日本の開発援助と外交に関する4つの論点(3)「日本の開発協力は欧米から低評価だが黙認されている」

(1)で述べたように、日本の開発協力は欧米諸国のものとずいぶん異なります。むしろ、(2)で述べたように、立場として「西側先進国」でありながらも、日本の開発協力は新興ドナー、とりわけ中国のそれと類似点が多いといえます。

そして、これも(2)で確認したことですが、欧米諸国は中国の開発協力に警戒感を隠さず、批判を展開してきました。しかし、ほぼ同様の開発協力を行っていながら、日本に対する欧米諸国の態度は、中国に対するものと微妙に異なります

2010年のDAC(開発援助委員会)のピア・レビュー(相互評価)では、日本の開発協力にいくつかの難点があげられています。例えば、現代の開発協力では、開発途上国で常態化している男女格差を解消することが重視されており、これに沿って日本政府やJICA(国際協力機構)も援助にジェンダー平等の視点を盛り込むと強調していますが、DACのピア・レビューはその実態を確認するすべがないと指摘しています。「ジェンダーに関連した活動をすべてのプロジェクト予算に含めるなどの対応がとられているかについても、検証が行われるべきである」。

しかし、その一方で、DACのピア・レビューは、全体として日本の開発協力に理解を示しているともいえます。それは、大きく二つの要因を背景とします。

第1に、日本が他のDACメンバーの理解を得られるように、自らの開発協力に調整を加えてきたことです。

第2に、自分たちと異なる方針やスタイルの日本に、欧米諸国はいわば利用価値を見出していることです。

これら二つの要因によって、欧米諸国は、DACの方針から逸脱しているとさえいえる日本の開発協力を決して高く評価しないものの、総じて容認してきたといえます。

「人間の安全保障」とは

このうち、まず日本自身による調整について考えます。

1980年代、道路、橋、発電所など大規模なインフラ整備を中心とした日本のODAは、「産業振興にはなるかもしれないが、必ずしも現地の人たちの生活の改善に役立たない」、「日本の業者向けに事業を行っている」といった批判にさらされました。現代でも、日本の開発協力はインフラ整備が大きな比重を占めていることは(1)でみたとおりですが、その一方で2000年代以降の日本政府は、開発協力によって「一般の人々の生活をよくすること」も強調するようになりました。そのキーワードとなったのが、「人間の安全保障」です。

「人間の安全保障」という言葉は、1994年のUNDP(国連開発計画)の報告書で初めて用いられました。従来、「安全保障」は「国家に対する軍事的脅威」を念頭においた概念でしたが、「人間の安全保障」は飢餓、貧困、感染症、人身取引などの組織犯罪といった「非軍事的な脅威」から「個々人」を解放することを重視するものです。

1998年に東南アジアを訪問した小渕恵三首相(当時)が、アジア通貨危機後の各国に対する支援の文脈の中で「人間の安全保障」の言葉を用いたのが、日本政府関係者による初の公式の言及といわれます。いずれにせよ、その後日本政府は開発協力の理念として人間の安全保障を強調するようになり、これに関する取り組みを行ってきました。そのなかには、例えば以下のようなものがあげられます。

  • 1999年に、人間の安全保障に関わるプロジェクトを行う組織を支援するための「人間の安全保障基金」を国連に設立
  • 2001年に、人間の安全保障の概念を明確にするための「人間の安全保障委員会」を設立
  • 2003年に、日本のODAの項目に1000万円以下の小規模なプロジェクトに対する、返済義務のない「草の根・人間の安全保障無償」(「草の根文化無償」から改称・拡張)を追加

このうち、緒方貞子、アマルティア・センの両氏が共同議長を務めた人間の安全保障委員会の報告書によると、人間の安全保障とは「人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、全ての人の自由と可能性を実現すること」と定義されています。これを思い切って意訳すれば、「安心・安全な環境のもとで、個々人が自分の意志に従って、人間らしい生活を送れるようにすることという、人間にとって極めて原初的、基本的なニーズを満たすこと」と言い換えてもよいでしょう。

2003年に閣議決定された新ODA大綱でも、「人間の安全保障の視点」は日本のODAの基本方針の一つに加えられました。その後、日本政府はほぼ一貫して、人間の安全保障の観点から「貧困層や一般の人々の生活をよくすること」を開発協力の目的として強調するようになったのです(例えば、草の根・人間の安全保障無償で提供されているプロジェクトについては、こちらで検索できる)。

「人間の安全保障」の虚実

ただし、日本政府は「開発協力において人間の安全保障を重視する」と強調するものの、それが実態をともなっているかは疑問の余地があります。

図1は、日本が国連に設置した「人間の安全保障基金」への日本政府の拠出金の金額の推移を表しています。

画像

一見して分かるとおり、アフガン戦争が発生し、アフガニスタン周辺で難民保護などの復興支援の必要性が高まった2001年をピークに、その後は減少の一途をたどっています。

さらに図2は、「草の根・人間の安全保障無償」の拠出額を表しています。

画像

日本のODAが長期的に減少し続けているなか、無償資金協力や、さらにそのなかに含まれる草の根・人間の安全保障無償の金額はほぼ横ばいで、「全体に占める比率」でいえば、これらの比重が高まったということもできるかもしれません。しかし、金額ベースでみたとき、日本政府が「人間の安全保障の考え方に基づく援助」を喧伝するほどには、「草の根・人間の安全保障無償」の拠出額は多くありません

それでは、実態をともなっているかが疑わしい「人間の安全保障」を強調することには、どんな意味があるのでしょうか。それを考える際、重要なことは、人間の安全保障を強調する一方で、2000年代以降の日本の開発協力では、融資に基づくインフラ整備がますます強化されてきたことです。

時期ごとのシフトチェンジ

日本の開発協力は、贈与以外の、貸し付けなどに基づくインフラ整備が多くを占めますが、時期によってトーンの違いはありました。

1990年代、贈与、社会サービス中心の、いわゆる「貧困削減」がDACのトレンドになったことで、1990年代後半から2000年代前半にかけて、日本の開発協力に占める貸し付けや経済インフラの比率は、一時減少しました。

図3は金利がODAの基準より高めであるなど、「援助」に当たらない資金協力であるOOF(その他の公的資金の流れ)の提供額を表したものです。ここからは、日本のOOF提供額が2000年代に入って減少したことが分かりますが、それとともに2000年代の末に、この数値が急上昇したこともみてとれます。

画像

次に、図4はODAに占める社会サービス(教育、医療など)と経済インフラの比率を、日本とDAC平均で表したものです。ここからは、日本のODAに占める経済インフラの比率がやはり2000年代の半ばにかけて減少していき、そしてやはり2000年代の後半に上昇に転じたことが分かります。

画像

こうしてみたとき、2000年代の前半、日本は一時的にDACのトレンドに合わせようとしたものの、2000年代の後半にギアを戻したといえます。

2000年代後半のシフトチェンジには、いくつかの要因があげられます。

  • もともと、基礎的社会サービスを中心に行う援助が、日本にとってどちらかといえば苦手分野であること(言語を介する教育や医療より、技術中心のインフラ整備の方が日本にとって、欧米諸国と比較して「競争力のある」分野である
  • 対テロ戦争の始まりとともに、「貧困がテロの温床になる」という認識のもと(そして米英の場合はこれらが一方的に始めたイラク戦争への開発途上国の批判や非難を慰撫するため)、欧米諸国が援助額を急増させた(図5)ことで、1990年代に「トップドナー」だった日本が、2000年代半ばには埋没するようになったこと。
画像
  • 2005年に日本政府が自信満々でドイツ、ブラジル、インドと共同で国連に提出した「安保理改革案」(つまりこれら4カ国が常任理事国入りすることへの意思表示)が、アフリカ諸国から揃って反対されたように、必ずしも多くの開発途上国から支持されなかったこと(日本政府は開発途上国との協議や援助の提供にあたって、ことあるごとに「安保理改革」の必要性を訴えている)。

つまり、欧米諸国のトレンドに合わせることで日本が埋没することへの警戒感が、日本政府をして、開発協力における冷戦期以来の得意分野、すなわち「融資に基づくインフラ整備」への回帰をもたらしたといえるでしょう。

伝統的アプローチの強化

これに連動して、開発途上国の内政にかかわることへの消極的な姿勢も鮮明になっていきました。冷戦終結直後の1990年代には、やはり欧米諸国のトレンドに沿って、日本政府も開発協力の提供において、微温的なトーンではあっても、「人権尊重」や「民主化」に言及していましたが、2000年代後半には日本政府からほとんど語られなくなったのです。

例えば、1993年から5年おきに日本政府がアフリカ各国の首脳を招いて開催しているTICAD(東京アフリカ開発会議)の毎回の共同宣言や行動計画の文言を比較すると、「人権」という言葉は、TICAD I(1993)の「アフリカ開発に関する東京宣言」で2回、TICAD II(1998)の「東京行動計画」で3回、それぞれ用いられていますが、それ以降の回ではTICAD IV(2013)の「横浜宣言」で1回用いられただけです。

すなわち、2000年代半ば以降、日本の開発協力は手法だけでなく、相手国の内政に関するスタンスにおいても、冷戦期への回帰を鮮明にしていった、言い換えるならその伝統的アプローチを強化していったといえます。

これもやはり、先述の背景から説明できます。日本政府にとって開発協力は数少ない外交手段であることは確かです。この環境のもとで、自らの得意分野に重点をおくだけでなく、「相手国政府に嫌がられない」ことは、欧米諸国を含む他のドナーと自らを少しでも差別化して、「レース」を有利に展開しようとするための、いわば合理的な判断といえます。

「人間の安全保障」の強調

ただし、それでは日本自身がメンバーでもあるDACの「貧困削減」のトレンドにあからさまに反することになりかねません。そこで重要なのが、先述の「人間の安全保障」です。つまり、日本政府による「人間の安全保障」の強調には、実態としては「融資に基づくインフラ整備」中心の開発協力を、人道的な価値観でコーティングするという側面があるといえます。

これに関して、(1)でも取り上げた2010年のDACのピア・レビュー(相互評価)における評価を再掲すると、「JICAはその大小にかかわらず、あらゆるプロジェクトに人間の安全保障の側面を付け加えようとしている。しかし、巨大な経済インフラの建設などの大規模なプロジェクトにおいて、その方針を実践するのはかなり困難である」。つまり、DACは日本政府がいうところの「人間の安全保障」を必ずしも額面通り受け止めていないといえます。

とはいえ、その一方で、欧米諸国は冷戦期のように、日本の開発援助に対する批判を声高に叫ぶことはほとんどありません。先のDACのピア・レビューでも、「日本は引き続き経済成長を強調し、巨大インフラプロジェクトに焦点をあてている。『人間の安全保障」の視点が加わったことは、こうした成長志向の展望の中で、貧困の側面の促進に役立った」(p.13)とも述べられています。つまり、DACはいくつかのポイントで日本の開発援助の難点を指摘し、その改善を求めながらも、全体としては控えめながらも肯定的に評価しているといえます。

欧米諸国のジレンマ

この欧米諸国の微温的な反応は、日本が少なくとも公式に人間の安全保障を掲げ、「ひたすら経済成長だけを促す援助をしているわけでなく、一般の人々の生活をよくすることにも目配りしている」というスタンスを示していることだけによって生まれたわけではありません。ここで強調すべきは、冒頭であげた二つの要因のうちの後者、つまり「欧米諸国は自分たちと異なる方針やスタイルの日本に、いわば利用価値を見出していること」です。

(2)で述べたように、2000年代に入って西側ドナーと新興ドナーの対立が表面化しました。西側ドナーから批判を浴びながらも、新興ドナーなかでも中国は開発協力を増加させ、これをテコに開発途上国での存在感を増しつつあります。人権保護や民主化など相手国の内政に口を出さず、社会サービスを重視する西側ドナーが控える経済インフラを大規模かつ迅速に建設する中国の開発援助は、開発途上国から少なからず支持されています

この状況に、西側先進国内部からは、これまでの自らのアプローチを見直す動きが生まれています。例えば、2007年のEU-アフリカサミットでは、ホスト国だったポルトガルの閣僚が、「自らのガバナンスのあり方をアフリカに注入しようとしてきた従来のヨーロッパは『単純すぎた』」と発言しました。さらに、2009年には米国の有力シンクタンク戦略国際関係研究所(Center for Strategic and International Studies)も、アフリカにおける「中国のソフト・パワーの主な源」として、投資や貿易とともにインフラ整備をあげ、米国議会にアフリカ向けインフラ援助の増加を提言しました。これらは、1990年代以降、人権保護や民主化を前提条件に、さらに教育や医療といった基礎的社会サービスに重点をおいて援助を行ってきた西側先進国のアプローチが、開発途上国の間で不満の温床となり、これが新興ドナーとりわけ中国の台頭を許したことへの、西側内部の警戒感を象徴するといえます。

とはいえ、いかに新興ドナーへの警戒感が大きくとも、欧米諸国にはこれまでの方針やスタイルを容易に変更することはできません。今まで倫理的な価値に基づく援助を強調しておきながら、それを簡単に翻せば、かえって自らに対する国際的な信頼を損なうことになりかねないからです。ここに、欧米諸国のジレンマがあります。

欧米諸国からみた日本の利用価値

この観点からすると、欧米諸国が日本の開発協力にいい顔をしないながらも、これを黙認していることは不思議ではありません。

くどいようですが、「融資に基づくインフラ整備」を重視し、相手国の内政にほとんど口を出さない日本の開発協力の方針やスタイルは、中国と大きく違いません。しかし、中国と異なり、日本の国際政治における立ち位置は、明らかに西側先進国にあります。さらに、中国や開発途上国が「内政干渉」と批判する欧米諸国の開発協力の方針について、日本は何も言いません。その日本が、自らにはハードルの高い「融資に基づくインフラ整備」を、しかも人権状況などが芳しくない国でもそれを行うことは、欧米諸国にとって、新興ドナーとの対抗上、利用価値があるものといえます。

そのため、場合によっては、欧米諸国が日本のインフラ整備を支援することもあります。その一例として、ザンビア―ジンバブエ国境で2009年に開設された、OSBP(ワン・ストップ・ボーダー・ポスト)システムがあげられます。OSBPは隣り合う国同士の間で、出国手続きと入国手続きを一度に済ませることで国境通過の手続きを簡素化し、これによって物流の加速を促すシステムで、いわば新しいタイプの多国間インフラです。日本政府は2000年代から南アジアなどでこれを進めてきましたが、2000年代末からはアフリカ向け援助でもこれを推進しています。

ところで、ここでの問題は、日本が中心となって提供し、2009年に開設されたザンビア―ジンバブエ間のOSBPプロジェクトには、英国のDFID(国際開発省)が関わっていたことです。DFIDは主に人材育成などで協力し、必要な施設の建設などはJICAが担当しました。ですから、DFIDがインフラ建設に直接かかわったとは言えませんが、少なくとも日本がそれを行うのをアシストしたことは確かです

さらに強調すべきは、ジンバブエに対して英国は、米国などとともに、2000年から経済制裁を敷いてきたことです。これは、同国のムガベ大統領が白人の土地を一方的に接収し、黒人に分配することが理由です。経済制裁を敷いている国に対して、人道支援を行うことは、珍しいことではありません。むしろ、経済制裁のダメージが一般の人々に及べば、かえって制裁を実施している側への広範な敵意を醸成しかねないため、現代では経済制裁と人道支援の二刀流で臨むことが一般的です。とはいえ、OSBPは「物流の加速」という経済・産業支援としての側面が濃厚で、「人道支援」というには無理があります。ここに、ポスト・ムガベをにらんで、かつての植民地との関係を維持することとともに、新興ドナーをにらんで、(自らがそれを行うのは困難な)日本によるインフラ整備を支援するという英国の目的を見出すことができます。OSBPは現在、アフリカ大陸の各地でプロジェクトが進行しており、その多くでDFIDだけでなく、USAID(米国国際開発庁)や世界銀行も支援しています

このように、新興ドナーへの警戒感を強めながらも欧米諸国が自ら手をつけにくい状況のなかで、日本の開発協力の方針やスタイルは、それがDACのガイドラインと必ずしも一致しないにもかかわらず、黙認され、場合によっては他の西側ドナーから支援されてきたといえるのです(続く)。