退を要求。2016年大統領選挙でもトランプ氏は、オバマ政権のアフガン戦略を批判して早期撤退を掲げ、有権者を惹きつけたのである。

 つまり、アメリカにとってアフガニスタン撤退は、外交・安全保障上の問題であると同時に国内政治の問題になったのであり、トランプ政権にとって優先的に取り組むべき課題の一つでもあるのだ。

「まずは強気」のトランプ流

 とはいえ、トランプ氏は大統領に就任してすぐに撤退に向けて動き始めたわけではない。むしろ、当初トランプ政権はアフガニスタンでの軍事活動を加速させる姿勢をみせた。

 2017年4月、トランプ政権は「全ての爆弾の母」と呼ばれ、通常兵器のなかで最大級の破壊力をもつMOABをアフガニスタンに投入。さらに9月、アメリカ軍はアフガニスタンに約3000名の兵士を増派。同国に駐屯するアメリカ兵は約1万4000名規模となった。

 駐留アメリカ軍の増強は、アフガニスタン情勢の変動を反映している。イラクやシリアで追い詰められた過激派「イスラーム国」(IS)は各地に飛散しているが、その一部は国境警備もままならないアフガニスタンに流入。地元に根をはるタリバンとも衝突を繰り返し始めた。

 アメリカからみれば、タリバンよりISの方が脅威だ。タリバンが国境を越えた活動に熱心でないのに対して、ISは中東以外の各地でもテロを繰り返してきた。そのため、「敵の敵は味方」の論理からすればトランプ政権にとってタリバンとの和平交渉のハードルはさらに低くなり、アフガンでの兵力増強は主に、グローバル・ジハードを掲げるISの壊滅を念頭に置いたものだったといえる。

 ただし、それでもトランプ政権はタリバンとも対決し続けた。

 2018年1月、タリバンは首都カブールで外国人が多く滞在するホテル大使館が多く集まる地域を相次いで襲撃。1カ月間に100人以上の死者を出した。

 この直後、トランプ氏は「我々はタリバンと対話していない。タリバンとの対話を求めてもいない。我々は終わらせるべきことを終わらせる」と言明。軍事力を前面に押し出した強気の姿勢をみせた。

有利なのは誰か

 しかし、取りつく島のないほど強気の姿勢を見せ、その後に交渉に転じるのは、北朝鮮問題などでもみられたトランプ流の交渉術でもある。「対話を求めていない」と明言してわずか半年後、冒頭で述べたように、トランプ政権はタリバンとの接触を始めた。

 軍事力を増強し、対話を否定してきたトランプ氏には、「マウントポジションをとられたとタリバンに認めさせたうえで、有利な交渉に臨む」という計算があるのかもしれない。さらに、タリバンがISまでも相手にしなければならず、敵を減らしたい状況は、トランプ政権にとって追い風のようにも映る。

 とはいえ、状況はトランプ政権に有利とはいえない

 ISの乱入によって敵を減らしたい状況はアメリカも変わらない。さらに、1月にカブールで相次いだテロ攻撃は、タリバン掃討作戦の限界を露呈した。

 むしろ、交渉を早期にまとめる誘惑にかられやすいのは、中間選挙を控えたトランプ政権の方である。

 先述のように、アフガニスタン撤退はアメリカにとって、外交・安全保障上の問題であると同時に、国内政治の問題でもある。そのうえ、北朝鮮との交渉に具体的な成果が乏しく、イラン核合意を廃棄しても各国がこれに同調せず、シリアではロシアに優位に立たれているトランプ氏にとって、有権者に「アメリカを守るリーダー」をアピールできる手段は残り少ない。

 この状況下で進む直接交渉は、必ずしもトランプ政権のペースにならないとみられる。

味方を切り捨てる合理性

 この観点からみれば、アメリカがアフガニスタン政府を交えず、タリバンと一対一で交渉していることは不思議でない。

 アメリカにとって重要なのは早期撤退だが、その最低限の前提として停戦合意は欠かせない。言い換えると、たとえ口約束でも停戦合意さえ成立すれば、アメリカにとって撤退の道は大きく開く。

 これに対して、アフガニスタン政府の立場からすると、停戦合意だけでは全く不十分で、タリバンの武装解除や資金源となっている麻薬貿易の規制など、より踏み込んだ対応が欠かせない。しかし、これらはタリバンにとって呑むのが難しい。

 また、同国南部を実効支配するタリバンをどのように扱うのかも、アフガニスタン政府にとっては頭の痛いところだ。ISが勢力を広げていることもあり、アフガニスタン政府・軍は同国の30パーセントほどしか掌握していない。そのため、たとえ停戦合意が実現しても、現実的には南部をタリバンに委ねざるを得ないが、これまで戦闘を重ねてきた相手と権力を分け合うことは、アフガニスタン政府にとってハードルが高い。

 つまり、アフガニスタン政府とタリバンの間の交渉の難易度は、アメリカとのそれに比べてはるかに高い。

 ただでさえ交渉で優位にたっていないトランプ政権が、仮にアメリカの負担軽減だけを考え、アフガン人同士の対立へのかかわり合いを避けるなら、合意がより容易な、アフガニスタン政府ぬきのタリバンとの一対一の交渉は合理的とさえいえる。ただし、それは結果的に、これまでの経緯をご破算にしてアフガニスタン政府を切り捨てることになる。

「名誉ある撤退」は可能か

 泥沼のベトナム戦争から抜け出すにあたり、1973年にニクソン政権は、敵対する北ベトナム政府やベトコンだけでなく、それまで支援していた南ベトナム政府を交えたパリ和平会談で停戦に合意した。実際にはアメリカが疲弊しきっていたなか、格好だけでも「名誉ある撤退」を欲したニクソン政権にとって、各勢力との間で停戦合意を結んだことは、可能な範囲で最大限の成果だったといえる。

 ただし、それでも南ベトナム政府を切り捨てたことには変わらない。アフガニスタンの場合、交渉のプロセスからアフガニスタン政府を除き、アメリカの都合のみでタリバンと交渉を進めるなら、ベトナムと比べても「名誉ある撤退」にはほど遠い。のみならず、それはアフガニスタン政府とタリバンの間に横たわる困難な課題を放置することにもなり、この地の戦乱の加熱剤となり得る。

 アフガニスタンの将来はアフガニスタン人自身が作るべきであり、アフガニスタン和平には各勢力との交渉に基づく政治的解決が欠かせないとしても、タリバンとの単独和平交渉に基づくアメリカ軍の性急な撤退は、アメリカの名誉のみでなく、アフガニスタン和平をも遠ざけるものになりかねないのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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