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「誘拐大国」ナイジェリアと日本の共通点とは:人身取引サプライチェーンの闇の奥

六辻彰二国際政治学者
ボコ・ハラムから解放された82名の元女子学生(2017年5月7日)(提供:REUTERS TV/ロイター/アフロ)

5月6日、ナイジェリア政府は、イスラーム過激派ボコ・ハラムに誘拐されていた女子学生のうち82人が解放されたと発表しました

2014年4月、ボコ・ハラムはナイジェリア北東部のチボックにある学校から276人の女子学生を誘拐。その解放を求めて、ミシェル・オバマ大統領夫人(当時)をはじめ多くのセレブが参加するキャンペーンが展開され、当時「チボック・ガールズ」は世界的に関心を集めました。今回、解放された82名はこの時の被害者の一部で、その引き換えにナイジェリア政府は勾留中のボコ・ハラムメンバーを釈放したと伝えられています。

テロ組織の活動には、襲撃や爆破だけでなく、誘拐も含まれます。チボック・ガールズの多くはいまだ帰ってきておらず、さらに今回自由になった82名やその家族には今後もトラウマがつきまとうことになりますが、一部とはいえ解放されたことは、ひとまず朗報といえるでしょう。

ただし、その一方で、そもそもボコ・ハラムによる集団誘拐を生んだ社会の闇は、残されたままです。そこにはビジネス化した誘拐と、それと結びついた人身取引や奴隷制があります。そして、日本もこの問題と無縁ではないのです。

ビジネスとしての誘拐

まず、ナイジェリアについて取り上げます。ナイジェリアでは、チボック・ガールズ以外にも日常的に多くの人が誘拐されています。

米国務省の発表によると、ナイジェリアでテロリストに誘拐された被害者は、チボック・ガールズ事件の2014年に1298人でしたが、翌2015年には1341人に増加。2015年の数値で比較すると、イラク(3982人)、シリア(1453人)に次ぎ、ナイジェリアは世界ワースト3位

さらに、この統計はあくまで「テロ組織による」と認定されたもので、それ以外によるものは含まれていません。ナイジェリアでは誘拐が日常的に発生しており、その対象は政府高官や有名スポーツ選手(あるいはその家族)から市井の人々、外国人にまで及びます。最近では、4月9日に南東部エケットでトルコ人技師2人が誘拐され、10日後に救出されましたが、犯行グループがイスラーム過激派と結びついていたという報告はありません。

ナイジェリアはアフリカ一の産油国で、2000年代には資源価格の高騰を背景に、海外からの投資の急増。その結果、2005年には南アフリカを抜き、国内総生産(GDP)でアフリカ第1位となりました。しかし、石油が豊富であるがゆえに、他の産業がほとんど発達していないうえ、高度に機械化された現代の石油産業は、雇用をあまり生みません。

この状況のもと、治安の悪化にともない武器が流入したことも手伝って、ナイジェリアではビジネスとしての誘拐が横行。年間約6億ドルが誘拐犯の手に渡っているとみられ、誘拐された人のうち約10パーセントが殺害されていることから、「ビジネス」の蔓延による損失は、ナイジェリアのGDPの6パーセントにのぼると試算されます

テロ組織にとっての誘拐

これらは、いわゆる「犯罪」であり、テロとは分けて考えるべきという意見もあるかもしれません(テロがそもそも犯罪ではありますが)。しかし、「通常の」誘拐を行う犯罪者、あるいは犯罪集団と、いわゆる「テロ組織」の間にはヒトの行き来があるとみられるため、実際にはその境界線はグレーです。そして、その動機付けにおいても、必ずしも大きな違いがあるとは限りません

シリアやイラクを拠点とする「イスラーム国」(IS)など、政治的・宗教的なイデオロギーを前面に掲げるテロ組織の場合、資金調達は誘拐の目的における優先順位が低いので、被害者を躊躇なく殺害することが珍しくありません。彼らにとって、誘拐の主な目的は、資金調達よりむしろ、支持者に対する活動の宣伝や、自分たちに対する恐怖感を広めることにあります。

これに対して、ボコ・ハラムは、その殺害人数はISやタリバンなどにも劣りませんが、その誘拐には営利目的が鮮明です。実際、チボック・ガールズにスポットライトが当たりがちですが、彼女たちが誘拐された時、学校にいた男子生徒はほとんどが殺害されています。ボコ・ハラムが「商品価値」の高い女子学生だけを生かしたことは、誘拐の主な目的がその販売、つまり人身取引による利益にあることを示しています

つまり、ISなど「プロフェッショナルのテロリスト」と異なり、ボコ・ハラムは誘拐による資金調達そのものを目的にした「生活のためのテロリスト」なのです。イラクやシリアなどと比べても深刻なナイジェリアあるいはアフリカの貧困が、その背景にあります。

人身取引の闇

ナイジェリア、あるいはアフリカで蔓延する誘拐ビジネスは、人身取引や奴隷制とも結びついています

アフリカでは人身取引が横行しており、その主な「供給源」は誘拐ビジネスにあるとみられています。身代金をとらない(とれない)場合、犯罪者は誘拐の被害者を「売る」ことが一般的です。ボコ・ハラムもこれまで「イスラームに改宗させたうえで少女たちを売り飛ばした」と公言していました。

人身取引の被害者の多くは、無給労働などの奴隷状態や、児童労働、強制的な売春に行き着くとみられます。「安い働き手の需要」があるからこそ、人身取引は成立します。Global Slavary Indexによると、2016年段階で世界には4580万人の「奴隷」がおり、このうちアフリカには約623万人(13.6パーセント)がいます。「奴隷」人口が87万5500人と試算されたナイジェリアは、アフリカワースト1位です。

「奴隷」のサプライチェーン

アフリカで蔓延する「人間の売り買い」は、「市場」を通じて外の世界とも繋がっています。以前に取り上げた、チョコレートの原料であるカカオ豆だけでなく、コーヒー豆など人手に頼ることの多いその他の作物の栽培でも、人身取引や子どもを含む「奴隷」はしばしば指摘されています。

そのため、2015年4月、世界中に展開するコーヒーチェーン、スターバックスは「使用するコーヒー豆の99パーセントは『倫理的』なものになった」と発表。さらに、2016年3月には、食品大手のネスレが最大のコーヒー豆生産国ブラジルで「『奴隷』を使っている」とみなす農園との取り引きを停止すると発表しました

これらは、児童労働や、その背後にある人身取引との関連を批判され、改善の取り組みを経てのものでした。業界最大手のスターバックスや世界的食品メーカーのネスレがわざわざ「企業の社会的責任(CSR)」を主張したことは、裏を返せば、それだけコーヒー産業で「人間の売り買い」が蔓延していることを象徴します

強制的な労働の「成果」だけでなく、誘拐された人々そのものが「輸出」されることも少なくありません。国際労働機関(ILO)によると、人身取引の利益は年間およそ1億5000万ドルにのぼり、そのうち約1億ドルはセックス産業でのものとみられますイタリアとベルギーの売春婦(セックスワーカー)の60パーセントはナイジェリア出身とみられます人身取引の利益の多くは、「奴隷」の「受け入れ先」であり、「消費地」でもある先進国に流入しているのです。

「人身取引の温床」としての日本

「人間の売り買い」は、日本にとっても無関係ではありません。アフリカからの人は必ずしも多くないものの、国際的な人身取引の被害者が、保護されたり、「不法滞在者」として拘束されています。2015年、警察が保護した人身取引の被害者は、フィリピン人やカンボジア人を中心に、49人にのぼりました。しかし、人身取引の多くの被害者は、パスポートを取り上げられたりして外部との接触が困難なため、これは氷山の一角に過ぎません。

人身取引は2003年に発効した「人身取引議定書」によって、国際的に規制されています。アフリカ諸国や欧米諸国をはじめとする締約国でも、人身取引は後を絶たず、この国際的な取り決めが万能とはいえません。それでも、各国における人身取引の厳罰化や意識喚起などに効果があったといえるでしょう。

ところが、世界全体で170ヵ国が参加するこの議定書に、日本は2002年に署名しながらも、その後批准していません。そのうえ、「業者」に対する処罰は総じて甘く、2015年に有罪宣告を受けた27人のうち9人は罰金刑だけで済んでいます。そのため、米国務省が発表している『人身取引報告』2016年版で、日本は先進国のなかで例外的にTier2(二層目、「問題あり」のレベル)にランキングされていますナイジェリアもやはりTier2に位置づけられており、この点で日本は共通します。

このように海外から「人身取引の温床」とみなされても、その被害者が日本国籍をもたず、有権者でないためか、日本の議員、政府の関心は高くありません。移民や難民を制限しながら、人身取引に寛容なところに、その人権感覚や内向き志向をみるのは私だけでしょうか。

対テロ戦争の文脈における人身取引規制

その一方で、人身取引は深刻な人権侵害であると同時に、テロ組織を含む組織犯罪の資金源でもあります。日本政府は「国境を越えた組織犯罪に対応する『国際組織犯罪防止条約』の締結には国内法整備が不可欠」という観点から、共謀罪の導入に関する議論をスピーディーに進めています。しかし、人身取引の規制も「国際的なテロ対策のための取り組み」のはずですが、これに関しては「議定書」に署名した後も、その批准のための手続きが15年間放置されたままです。

もちろん、人身取引の規制だけで、テロ対策が進むわけではありません。さらに貧困層の若者がボコ・ハラムに吸収され、誘拐を繰り返しているように、人身取引には貧困をはじめとする多くの問題がかかわっており、一朝一夕に解決するものではなく、国際的な規制だけでアフリカの人身取引を撲滅することもできません。

しかし、その解決策が完全でないことを認識することと、問題解決のための取り組みを無視することは、同じではありません。少なくとも、「その不完全さ」が「何もしないことで予想される結果」よりマシなら、手を出さないことを正当化するのは困難です。制裁を敷いても、抜け道がある限り、北朝鮮の核・ミサイル開発を防ぐのが困難であるように、人身取引の規制もまた、「ほころび」が全体の努力を無に帰すことにさせかねないのです。日本がテロとの戦いを進めるのであれば、その資金源としての人身取引に対する規制にも取り組むべき時期にきているといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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