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シビリアンコントロールだけでない自衛隊日報問題の根深さ―問われる「安全神話」

六辻彰二国際政治学者
南スーダン日報問題で答弁する稲田防衛大臣(当時)(2017.3.17)(写真:つのだよしお/アフロ)
  • これまで政府は危険な地域に自衛隊を派遣する際も、国内世論への配慮から「安全」を強調してきた
  • とりわけ危険なイラクや南スーダンへの派遣は、防衛省・自衛隊よりむしろ、政府首脳や外務省の主導で行われた
  • 今回の日報問題は、「文民による自衛隊の監督のあり方」だけでなく、「文民が自衛隊をどのように運用してきたか」をも再考する糸口になる

 南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)の日報に続き、イラク派遣での自衛隊の日報の存在が明らかになった問題は、「防衛省・自衛隊のガバナンス」や「シビリアンコントロール」の問題として関心を集めています。しかし、そこにはもう一つの問題が潜んでいます。

 防衛省によると、昨年3月に陸上自衛隊研究本部(現・教育訓練研究本部)でイラク派遣部隊の日報が見つかった後、陸上幕僚監部からの問い合わせに「日報はない」と返答していたといいます。「都合の悪い情報」が意識的に隠蔽された疑いが濃厚ですが、問題は「誰にとって」都合の悪い情報だったかです。

 イラクと南スーダンの事案で共通するのは、防衛省・自衛隊よりむしろ政府首脳や外務省が主導して、危険が数多く報告される土地へ、「危険はない」と強調しながら自衛隊を派遣したことです。今回の日報問題は、情報管理の粗雑さだけでなく、自衛隊の海外派遣の矛盾にも、改めてスポットを当てるものといえます。

危険の過小評価

 1992年に初めてカンボジアでのPKOに8名の自衛官が参加して以来、自衛隊は19ヵ国に派遣されてきました。今回、日報が発見されたイラクと南スーダンでの活動は、そのなかでも特に危険度の高いものでした。

 イラクでは、米英による侵攻でフセイン政権が打倒された直後の2003年と2007年、人道支援や物資輸送のためにC-130H輸送機などが派遣されました。一方、南スーダンへは国連のPKO部隊の司令部要員として2008年に2名が派遣され、徐々に規模を拡大して最盛期には300名が駐屯していました。

 いずれも自衛隊の任務そのものは戦闘と無縁でした。しかし、テロや戦闘が特に目立つ国への派遣だったにもかかわらず、どちらの場合も政府首脳は「自衛隊の活動地域は安全」と強調し続けました。

 2003年に国会で「イラクで戦闘がない土地などあるのか」と追及された小泉首相(当時)は「自衛隊の派遣されるところが非戦闘地域」と豪語。しかし、当時のイラクでは外国軍隊へのテロ攻撃が相次ぎ、自衛隊が派遣された2003年、2007年に限っても、米軍だけで、それぞれ486人、904人の死者が出ています。この背景のもと、自衛隊の活動は短期間のうちに終了しました。

 一方、南スーダンでは2013年12月に内戦が発生。その直後に菅官房長官は「自衛隊の駐屯地周辺は概ね平穏」と発言。その後も、現地の日本人ボランティアが「自衛隊の駐屯地は首都ジュバのなかで最も危険な場所にある」と報告するなか、稲田防衛相(当時)が駐屯地周辺の状況を「戦闘」ではなく「衝突」と表現するなど、政府は危険を過小評価し続けました。結局、2017年3月に政府は「当初の目的を達した」と自衛隊の完全撤収を発表しましたが、その後も南スーダンでは内戦が続いています。

矛盾が生んだ「神話」

 政府が国内向けに危険を過小評価し、「安全」を強調した大きな背景には、国際的な評価のために自衛隊の海外派遣を進める方針がありました。

 冷戦終結後、日本政府とりわけ外務省は、国連の安全保障理事国入りを目指し、「国際貢献」を模索。しかし、湾岸戦争(1991)で日本はクウェート解放のために130億ドルの資金協力をしながら、国際的に全く評価されませんでした。これをきっかけに、日本政府は「カネだけでなくヒトも出す」方針に転じたのです。

 海外での評価を重視するなら、危険地帯ほど自衛隊の派遣先として魅力的になります。とりわけイラクの場合、米国からの要請があったことも、これを促しました。

 その一方で、自国の部隊の安全を願う心理は万国共通ですが、日本のそれは特に強いといえます。派遣先で自衛官に万一のことがあった場合、世論が政府批判に傾くこともあり得ます。

 そのため、危険が指摘されるイラクや南スーダンに自衛隊を派遣しつつ、「自衛官の安全」を求める世論をクリアするという課題に直面した政府は、「その国全体はともかく自衛隊の活動地域は安全」という説明に終始したのです。

 しかし、これが一種の「神話」だったことは既に述べた通りで、そもそも安全な土地なら自衛隊の派遣が要請されることはありません。

 さらに、「自衛隊の派遣地域は安全」という政府答弁で(どこまで本気かはともかく)納得した世論もまた、この矛盾を大きくしたといえます。

矛盾のしわ寄せ

 この矛盾を最終的に引き受けざるを得なかったのは、現場の公務員でした

 イラクでも南スーダンでも、自衛隊の派遣に熱心だったのは国際的な評価や米国との関係に気を配ってきた官邸や外務省で、自衛隊を所管する防衛省は必ずしも積極的ではありませんでした。しかし、とりわけ現地に派遣された自衛官にとって、「自衛隊の派遣地域は安全」という政府見解には死活的な意味がありました。

 PKOに参加し始めた頃、自衛官の武器使用は自身の安全のためだけに認められていました。その後、自衛官の保護下に入った人々(難民など)の防護や武器・弾薬の強奪の阻止などのためにも発砲できるなど、武器使用原則は段階的に緩和。2016年の平和安全法制ではいわゆる「駆けつけ警護」も解禁されました。

 しかし、もともと「安全な土地に派遣されている」はずなので、法的に認められていても、自衛官による発砲は政治的にハードルが高いと言わざるを得ません。つまり、防衛省・自衛隊は「安全神話」にこだわる政府首脳から暗黙裡に、「武器は持たせる、条件次第で発砲も認める、しかし撃つな」という無理なミッションを課されてきたといえます。

 矛盾に直面したのは、現地に派遣された自衛官だけではありません。その活動記録を管理していた担当者、部局にとって、これらの開示が求められたことは、それが歴代政権の「安全神話」の機微に触れる可能性が大きいだけに、深刻なジレンマだったといえます。

 そのため、日報が組織的・意図的に隠蔽されていたとすれば、防衛省・自衛隊の責任は免れないものの、無理なミッションを課してくる文民政府の方針を傷つけないようにした組織人としての悲哀を思わずにいられません。その場合、逆説的ですが、文民の大方針に従ったという意味で、シビリアンコントロールは機能していたことになります。

「官僚の問題」に矮小化しないために

 報道によると、昨年の南スーダン日報問題を受けて、防衛省が自衛隊に調査を命じたにもかかわらず、過去分については「保存期間を延長すること」としか指示しなかったため、海自や空自は「イラクのものは情報一元化の対象外」と解釈し、結果的に日報の網羅的な調査が行われませんでした。また、防衛省も海自や空自での調査状況を確認していなかったといいます。

 冒頭に触れた陸自のそれと事情がやや異なるだけに、これが意識的な隠蔽だったかどうかは、調査の必要があります。また、中央省庁や自衛隊の情報管理や開示のあり方を改善する必要があることは、いうまでもありません。

 ただし、それと同時に重要なことは、日報の内容そのものの精査です。

 公開された日報でも全てが明らかにされているわけではありません。しかし、それでも政府が「安全」といい続けたイラクや南スーダンの状況を検証するうえで貴重な資料で、今後の自衛隊の海外派遣を考える重要な手がかりになるはずです。いわば日報問題は「文民による自衛隊の監督のあり方」だけでなく、「文民が自衛隊をどのように運用してきたか」をも再考する糸口といえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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