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「トランプ大統領誕生」で米国が「超大国」でなくなる日―英国との対比から

六辻彰二国際政治学者
(写真:ロイター/アフロ)

米国大統領選挙でD.トランプ候補が、遂にというべきか、共和党候補になることが確実になりました。米国大統領選挙は、もちろん米国の国内政治ですが、他方で米国そのものの力の大きさから、世界全体から関心を集めやすいもので、日本も無関係ではいられません。

ローマ法王からフェミニスト、ヒスパニック、ムスリム、さらに日本や中国まで、あらゆる方面に批判・放言を繰り返し、その一方で「米国の利益」を最大限に強調して、経済成長を約束するトランプ候補の今後は、もちろん予断を許しません。正式に共和党の大統領候補になっても、その後には、恐らく民主党の大統領候補になるであろうH.クリントン氏との対決が待っています。

また、仮に本選で勝って大統領になったとしても、これまでの言いっぱなしの提案(例えばムスリムの入国を規制する、メキシコとの国境に壁を作ってメキシコ側に費用を負担させる、など)を、政策としてそのまま実行できるとは限りません。

共和党のなかにも根深いトランプ批判はあり、大統領候補を正式に指名する党大会を欠席する意向の有力議員が続出しています。米国の大統領制は日本や英国の議院内閣制と比べて、三権分立が極めて厳格で、さらに各議員の政党への依存度は低く、それぞれの議員は独自の判断で行動することが概ね認められています。そのため、連邦議会で共和党議員が「トランプ大統領」の方針に抵抗することすら想定されます。

さらに、既存の政治家やモラル、秩序を批判して人気を集めたアウトサイダーには、責任ある立場につくや否や、「現実的判断」を優先させざるを得ないことは珍しくありません。実際、人気に便乗してトランプ候補に近づく共和党関係者は少なくなく(いわゆるバンドワゴン効果)、彼らは「トランプ候補が打ち出している、子どもでも理解できる方針を、現実味のある政策としてかたちにする」ことを目指しているとみられます。

とはいえ、それはトランプ氏のようなアウトサイダーにとっては命取りにもなりかねません。「威勢がいいのは大統領になるまでか」となるからです。その場合、今回の大統領選挙そのものが、米国史に残る喜劇にすらなりかねません。そのため、仮に大統領となり、優秀で理性的なブレインに取り囲まれたとしても、トランプ氏が従来の方針を翻すことは容易ではありません。

また、仮に連邦議会で共和党議員の多くが民主党議員とともに抵抗すればするほど、トランプ氏には「守旧派の特権階級に立ち向かうヒーロー」を演じるインセンティブが生まれます。「理性的に振舞うこと」をよしとしたオバマ大統領と異なり、仮に大統領に就任したとしても、トランプ氏の場合は「分かりやすく行動すること」に向かうことで立場が保ちやすいのです。また、自身が大富豪である以上、他の大企業からの政治献金に、他の政治家ほど顧慮する必要もありません。言い換えると、独立性が高いので、自身の方針を実行しやすいといえます。

世界にとってのトランプ氏

それでは、仮にトランプ氏が当選した場合、そしてこれまで打ち上げてきた方針を実行した場合、それは世界にどんなインパクトをもたらすでしょうか。

一言で言うと、「アメリカ・ファースト(米国第一)」を掲げる「トランプ大統領」の誕生は、米国が自ら超大国の座を降りることに繋がります

超大国、あるいは国際政治学でいう「覇権国」は、単に経済力、軍事力が飛び抜けて大きいというだけの意味ではありません。それは、世界全体をカバーする秩序を作り、それ自体が自国の利益になるような国を指します。

19世紀、「七つの海を支配した」英国は、各国間の自由貿易を保護し、それを妨げるような存在―例えば大陸全土を支配したナポレオンなど―を、最強の海軍力と卓抜した外交力で潰していきました。当時、英国がヨーロッパ各国の独立と、その間での自由貿易を保護したのは、それによって最大の利益をあげられるのが、産業革命と資本主義経済をリードする英国だったからに他なりません

その一方で、それと連動して、アジアやアフリカはヨーロッパ列強の植民地として支配されるに至ったので、英国の覇権が世界の多くの人々に幸福をもたらしたとはいえません。とはいえ、ここでのポイントは、少なくとも立場が近い国(この場合はヨーロッパ諸国)にとって、少なからず利益となる秩序を維持すること自体が自国の利益となり、そのためのコスト(例えば最強の軍事力を維持すること)を負担することで、英国は覇権国たり得たということです。

英国の衰退にともない、第二次世界大戦後に名実ともに覇権国となった米国も、やはり全体をカバーする秩序を打ち立て、それを維持すること自体が自らの利益となるような構造を作り出してきました。第二次世界大戦後、米国は西ヨーロッパ諸国や日本に対して、基本的に国内市場を開放し、輸出品を受け入れることで、これら各国の戦後復興から高度成長を後押ししました。

ヨーロッパや日本が必ずしも貿易を自由化しなくとも、市場を開放することは、米国にとって長期的なコストとなりましたが、他方でそれによって西側諸国全体の経済は成長し、東西冷戦のなかで米国の足元は強固なものになったといえます。また、ヴェトナム戦争をはじめ多くの侵略的な戦争もありましたが、他方で米軍を世界中に展開させたこともまた、「米国の利益すなわち世界の利益」となる構造を創出・維持するためのコストだったといえます。

米国が超大国でなくなる日

この観点からすると、失業や格差、財政赤字、人種問題などに対する広範な不満や憤りを吸収して台頭し、「米国第一」を強調するトランプ氏の言動からは、「世界全体をカバーする秩序を維持し、それ自体が米国の利益になる構造を作り出す」という意図をうかがうことはできません

例えば、トランプ氏は民間ビジネスの重要性を強調する一方、TPPには批判的です。TPPは2005年のブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールのP4協定をルーツにもちますが、2010年に米国がオーストラリア、ペルー、ヴェトナムとともに参加したことで、その後は実質的に米国主導で交渉が進められた経緯があります。しかし、トランプ氏はこれを「不公正な条件で米国民の雇用と賃金を奪う」と反対しており、この点ではクリントン氏や、民主党の社会主義的なB.サンダース候補とも共通します

ワシントンやニューヨークのエスタブリッシュメントはともかく、党派にかかわらず有力候補がそろって反TPPを訴えることは、米国内で反自由貿易、保護貿易の傾向が強まっていることを象徴します。それは世界経済の不安定な状況に鑑みれば、不思議ではありません。どこの国も「自国の生き残り」を最優先にしたい点では同じで、その意味ではトランプ氏の「米国第一」の方針は当然といえます。

しかし、それは裏を返せば、他の「普通の国」と同じように、「国際的な秩序と自国の利益」の二者択一を迫られたとき、迷わず後者を選ぶことであり、これまでの米国政府のように「両者の合一」を図る立場とは異なります。言い換えると、トランプ氏の方針と、それが幅広く支持される様子は、米国が(全世界のためとはいわずとも)少なくとも立場が近い国のために大きなコストを負担して、それによって自らが最大の利益を得る覇権国であることの、意思と能力を失いつつあることをも象徴します。

第二次世界大戦の最中の1942年、英国政府は戦後を見据えた「ベヴァレッジ報告」を作成しました。健康保険、失業保険、年金など包括的な社会保障制度の確立を目指したこの報告は、英国が「世界に冠たる大英帝国」から「国民の生活を守る福祉国家」に転身する決定的な転機となりました。つまり、覇権国としての立場を保てなくなった英国政府は、「国民の生活」に目を向ける普通の大国となることに、生き残りの道を見出したのです。ここに、「米国第一」を掲げるトランプ氏の台頭を促した、現在の米国社会とオーバーラップする要素を見出せるでしょう。

覇権国としての能力と意思の弱体化は、安全保障分野でもいえます。トランプ氏は在外米軍の駐留費を、日本を含む各国政府に求めると述べています。これについて、1980年代のR.レーガン政権下で湧き上がった、日本に対する「安保タダ乗り」論を思い出した人も多いかもしれませんが、今回の場合、その対象は日本だけでなく、韓国やNATO加盟国などにも及びます

米国の軍事予算額は世界一で、その規模は第2位から第20位までの各国の合計にも匹敵する水準で推移しています。これが米国にとって、大きな財政負担になっています。トランプ氏に言わせると、「中国やロシア、イスラーム過激派に対抗するために、なぜ我々だけが負担しなければならないのか。不公正だ」ということでしょう。その論理に対する賛否はさておき、「米国が相応の利益を得られないのであれば、関わる必要はない」というスタンスが、やはり「国際的な秩序を構築することが自らの利益にもなる」という覇権国のそれと異なることは確かです。

つまり、「トランプ大統領」の誕生は、米国が覇権国/超大国の座から自ら降りることを、そして「飛び抜けて大きいものの、普通の大国」になることを意味しているのです。

「乱暴な警察官の退場による平穏」か、「国際的な戦国時代の到来」か

それでは、「トランプ大統領」の誕生により、世界はどうなるのでしょうか。

「国際的な秩序のために米国はこれまでのようなコスト負担をしない」というトランプ氏の方針が実行されれば、それは米国が「世界の警察官」であることを、名実ともに打ち切ることに繋がります。

ヴェトナム戦争やイラク戦争を引き合いに出すまでもなく、「自らの特別な立場」と「正義」を強調する米国の一方的な軍事活動が、多くの惨禍をもたらしてきたことに鑑みれば、それを歓迎する向きもあるでしょう。つまり、米国が他所のことに口を出さなくなることは、世界にとって少なからず平穏をもたらすという評価は可能です。また、「米国の利益が世界の利益」ともなっていたグローバル化が、貧困の拡大、自然環境の破壊、テロの拡散といった多くの負の効果をもたらしたことに鑑みれば、米国が国際的な秩序形成から距離を置くことで、もっと多くの国の意見が採用されやすくなるかもしれません。

しかし、その一方で、米国が覇権国の座を放棄することは、世界全体にとっての重石を取り去ることによって、むしろ秩序がさらに流動化することも確かでしょう(その意味で、米国と角を突き合わせるプーチン大統領がトランプ氏に好意的なのは示唆的です)。

これに関して、まず確認すべきは、米国が覇権国であることをやめたとしても、それがすぐに世界全体に騒乱をもたらすとは限らないことです。米国は経済、軍事の両面で、いまだに世界最大の国です。19世紀の覇権国だった英国は、ドイツと米国の追撃に会い、20世紀の初頭にはその圧倒的な経済的・軍事的優位が崩れていました。このうち、既存の国際システムに対する挑戦者として台頭したドイツは、結果的に二度の世界大戦で英国の衰退に拍車をかけました。一方、20世紀の初頭まで、米国はヨーロッパから距離を置く孤立主義の伝統から、覇権国としての「能力」をもつに至った後もその「意思」に乏しく、そのために二度の世界大戦においても当初は消極的でした。しかし、第二次世界大戦は、英国の衰退を決定づけたとともに、米国が覇権国としての意思を固める決定的な転機となり、両国の間でバトントスが行われたのです。

この観点からすると、現在の米国は20世紀初頭の英国ほど衰退しているといえず、さらに覇権国の地位を引き継ぐ能力と意思を備えた国も見当たりません。中国は経済面で台頭しているとはいえ、GDPで米国の半分にもとどかず、さらに軍事面では全く米国に及びません。(冷戦時代にソ連として米国に挑戦した)ロシアは核兵力をはじめとする軍事面で米国を脅かす存在ですが、天然ガス輸出に頼ったその経済は不安定です。さらに、いずれも米国中心の国際秩序に批判的で、それが主に開発途上国の間でそれなりの支持を集める理由になっているものの、米国に代わってどんな秩序を打ち立てるかという理念やアイデアは乏しいと言わざるを得ません。つまり、中ロには「どんな社会が人間を幸福にするか」という理念の面での挑戦という点で、説得力に陰りがあるとはいえ米国の自由や民主主義に匹敵するものはなく、国境を越えて一般の人々に支持を広げることに限界があります。むしろ、「イスラーム国」などイスラーム過激派の方がまだしも影響力があるという状況では、中ロを覇権国候補と呼ぶことはできません。

したがって、繰り返しになりますが、米国が覇権国であることをやめたとしても、それがすぐに(英国の覇権の衰退が二度の世界大戦に行き着いたように)世界全体を巻き込む騒乱を呼ぶといえません。また、先述のように、米国が「特別の地位」を放棄することによって、多くの国がワシントンの暗黙のプレッシャーから解放されることもあるでしょう。しかし、そのことのプラスとマイナスに関する評価はさておき、少なくとも米国が国際的な秩序の維持のためのコスト負担を減らすことが、各国の生き残り競争や各国間の利害対立を、これまでになく表面化しやすくすることは確かといえます。これに鑑みれば、今回の大統領選挙は、トランプ候補の当選で「覇権国としての死亡宣告」をするか、それ以外の(恐らくはクリントン)候補の当選で「覇権国としての延命措置」を目指すかの分かれ道に米国を向かわせるものといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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